第25話 次
クライマックスシリーズ、ファーストステージ第二戦。
昨日と同じ、本拠地の球場だった。
グラウンドも、マウンドも変わらない。
打撃ケージでは、いつもの順番で打球音が続いている。
外野では選手が走り、ブルペンでは投手が肩を作っていた。
昨日、九回までゼロが並んだ試合を戦った翌日には見えなかった。
誰かが声を張り上げるわけでもない。
それぞれが、自分のやることをやっていた。
昨日、一つ勝った。
今日負けても、もう一試合ある。
ケージの横では、相沢が日下部を呼び止めていた。
三塁側では、真壁がブルペンの投手と話している。
伊丹は打順表を持ったまま、グラウンドを見ていた。
Kは、今日は投げる。
七番には、成瀬が入っていた。
竹田はブルペンで腰を落とした。
目の前には、Kがいる。
一球目。
ミットへ入る。
二球目。
少し高い。
三球目。
低く落ちた。
竹田はボールを返す。
Kが受け取った。
今日負けたときの話をする者は、いなかった。
竹田はもう一度腰を落とした。
「来い」
*
一回表。
Kの初球を、オーシャンズの一番打者が打った。
二塁正面。
大島が腰を落として捕り、一塁へ送った。
一球、一死。
二番は五球目のスプリットを振った。
空振り三振。
三番、戸塚。
外の直球を、右へ打ち上げた。
片瀬がほとんど動かずに捕る。
三者凡退。
竹田がベンチへ戻る。
プロテクターを外すころには、岩瀬が打席へ向かっていた。
*
一回裏。
岩瀬が中前へ運んだ。
日下部が右中間を破る。
岩瀬が三塁を回りかけ、コーチが止めた。
無死二、三塁。
片瀬の打球が、センターへ上がる。
岩瀬がタッチアップする。
送球が返るより先に、ホームを踏んだ。
1対0。
一死三塁。
大島が打席に入る。
二球目を右へ打った。
一、二塁間。
二塁手が追う。
抜けた。
2対0。
ベンチから声が飛んだ。
スタンドも沸いている。
まだ一回だった。
大島が一塁で片手を上げる。
黒田と三好が倒れ、二点で攻撃は終わった。
Kは、もうベンチの前に立っていた。
竹田がプロテクターをつける。
「行くぞ」
Kが先に歩き出した。
*
二回表。
皆川が左前へ運んだ。
無死一塁。
五番をスイーパーで空振り三振。
六番は二塁ゴロ。
皆川が二塁へ進む。
七番を中飛。
無失点。
二回裏、成瀬が三塁ゴロに倒れた。
竹田が右前へ運ぶ。
早川の二塁ゴロで、竹田が二塁へ進む。
岩瀬が倒れた。
2対0のまま、三回へ入った。
*
三回表。
八番が右前へ運んだ。
九番が、初球からバントの構えを見せる。
Kが投げた。
一塁側へ転がる。
Kが捕り、一塁へ。
一死二塁。
一番打者。
初球、外角の直球。
振り遅れた打球が、一塁側のスタンドへ飛んだ。
二球目、外へ逃げるスイーパー。
見送る。
ボール。
三球目、スプリット。
低く落ちる。
バットが出た。
ファウル。
一ボール二ストライク。
Kが打者を見た。
竹田がサインを出す。
Kが首を振った。
竹田が出し直す。
Kがうなずいた。
高めの直球。
打者の前足が着く。
バットが出た。
右前。
二塁走者が三塁を蹴る。
片瀬の返球は、間に合わない。
2対1。
球場の音が、一段下がった。
竹田は立ったまま、一塁を見た。
打者は手袋を直している。
待っていた。
そんな打ち方に見えた。
竹田はKへ返球した。
二番を二塁ゴロ。
戸塚をスプリットで空振り三振。
一点で終わった。
*
三回裏。
日下部が四球を選んだ。
片瀬が右前へ運ぶ。
無死一、三塁。
大島の打球は、遊撃正面。
二塁へ。
一塁へ。
併殺。
その間に、日下部がホームを踏んだ。
3対1。
黒田が倒れて、攻撃が終わった。
三回は打ち取られた形だった。
それでも、点は入っている。
大島は、スコアボードを見なかった。
*
四回表。
皆川を二塁ゴロに打ち取る。
一死。
五番。
初球の直球を見送る。
ストライク。
二球目のスプリットを、ファウル。
三球目のスイーパーが外へ外れた。
打者の腰が流れる。
竹田は返球した。
前の打席でも、この打者はスイーパーに合っていなかった。
サインを出す。
スプリット。
Kが首を振る。
竹田が変えた。
スイーパー。
Kがうなずいた。
四球目。
外へ曲がる。
打者の前足が、早く着いた。
さっきまで腰が流れていた打者が、待っていたように踏み込む。
バットが出た。
左前。
竹田は打球を追いながら立ち上がった。
また、変えた球だった。
六番。
初球の直球を、強くファウル。
二球目のスプリットに空振り。
三球目のスイーパーを見送る。
ボール。
Kが打者を見る。
竹田も見た。
直球。
強い打球が、二塁へ転がった。
大島が捕る。
二塁へ。
一塁へ。
併殺。
チェンジ。
竹田はマスクを外した。
前の打席でも、合っていなかった。
今の打席でも、最初は合っていなかった。
なぜか、最後だけ、合った。
*
四回裏。
三好が倒れ、成瀬が四球を選んだ。
竹田が倒れる。
早川の打球は、遊撃の正面だった。
竹田はプロテクターをつけたまま、真壁のところへ行った。
「コーチ」
「ん?」
「Kが変えた球だけ、合ってる気がします」
「三回もか」
「はい。今の五番も」
真壁がグラウンドを見た。
「Kの見立てが違うか」
「でも、見方は間違ってないですよ」
相沢だった。
「三回の一番、最初の真っすぐには本当に遅れてました。今の五番も、最初のスイーパーには合ってない」
真壁が振り返る。
「じゃあ、途中は捨ててんのか」
「捨ててるっていうより……」
相沢が少し考えた。
「たぶん、最悪そこは打てなくてもいいんでしょうね」
竹田が相沢を見る。
真壁はしばらく黙っていた。
「……最後を待ってるのか?」
「俺らが何に変えるまで読んで?」
「その可能性はある」
竹田は思い返した。
Kが首を振る。
自分が出し直す。
Kがうなずく。
その直後が、合う。
「誰かが見て、決めてますね」
真壁が竹田を見た。
「打者は普通に勝負してる。でも、Kが首を振ったら、その次」
「首振ったときは、ちょっと間があるからな」
「首振りの後。何が来るかを、向こうが読んでサイン送ってるのか」
「俺らの組み立て全部読んで?」
「全部は無理だ。だが首を振るなら理由がある」
「その理由を読んでるのか」
「ベンチか、相手の捕手かは分からんがな」
真壁は、三塁側を見た。
その手前で、戸塚がホームでしゃがんでいた。
「昨日、ずっと倉橋の隣にいた男がいる」
相沢が腕を組んだ。
「厄介だな。Kの首振りは、こっちの武器だ」
「やめませんよ」
竹田が言った。
「首振らせないようにしたら、あいつの目が死にます」
真壁が、少し笑った。
「じゃあ、どうする」
竹田は、Kのいる方を見た。
少し離れたところで、こちらを見ている。
手招きをした。
Kが歩いてくる。
竹田は、自分の右手を一度振った。
首を振る仕草だった。
それから、指を一本立てて、同じ場所を指す。
Kが竹田を見た。
「首、振っていい。ただ、振ったあと、俺が同じサインを出すことがある」
Kが竹田を見たままでいる。
「そのときは、そのまま投げろ」
少し間があった。
Kが、うなずいた。
伊丹が、横から言った。
「分かったか」
「はい」
「なら、いいようにやらせるなよ」
伊丹は、それだけ言ってグラウンドへ目を戻した。
*
五回表。
七番。
初球の直球を強くファウル。
二球目のスプリットに空振り。
ゼロボール二ストライク。
Kが打者を見る。
竹田も見た。
サインを出す。
スプリット。
Kが首を振った。
打者は一塁コーチを一瞬気にしているように見えた。
竹田は、同じサインを出した。
Kが、竹田を見る。
一拍あった。
うなずいた。
三球目。
スプリット。
打者の身体が、わずかに前へ出た。
直球を待っていた。
バットは、止まらなかった。
力のない打球が、二塁へ転がる。
大島が捕り、一塁へ。
一死。
竹田は、マスクの奥で息を吐いた。
八番。
初球の直球に遅れる。
二球目のスプリットにバットが出た。
竹田は三球目もスプリットを要求した。
打者は止めた。
ボール。
四球目、直球。
ファウル。
五球目、スイーパーが外れる。
六球目も外れた。
フルカウント。
七球目。
直球が、わずかに外れた。
四球。
オーシャンズのベンチから声が出た。
一死一塁。
九番が送る。
二死二塁。
三回に適時打を打った一番が入った。
竹田が打者を見る。
Kも見ていた。
初球、スイーパー。
ファウル。
二球目、直球。
ボール。
三球目、スプリット。
ファウル。
一ボール二ストライク。
竹田がサインを出す。
Kが首を振った。
やはり打者は一塁コーチを一瞬気にしているように見えた。
三塁コーチからでは、間に合わないのか。
竹田は、同じサインを出し直した。
外角の直球。
Kがうなずく。
打者が振った。
浅い右飛。
片瀬が捕る。
無失点。
Kがベンチへ戻る。
真壁は何も言わなかった。
相沢は、次の打順を見ていた。
*
五回裏。
岩瀬が四球を選んだ。
日下部が送る。
初球だった。
一死二塁。
片瀬が左前へ運んだ。
岩瀬が三塁を回る。
4対1。
オーシャンズの監督がベンチを出た。
投手交代。
昨日は最後まで出番のなかった救援投手が、三塁側からマウンドへ走ってくる。
竹田は、ベンチからその姿を見た。
昨日、倉橋は百二十球を超えてもマウンドを降りなかった。
今日は、その後ろにいた投手たちがいる。
大島が打席へ向かう。
初球、ボール。
二球目も外れた。
三球目も、四球目も。
四球。
バットをベンチへ渡すとき、大島の顔が少しだけ見えた。
振りたかった顔だった。
一死一、二塁。
黒田が右前へ運ぶ。
満塁。
オーシャンズの投手コーチがマウンドへ出る。
三塁側では、もう一人が投げ始めていた。
三好が、センターへ打ち上げる。
片瀬がタッチアップする。
ベンチへ戻ってきた片瀬へ、何本もの手が伸びた。
Kの手もあった。
片瀬が叩く。
Kは、そのまま次の選手にも手を出した。
5対1。
この回、スタンドは立ったままだった。
三塁側のブルペンでは、まだ投手が投げている。
投手は、ホームへ返るボールを見てから、次の打者へ向き直った。
成瀬。
三球目のスライダーを振って、空振り三振。
チェンジ。
*
六回表。
二番が左前打。
戸塚に四球。
無死一、二塁。
皆川が入った。
竹田は、マスクの奥から見た。
皆川は、ただKを見ている。
初球、外角の直球。
見逃しストライク。
二球目、スプリット。
ボール。
三球目、スイーパー。
ファウル。
一ボール二ストライク。
四球目。
高めの直球。
皆川が振った。
ファウル。
バットは、遅れていなかった。
竹田は、そこで分かった。
この打者には関係ない。
一塁コーチも見ていない。
来た球を打つ打者だった。
五球目、スプリット。
止めた。
二ボール二ストライク。
六球目、スイーパー。
またファウル。
竹田が返す。
Kが受け取る。
皆川は構えを変えない。
七球目。
外角の直球。
皆川が振った。
一、二塁間。
抜けた。
二塁走者が帰る。
5対2。
本塁側の音が、また引いた。
オーシャンズのベンチから声が飛ぶ。
皆川が一塁で両手を叩いた。
真壁がブルペンを見る。
投手が一人、準備していた。
伊丹は、ベンチの前から動かなかった。
座りもせず、ブルペンも見ない。
マウンドだけを見ていた。
真壁は、ブルペンへ手を下ろした。
「昨日とは、ずいぶん違いますね」
相沢が言った。
「試合が違う」
真壁はマウンドを見た。
「昨日は動くしかなかった。今日は、動く理由がない」
竹田はタイムを取った。
マウンドへ行く。
Kは、ボールを持ったまま待っていた。
「次の五番、さっきと変えてくるぞ」
Kがうなずいた。
竹田は、一塁の皆川を見た。
「皆川は、待ってたんじゃない」
Kも、そちらを見た。
「あれは打った方がうまい」
Kが、もう一度うなずいた。
竹田は戻った。
五番、遊ゴロ、併殺。
六番、外へ逃げるスイーパー。
空振り三振。
チェンジ。
一塁に残った皆川が、ベンチへ戻る。
戸塚が入口で待っていた。
差し出された皆川の手を、叩く。
Kもベンチへ戻った。
*
六回裏、フェニックスは三人で終わった。
七回表。
七番を二塁ゴロ。
八番が左前へ運ぶ。
九番を三振。
二死一塁。
一番打者が、また入った。
竹田がサインを出す。
初球、スプリット。
ファウル。
二球目、内角の直球。
ボール。
三球目、スイーパー。
見逃しストライク。
一ボール二ストライク。
打者が、一度打席を外した。
バットを握り直す。
Kは、その手を見ていた。
(待ってる)
竹田がサインを出す。
内角の直球。
Kは、首を振らなかった。
すぐに、うなずいた。
打者が構える。
Kが足を上げた。
投げる。
内角。
打者のバットが、遅れて出た。
詰まった打球が、二塁へ転がる。
大島が捕る。
一塁へ。
アウト。
竹田は、立ち上がったまま打者を見ていた。
Kが首を振らなければ、待つものがない。
百球を超えていた。
Kがマウンドを降りた。
スタンドが立ち上がる。
拍手が、内野から外野へ広がっていった。
Kは、いつもと同じ速さで歩いた。
途中で一度だけ、客席の方へ頭を下げた。
音が、さらに大きくなる。
ベンチの前で、真壁が待っていた。
「終わり」
Kが見る。
「後は、任せよう」
Kは、一度スコアボードを見た。
5対2。
そのまま、ベンチへ入った。
竹田は、プロテクターを外しながら真壁の横に立った。
真壁は、オーシャンズのベンチを見た。
「こっちが気づいたって、バレてたかな」
「たぶん、分かってましたよ」
「だろうな」
真壁は、それ以上は言わなかった。
*
七回裏。
日下部が左中間を破り二塁打。
片瀬の二塁ゴロで、三塁へ進む。
大島がセンターへ打ち上げ、日下部が帰る。
6対2。
黒田が倒れて、攻撃が終わった。
オーシャンズは、また投手を替えた。
昨日のフェニックスのようだった。
ただ、スコアが違った。
オーシャンズは負ければ敗退。
状況も昨日とは違っていた。
*
八回表。
秋山がマウンドへ上がった。
皆川に一本打たれたが、後続を断つ。
ゼロ。
八回裏、フェニックスも無得点。
6対2のまま、九回へ入った。
柴崎がマウンドへ向かう。
スタンドから拍手が降りてきた。
オーシャンズのベンチに、座っている選手はいなかった。
一人目。
右飛。
二人目。
空振り三振。
戸塚は、ベンチの一番前に立っていた。
その後ろに、倉橋がいた。
昨日、百二十球を超えて最後まで投げた右腕は、腕を組んだままグラウンドを見ている。
三人目。
二球目を打った。
二塁へ転がる。
大島が前へ出た。
捕る。
一塁へ投げる。
アウト。
試合終了。
球場が、割れた。
秋の夜に、音が抜けていく。
柴崎が右手を上げる。
竹田はマウンドへ向かった。
フェニックスのベンチから、選手が飛び出す。
その向こうで、戸塚が顔を伏せた。
皆川が帽子を取り、一度だけグラウンドを見る。
倉橋は、動かなかった。
少しして、倉橋がベンチを出た。
戸塚が続いた。
少しずつ、選手が歩き始めた。
グラウンドの反対側では、輪ができていた。
大島が柴崎の頭を叩いた。
片瀬が竹田の肩を抱く。
日下部が背中を押されて前へよろけ、振り返った。
Kの肩にも、手が乗った。
Kが振り返る。
相手が何か言った。
Kは答えなかった。
その肩を、一度叩き返した。
(悪くない)
6対2。
二連勝。
フェニックスは、ファーストステージを勝ち抜いた。
ベンチの前では、伊丹が真壁と並んで立っていた。
「次は、福岡だ」
伊丹が言った。
真壁がうなずく。
リーグを制したチームが、一勝のアドバンテージを持って待っている。
全試合、アウェー。
福岡ファルコンズ。
四番には、滝川祐希がいる。
グラウンドの音は、まだ続いていた。




