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K ―背番号89―  作者: K2MA


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24/34

第24話 ゼロ

 クライマックスシリーズ、ファーストステージ第一戦。


 試合前のグラウンドは、いつもと同じはずだった。

 同じ土。

 同じマウンド。

 それなのに、竹田哲平は、いつもより早く防具をつけ終えていた。


 三試合のうち、二つ取れば次へ進む。

 一つ落とせば、残りが一つ減る。

 オーシャンズの先発は、倉橋直哉だった。

 今季十二勝、防御率一点台。

 これより勝っている投手も、速い球を投げる投手もいる。

 それでも、短いシリーズの初戦で当たりたいかと聞かれれば、話は別だった。


 フェニックスの先発は、高梨。

 Kは、今日は投げない。

 七番、指名打者。


「今日は長くなるぞ」


 真壁が、竹田の横で言った。


「何人使うかは、向こう次第だ。準備しとけ」

「分かってます」


 竹田は三塁側を見た。

 倉橋が、戸塚と並んで座っている。

 何か話しているが、笑ってはいない。

 緊張しているようにも見えない。

 戸塚が立つ。

 少し遅れて、倉橋も立った。


「行くぞ」


 伊丹の声が飛んだ。

 竹田はマスクをかぶった。


    *


 一回表、高梨は二死から戸塚を歩かせた。

 四番の皆川に内角を強く引っ張られた。

 打球は一、二塁間へ。

 大島が横へ動いて、追いつく。

 一塁へ。

 アウト。

 高梨がグラブを上げ、大島が右手を上げた。

 最初のゼロが入った。


 一回裏、倉橋は岩瀬と日下部を六球で片付けた。

 片瀬が左前へ運ぶ。

 歓声が上がる。


 二死一塁で、大島。

 ファウルで粘って、最後は強い当たり。

 二塁手の正面だった。

 立ちかけた客が、そのまま座る。

 倉橋は、小走りで三塁側へ戻っていった。


 二回。

 両軍ともに三者凡退。

 Kは遊直に倒れた。


 0対0。


 三回表。

 高梨は八番、九番を打ち取ったあと、一番と二番を歩かせた。

 戸塚を打ち取り、点はやらなかった。


 三回裏、竹田と早川が倒れ、岩瀬が四球を選んだ。

 日下部の二打席目。

 外へ、外へと投げられる。

 追いかけて、二球ファウル。

 最後は、外れた球に手を出して空振り三振だった。

 日下部はベンチへ戻り、バットを置いた。

 それから、バットの先を一度だけ見た。


 竹田は防具をつけ直しながら、それを見ていた。

 三回を終えて、ゼロが三つずつ並んでいた。


    *


 四回表。

 高梨が、先頭の皆川を歩かせた。

 竹田はタイムを取って、マウンドへ行った。

 高梨は、ボールを握ったまま待っている。


「悪くない」


 高梨が竹田を見た。


「今の四つ、向こうが見ただけですよ。変えなくていい」


 高梨は何も言わなかった。

 竹田は戻った。

 次打者が送る。

 一死二塁。


 また、オーシャンズの走者が得点圏へ進んだ。

 竹田は打者を見た。

 その向こうで、伊丹が立っていた。


 真壁を呼んで、短く何か言う。

 真壁の視線が、ブルペンへ向いた。

 ブルペンでは、フェニックスの中継ぎ、園田が肩を作っている。

 竹田も見た。


 高梨は、後続を二人とも打ち取った。

 四つ目のゼロ。


 大きな拍手の中を戻ってくる。

 伊丹は何も言わない。

 真壁も、高梨には声をかけなかった。

 ブルペンでは、投球が続いていた。


    *


 四回裏、片瀬が倒れたあと、大島が出塁した。

 ベンチの何人かが立つ。


 客席から声が飛んでいた。


 動かせ。


 送れ。


 走れ。


 相沢が伊丹を見た。

 伊丹は、小さく首を振った。

 まだ四回だった。


 黒田も三好も、打ち取られた。

 大島は、一塁から帰れなかった。


 四回を終えて、0対0。


    *


 五回表。

 高梨が先頭の八番を打ち取り、九番に左前へ運ばれた。

 一死一塁。


 打順は、下位から一番へ戻る。

 竹田が返したボールを、高梨が受け取った。


 伊丹が出てきた。

 球審に向かう。


 歓声より先に、ざわめきが広がる。


 竹田はスコアボードを見た。


 五回。

 一死。


 0対0。


 高梨も、伊丹を見ていた。

 高梨がマウンドを降りる。


 拍手が起きた。

 最初はまばらで、やがて大きくなった。


 四回三分の一。

 無失点。


 竹田は、そこに立っていた。

 ベンチに戻った高梨は、座ってグラウンドを見ていた。


 二人目の園田がマウンドへ向かう。

 今季、中継ぎで一番長いイニングを投げた左腕だった。


 真壁は、投球練習が始まるのを確かめてから、高梨の横へ行った。

 高梨は、マウンドを見たままだった。


「信用してなきゃ、初戦は任せない」


 高梨が、ようやく真壁を見た。


「今日は、こういう試合だ」


 真壁はグラウンドへ視線を戻した。

 竹田は、園田の投球練習を受けていた。


 高梨とは、球筋が違う。

 落ちる球の角度も、腕の出る位置も違う。


 園田は、高梨の残した走者を一塁に置いたまま、二つのアウトを取った。

 五つ目のゼロ。


 三塁側では、倉橋がベンチの奥に座っていた。

 タオルで顔を拭く。


 戸塚が隣にいる。


 フェニックスは、もう二人目を出している。

 オーシャンズには、まだ倉橋だけだった。


    *


 五回裏。

 倉橋は変わらなかった。


 Kが打席へ向かった。

 スタンドのあちこちで、スマートフォンが上がる。

 派手な紅い防具、左打席。

 もう見慣れた姿だった。

 それでも、Kが打席に入ると、音が少し変わる。


 倉橋は変わらない。

 低い球を見せる。

 内をファウルにさせる。

 外へ逃げる球に、Kのバットが止まった。

 次の球を、Kが振った。

 二遊間を抜ける。


 中前。


 球場が沸いた。

 Kは一塁ベースを踏んだ。

 腰を落として両手をだらりと下げ、投手を見ている。


 次は、竹田だった。

 竹田の打球は遊撃の正面へ転がった。

 二塁、一塁。

 併殺。

 早川が右飛。

 チェンジ。


 ベンチで、Kと竹田が並んだ。

 一本出た。

 でも、それだけだった。


 五回を終えて、ゼロが五つずつ並んだ。


    *


 六回表。

 フェニックスは、また投手を替えた。


 三人目は、梶だった。

 今季から中継ぎに回った右腕で、長いイニングは投げない。

 投球練習を受けながら、竹田は指を組み直した。


 高梨とも、園田とも違う。

 球が重い。

 腕がいつ出るかが読みにくい。


 一人目に四球を与えた。


 皆川。

 竹田がサインを出す。

 梶が首を振った。


 もう一度。


 また、振る。


 三つ目で、うなずいた。


 皆川が詰まった。

 大島の前へ転がる。

 二塁へ送って、一つ。

 一死一塁。

 五番に四球を与えた。


 竹田は、次の打者への初球に、皆川のところで使わなかった球を要求した。

 空振り。

 最後は二ゴロ。

 七番も打ち取った。

 六つ目のゼロ。


 竹田はマウンドへ行き、梶からボールを受け取った。

 グラブを一度叩く。

 二人で戻った。


 ベンチで、高梨がその姿を見ていた。


    *


 六回裏、岩瀬が左中間を破った。

 日下部と片瀬が倒れ、二死二塁。

 大島が打席に入った。

 初球を振った。

 左中間へ、強い打球が伸びる。


 客が立つ。

 中堅手が走る。

 まだ走る。

 最後に、グラブを上げた。

 グラブの中にボールが入った。


 ため息と一緒に、客席が沈む。

 大島は一塁へ向かう足を緩め、そのままベンチへ戻った。


 若い選手が場所を空ける。

 大島は何も言わず、守備用のグラブを取った。

 それからスコアボードを見た。


「またゼロだ」


 誰に言ったのかは、分からなかった。

 大島は守備へ出ていった。


    *


 七回表。

 フェニックスは秋山がマウンドへ上がる。


 四人目。


 投手交代のアナウンスに、もう驚きはなかった。

 八番に四球、九番に右前打。

 一番を打ち取ったが、二番にも四球を与えた。

 一死満塁。


 真壁の横で、伊丹が立っていた。

 ブルペンでは、次の投手が作っている。


 戸塚へ、秋山が投げる。

 遊ゴロ。

 日下部から大島。

 一塁へ。

 併殺。


 スタンドが大きく揺れた。

 秋山が息を吐く。

 竹田はマスクを外した。

 ベンチへ戻ってきた秋山に、高梨が少し身体をずらした。


 秋山が、そこへ座る。

 二人とも、何も言わなかった。


 七つ目のゼロ。


    *


 七回裏。


 黒田が四球を選び、三好が左前へ運んだ。

 無死一、二塁。


 Kが打席に入った。

 倉橋は、同じ攻め方をした。


 内を見せる。

 外へ逃がす。

 低めを一つ落とす。


 Kは、最後の球を見送らなかった。


 振って、空振り三振。


 打席を出る前に、一度だけマウンドを見た。


 それから、ベンチへ戻った。


 竹田も倒れた。

 早川の内野安打で満塁になったが、岩瀬は打ち取られた。

 三者残塁。


 倉橋がベンチへ戻る。

 百球を超えていた。

 戸塚が水を渡す。

 倉橋が飲む。


 オーシャンズの野手たちは、それぞれの場所でグラブを置き、汗を拭いていた。

 誰も、倉橋のところへは行かない。

 そこだけは、聖域になっていた。

 戸塚が、倉橋の隣にいた。


 竹田は、防具をつけ直しながらそれを見ていた。

 三塁側のブルペンには、誰も立っていない。

 七回を投げ終えて、まだ誰も作っていなかった。


 こっちは、今日四人。

 向こうは、一人だった。


 隣に、Kが座った。

 スコアボードではなく、三塁側を見ている。

 竹田も、そちらを見た。


「明日は、お前だぞ」


 Kがうなずいた。


「今日のうちに、全部見とけ」


 もう一度、うなずいた。


    *


 八回表。

 フェニックスは、五人目の吉村を出した。

 一軍に上がって二年目の右腕で、この夏から終盤の場面を任されるようになった。


 真壁が動き、竹田が新しい球を受け、伊丹がベンチの前へ出る。


 その繰り返しが、この試合の景色になっていた。


 先頭は、皆川。

 打球が高く上がった。

 片瀬が下がる。

 フェンスが近づく。

 だが、片瀬が捕る。

 一死。


 五番に四球。

 六番が右前へ運び、一死一、二塁。

 七番を左飛に打ち取ったが、八番にも四球。

 二死満塁。

 真壁が伊丹を見た。

 伊丹はブルペンへ目をやる。

 柴崎がいる。

 その奥にも、まだ投手がいた。

 伊丹は、視線を戻した。


 九番が一ゴロ。

 チェンジ。

 竹田が立ち上がった。

 八つ目のゼロ。


 ベンチへ戻ると、相沢がブルペンの方を見ていた。


 真壁が、手元のメンバー表を見る。

 投手の名前には、いくつも線が引かれていた。

 それでも、全部ではない。


「延長になっても足りる」


 伊丹は、もう攻撃の方を見ていた。


    *


 八回裏。

 日下部が四球を選んだ。

 先頭走者。

 それだけで、球場の音が変わった。


 片瀬が打席へ向かう。


 送りバント。

 片瀬は、初球を三塁線へ転がした。

 一死二塁。


 四番、大島。

 客席のかなりの人間が立っていた。


 打った。


 一、二塁間。


 抜ける。

 そう見えた。


 二塁手が追いついた。

 一塁へ。

 アウト。


 大島はベースを駆け抜け、そのままベンチへ戻った。

 日下部は三塁へ進んでいた。

 黒田と三好が四球を選び、二死満塁。

 Kの打球は、遊撃手の正面だった。

 三者残塁。


 八回を終えて、0対0。

 スコアボードの上段にも、下段にも、同じ数字が並んでいた。


    *


 九回表。

 柴崎が出た。

 アナウンスが名前を告げると、歓声が上がる。

 抑えが、同点の九回に出てくる。

 今日は、そういう試合だった。


 先頭を二ゴロ。

 一死。

 次打者に中前へ運ばれる。

 一死一塁。

 戸塚が右飛。

 二死。


 皆川。

 柴崎がロジンを触った。

 竹田はしゃがんだ。


 以前、柴崎は皆川に打たれている。

 竹田は、それを口にしない。

 柴崎も、皆川を長く見なかった。

 追い込む。

 皆川が二球粘った。


 最後の球。


 バットが空を切った。

 竹田のミットに収まる。


「ストライク! バッターアウト!」


 柴崎は拳を握らなかった。

 竹田と共にベンチへ戻る。


 高梨が立っていた。

 秋山も立っている。

 この日、マウンドをつないだ投手たちが、並んでグラウンドを見ていた。

 九つ目のゼロ。


    *


 倉橋が、マウンドへ戻っていった。

 百二十球を超えている。

 それでも戸塚はいつも通りホームへ向かい、倉橋はいつも通りボールを受け取った。


 フェニックスのベンチでは、真壁がメンバー表を見ていた。

 投手は、まだ残っている。

 野手も、使い切ってはいない。

 伊丹は、ベンチの一番前に立っていた。

 真壁がメンバー表を畳む。


 延長の準備は、十分だった。


    *


 九回裏。


 打順は、竹田からだった。


 初球を見送る。


 二球目。

 三遊間を抜けた。


 左前打。


 歓声が落ちてくる。

 一塁を踏んだ竹田が顔を上げると、伊丹がもうベンチを振り返っていた。


「今井」


 代走が出る。

 竹田はヘルメットを外し、ベンチへ戻った。

 早川が送る。

 一死二塁。


 岩瀬の二ゴロで、今井が三塁へ進んだ。

 二死三塁。


 日下部。

 竹田は、ベンチの前で立ったまま見ていた。

 今日、この打者に安打はない。


 打席に入る。

 倉橋がプレートを踏む。

 戸塚がしゃがむ。


 初球、ストライク。


 二球目、外。

 日下部は見送った。


 三球目、ファウル。

 一ボール二ストライク。


 竹田は、倉橋のグラブを見ていた。

 今日、ここまで外を使い続けた投手だった。


 日下部が、一度だけバットの先を見た。

 三回に、ベンチで見たのと同じ仕草だった。


 構える。


 倉橋が投げた。


 低い。

 外ではなかった。


 日下部のバットが出る。


 鈍い音がした。


 打球は、倉橋の正面へ転がった。


 戸塚が立つ。

 倉橋が前へ出る。


 日下部が走る。

 今井も、三塁を離れた。


 投手ゴロだった。


 倉橋がグラブを出す。


 白球が、マウンドの傾斜に入った。


 跳ねた。


 倉橋の手が、空を切った。


 その横を、白球が抜けていった。


 二塁手が遅れて前へ出る。


 捕球、一塁へ。


 今井がホームを踏んだ。


 そして一塁。


「セーフ!」


    *


 一拍、遅れた。


 それから、音が来た。


 スタンドが揺れる。


 今井が両腕を上げた。


 ベンチから選手が飛び出していく。


 日下部は、一塁を回ったところで仲間に捕まっていた。


 1対0。


 サヨナラ。


 竹田も、輪の中へ走った。


 大島がいる。

 柴崎がいる。

 秋山も、高梨もいた。


 Kが、そこへ入ってくる。


 輪の外ではなかった。


 伊丹は、少し遅れてベンチを出た。

 その途中で、一度だけマウンドの方を見た。


 戸塚が、ホームの後ろに立っている。

 やがて、足元のマスクを拾った。

 倉橋は、マウンドの前にいた。


 最後まで投げた。


 最後の打者にも、芯では打たせなかった。


 野手の失策もない。


 倉橋は、足元を見ていた。


 打球が跳ねたあたりに、特別なものは何もない。


 ならされた土があるだけだった。


 やがて顔を上げ、ベンチへ歩き出した。

 戸塚が、少し遅れてその後を追う。

 スコアボードには、ゼロが十七個と、最後の一つだけが残っていた。


 竹田は、輪の中でマスクを持ったままだった。

 明日は、Kが投げる。


 今日と同じ試合には、するつもりはない。


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