第22話 最終戦
レギュラーシーズン、最終戦。
残った三チームが、一つの二位と、一つの三位を争っていた。
フェニックス。
バイソンズ。
オーシャンズ。
そして今日、フェニックスはバイソンズをホームに迎える。
二位を賭けた最終戦。
勝った方が二位。
クライマックスシリーズのファーストステージを、本拠地で戦える。
負けた方は、オーシャンズの結果を待つ。
オーシャンズが負ければ三位。
オーシャンズが勝てば四位。
四位になれば、今季は終わる。
負けられないのは、フェニックスだけではなかった。
バイソンズも、オーシャンズも同じだった。
打撃コーチの相沢征司は、ベンチの奥で打順表を見ていた。
七番、指名打者に、Kの名前がある。
今日は、投げない。
*
フェニックス先発は、高梨だった。
緩急のある投球が持ち味で、気持ちの強い男だ。
真壁の信頼も厚く、二年連続で先発ローテーションの先頭に名を連ねている。
相沢は、相手の先発の欄をもう一度見た。
土屋。
制球に定評のある投手だった。
瀬戸とのバッテリーは、多くの勝ち星をバイソンズにもたらしてきた。
打つ側から見れば、一番やりにくい組み合わせだった。
*
一回表。
高梨は、先頭の坂口に四球を与えた。
続く沢井に、右前へ運ばれる。
藤崎にも四球。
アウトが一つも増えないまま、塁だけが埋まった。
無死満塁。
竹田がマウンドへ行った。
「一個ずつでいいです」
高梨がうなずく。
「まだ一回ですから」
竹田は戻った。
四番、神崎。
前の対戦で、Kを最後まで苦しめた男だった。
初球、外。
ボール。
二球目、内角。
ファウル。
三球目、低め。
神崎が振った。
打球が左中間へ伸びる。
外野が追う。
届かない。
二人が還った。
0対2。
二塁へ滑り込んだ神崎が、立ち上がってバイソンズのベンチへ拳を向けた。
ベンチが沸く。
まだ、無死だった。
長谷部の右犠飛で、もう一点。
村井が中前へ運んで、また一点。
0対4。
バイソンズのベンチから、声が飛び続けていた。
「よし!」
「もう一本!」
村井も、一塁で手を叩いていた。
勝てば二位。
それは、向こうも同じだった。
最後の一試合を譲る理由は、どこにもない。
高梨は、そこから二人を抑えた。
一回、四失点。
ベンチへ戻る高梨を、竹田が待っていた。
「まだ八回あります」
高梨は、スコアボードを見なかった。
相沢は見た。
最初の枠に、四という数字が灯っていた。
*
一回裏、フェニックスの上位打線は土屋の前に三人で終わった。
相沢は、土屋を見ていた。
圧倒的な球を投げているようには見えない。
それでも、打球の先には必ず野手がいた。
二回、高梨がゼロを取った。
高梨は、立ち直っているように見えた。
二回裏、フェニックスは凡打が続き無安打、三人で終わった。
三回も、神崎に安打を許しながら、ゼロで並べた。
初回とは、違っていた。
それでも、四点は残っている。
三回裏、ようやく下位打線が土屋を捕まえた。
Kは遊ゴロに倒れた。
だが、竹田が出て、岩瀬が続く。
早川が倒れ、二死一、二塁。
日下部が外角の球を右へ運んだ。
一、二塁間を抜ける。
竹田が三塁を回った。
1対4。
ベンチへ戻った竹田は、すぐに防具を手に取った。
「あと三つ」
誰に言うでもなく、そう言った。
その回は、一点で終わった。
*
四回裏、Kの二打席目。
捕手の瀬戸がサインを出す。
初球、内角。
見送る。
二球目、外角。
ストライク。
三球目、また外。
ファウル。
四球目は低い。
Kは振らない。
五球目、高め。
Kが振った。
空振り三振。
ベンチへ戻るKを、相沢は見ていなかった。
見ていたのは、瀬戸だった。
ノートに書く。
最後の球。
その一つ前。
さらに、その一つ前。
ページを戻す。
別の打者。
また戻る。
相沢のペンが、一度止まった。
*
五回表、高梨はまた走者を背負い、それでも点はやらなかった。
初回に四点。
そこから、四つのゼロ。
五回裏、岩瀬が出た。
早川が送る。
日下部が左前へ運び、岩瀬が還った。
2対4。
スタンドの音が、少し変わる。
片瀬も続いて、一死一、二塁。
大島が打席に入った。
初球、外。
ボール。
二球目、外角低め。
ストライク。
三球目、内角。
大島が身体を引く。
四球目、外。
振った。
中飛。
走者は動けない。
次の打者も倒れた。
二人、残塁。
バイソンズの内野が、声を掛け合いながら戻っていく。
瀬戸が、土屋の背中を叩いた。
追われている。
向こうも分かっている。
だから、二点差で止めた。
「二点だ!」
「まだある!」
フェニックスのベンチから声が飛んだ、そのときだった。
他球場速報が更新された。
オーシャンズ、4対1。
ベンチの声が、一瞬だけ小さくなる。
フェニックスが負けて、オーシャンズが勝てば、四位。
今日で、終わる。
相沢の視界の端で、大島が一度だけその表示を見た。
それから、グラウンドへ戻っていった。
*
六回表、バイソンズの下位打線が高梨を捕まえた。
安打。
四球。
送りバント。
一死二、三塁。
「一本!」
「ここだ!」
九番打者が中前へ運び、三塁走者が還る。
2対5。
なお一死一、三塁。
打順は、坂口へ戻っていた。
右前打。
2対6。
バイソンズのベンチが沸いた。
神崎も前へ出て、手を叩いている。
ようやく二点差まで詰めたところで、突き放された。
向こうにとっても、大きな二点だった。
真壁がマウンドへ出て、高梨からボールを受け取った。
相沢は、その背中を目で追った。
「初回のあと、よくここまで持たせた」
高梨が唇を噛む。
マウンドを降りる背中に、拍手が起きた。
応援歌も鳴っていた。
高梨は、下を向いたまま歩いてきた。
2対6。
オーシャンズは、勝っている。
残りは、三回。
大島が、またスコアボードを見ていた。
六。
二。
その横に、他球場の数字。
長くは見ていなかった。
一度見れば十分なことを、大島は知っている。
*
六回裏、Kがこの日初めて安打を打った。
一塁でリードを取る。
一度、ベンチを見た。
そのまま、動かなかった。
点にはならなかった。
安打は出ている。
四球もある。
まったく打てていないわけではない。
それなのに、二点だった。
相沢はノートを閉じ、立ち上がった。
真壁のところへ行く。
「真壁」
「ん?」
「これ、見てくれ」
ノートを渡す。
「投手側から、どう見える」
真壁がページを開いた。
少し見て、ボールペンを、二度ノックする。
相沢は黙って待った。
この男がそれをやるときは、答えが出る。
相沢が指す。
「ここ」
打った球ではない。
その一つ前だった。
「こっちも」
別の打者。
また、一つ前。
真壁がページをめくる。
目が止まった。
「……なるほどな」
「偶然じゃないよな」
「違う」
真壁が指した。
「ここ。内を見せてるだろ」
「ああ」
「ただ内に投げてるんじゃない。身体を起こすところまで入れてる」
次の打席は、高め。
そのあと、低め。
「高めを意識させて、落とす」
別のページでは、順番が逆だった。
先に低め。
そのあと、外。
「やってることは、打者ごとに違う」
「ああ」
「でも、思考は一緒だ」
相沢が真壁を見る。
「次に打たせたい球を、その前で作ってる」
「そういうことか」
真壁は、ノートを閉じなかった。
「しかも、打たせる球だけじゃない」
「見せ球も?」
「ああ」
「瀬戸、か」
真壁は、ページをもう一度戻した。
「だが、土屋だから成立してる部分もある。見せ球まで、全部厳しい」
相沢は、少し考えた。
「継投に入っても、同じ設計で来るかな」
「瀬戸は、代わらないだろうからな」
真壁は、一瞬だけスコアボードを見た。
2対6。
六回。
残された攻撃は、三回。
「そういうことなら急げ」
相沢はうなずいた。
*
二人は、打者ごとの組み立てを拾い始めた。
「これは内で起こしてから外」
「こっちは高めから低め」
「これは逆だ。低めを見せて、目線を残してる」
長く話す時間はない。
次の打席が来る。
相沢は、ネクストへ向かう選手を一人ずつ呼び止めた。
「球を決めつけるな」
ノートを見せる。
「向こうが何を打たせたがってるか。それだけ頭に入れろ」
答えは、渡さなかった。
渡せるのは、見る場所だけだった。
選手がうなずく。
次。
また、次。
七回が始まった。
*
相沢は、ベンチの前から打席を見ていた。
フェニックスの打者が、打席の中で確かめている。
内を見せられる。
次は外。
来た。
別の打者。
高めを見せられる。
次は低い。
それも、来た。
分かっていても、打てなかった。
外なら、外へ投げ切る。
低めは、低めから浮かない。
見せ球も、甘くない。
七回裏、走者は出た。
大島も安打を打った。
それでも、無得点。
2対6。
読みは当たっていた。
それでも、打てない。
その向こうで、土屋がベンチへ戻っていた。
七回、二失点。
瀬戸が迎え、二人が拳を合わせる。
十分な仕事だった。
ブルペンから、中継ぎ投手が出てくる。
相沢は立ち上がった。
真壁も、その投手を見ていた。
何も言わなかった。
*
八回表、フェニックスの救援陣がゼロを取った。
攻守交代。
他球場速報が更新される。
オーシャンズ、7対2。
相沢は、それを見なかった。
八回。
スタンドのあちこちから、ため息が漏れた。
残る攻撃は、二回。
2対6。
*
八回裏。
先頭は成瀬。
ネクストへ向かう前に、相沢が呼び止めた。
「成瀬」
振り返る。
「内を見せられても、そこで終わるな」
「外まで一組?」
「ああ」
相沢が続ける。
「ただし、決めつけるな。違ったら捨てろ」
「分かった」
バイソンズの中継ぎが、セットに入る。
初球、外。
見送る。
二球目、内角。
ここまでは、七回までと似ていた。
ただ、少し遠い。
先発の球ほど、身体を起こされない。
成瀬がファウルにする。
瀬戸が外へ構えた。
三球目。
ミットより、ボール一つ内へ入った。
七回までなら、バットの先だった球だった。
成瀬が振る。
芯。
左中間を抜けた。
二塁へ。
無死二塁。
スタンドが沸いた。
相沢は、打球ではなくマウンドを見ていた。
真壁も、同じだった。
設計は、変わっていない。
精度だけが、少し違った。
*
Kが打席へ向かおうとする。
伊丹がサインを出した。
送りバント。
Kの足が、一度止まった。
伊丹を見る。
伊丹は、同じサインを出した。
Kは、すぐには動かなかった。
打席を見る。
もう一度、伊丹を見る。
ほんの少しだけ、間があった。
それから、小さくうなずいた。
相沢が言う。
「ここでバントですか」
「まず一点だ。圧をかける。取れれば流れができる」
「Kのバント、僕は見たことありません。できるのですか」
「なんだと。先に言え」
伊丹は相沢を見た。
だが、もう遅かった。
打席に入る。
普通に構えていた。
バットは、寝かせない。
ベンチで、大島が身を乗り出した。
「……バントだよな?」
「そう見えねえな」
黒田が言った。
投手がセットに入る。
二塁を見る。
前を向く。
足が上がった。
そこで、Kが動いた。
バットを寝かせる。
三塁手が前へ出る。
打球が転がった。
強い。
三塁手が走る。
拾う。
一塁へ。
「アウト!」
成瀬は三塁。
一死三塁。
Kが一塁を駆け抜けた。
「危っぶな……」
大島が苦笑した。
「下手だな」
「よく決まったな」
「向こうが下がってたからだ」
相沢は、三塁を見た。
「Kが普通に構えたまま、投手が動いてから出した。三塁が一歩遅れた」
「それでか」
「長打も警戒して、下がっていた」
瀬戸も、三塁手を見ていた。
三塁手が、小さく首を振る。
Kがベンチへ戻る。
伊丹と目が合った。
伊丹は何も言わない。
Kも、何も言わない。
入れ替わりに出ていく竹田が、Kの肩を一度だけ叩いた。
*
一死三塁。
竹田。
初球、内角。
見送る。
土屋ほど、厳しくない。
二球目、外。
今度は、少し高い。
竹田が振った。
右前。
成瀬が還る。
3対6。
竹田が一塁で拳を握った。
ベンチの声が、大きくなる。
まだ、三点差。
岩瀬が追い込まれ、低い球を一つ捨てた。
次の外角。
狙った場所より、少し高い。
岩瀬が振る。
左中間を抜けた。
竹田が二塁を蹴る。
三塁も回る。
「セーフ!」
4対6。
岩瀬は二塁。
一死二塁。
スタンドで、立ち上がる人が増えた。
四点差が、二点差。
「切れ!」
「一個だ!」
バイソンズのベンチからも、声が飛ぶ。
まだ、向こうが勝っている。
早川が右前へ運んだ。
岩瀬が三塁を回る。
5対6。
一点差。
球場の音が、一段上がった。
瀬戸がマウンドへ向かう。
投手コーチも出てきた。
「気づいたな」
相沢が言った。
「ああ」
投手交代。
左腕が出てくる。
瀬戸も、組み立てを変えた。
フェニックスが読んだのなら、その読みを外す。
バイソンズも、ここで終わるつもりはなかった。
*
日下部が打席に入る。
もう、七回までの答えは使えない。
新しい投手。
新しい配球。
日下部は粘って、最後は浅い外野フライ。
走者は動けない。
二死一塁。
「あと一人!」
「切れ!」
フェニックス側の声が、一瞬だけ小さくなる。
片瀬。
初球を見送る。
二球目を振った。
一、二塁間を抜ける。
早川が三塁へ。
二死一、三塁。
まだ、5対6。
四番の大島がバットを持った。
相沢はベンチの前に出た。
一瞬だけ、マウンドを見る。
瀬戸を見る。
もう、さっきまでの読みはない。
「大島」
大島が振り返る。
「行ってこい」
「おう」
伝えることは、それしかなかった。
*
二死一、三塁。
5対6。
大島が打席に入る。
バイソンズのベンチからは、声が飛び続けていた。
瀬戸がマウンドへ行き、短く話して戻る。
初球、外。
ボール。
二球目、外角。
ストライク。
大島は振らない。
三球目、低い。
ボール。
四球目、外角。
振った。
ファウル。
二ボール二ストライク。
大島が打席を外した。
バットの先で、土をならす。
顔を上げる。
大島の目が、順に動いた。
照明。
ベンチの手すり。
土。
スコアボード。
相沢には、大島が何を見ているのか分かった。
長くやってきた打者は、最後にああやって確かめる。
毎日見てきたものを。
打席へ戻る。
瀬戸が構える。
ここまでとは、もう違う。
フェニックスが読んだから、バイソンズが変えた。
大島は、その変わったあとを待っているように見えた。
投手が足を上げる。
投げる。
外へ投げ切るはずの球が、わずかに中へ入った。
大島が踏み込む。
振った。
乾いた音がした。
左翼手が振り返る。
走る。
フェンスへ。
まだ下がる。
大島は、もう走り出していた。
左翼手が跳ぶ。
届かない。
その向こうへ、消えた。
一瞬、球場から音が消えた。
次の瞬間、揺れた。
三塁走者が還る。
一塁走者も還る。
8対6。
フェニックスのベンチでは、全員がベンチの前まで出ていた。
竹田が両腕を上げる。
高梨も、ベンチの一番前まで出ていた。
相沢は、手を叩いていた。
その横で、真壁も叩いていた。
大島が二塁を回る。
瀬戸がマスクを外し、打球の消えた左翼席を見ている。
神崎は、腰に手を当てて立っていた。
唇を結ぶ。
七回まで投げた土屋は、ベンチの手すりを強く握っていた。
まだ、九回がある。
大島が三塁を回り、ホームへ向かう。
仲間が待っていた。
8対6。
この日初めて、フェニックスが前に出た。
*
記者席で、榊原も立っていた。
気づいて、座る。
ノートを見ると、今日のページには試合の経過ばかりが並んでいた。
榊原は、そのまま続きを書いた。
*
九回表。
柴崎がマウンドへ向かう、その途中だった。
他球場速報が、最終結果に変わった。
オーシャンズ、勝利。
スタンドがざわめく。
竹田は、速報を見なかった。
マスクをかぶり、ホームへ走る。
柴崎の投球を受けて、返す。
もう一球。
返す。
最後に立ち上がり、ボールを柴崎へ投げた。
勝てばいいだけ。
そういう背中だった。
先頭の坂口が、左前へ運んだ。
無死一塁。
バイソンズのベンチが立つ。
「まだある!」
「つなげ!」
坂口も、一塁からベンチへ手を叩いた。
二点差。
走者一人。
終わっていない。
沢井を、柴崎が追い込む。
外の直球。
空振り三振。
藤崎は、右へ打ち上げた。
二死。
あと一人。
神崎が、ベンチを出た。
バイソンズ側の声が、さらに大きくなる。
一発なら、同点。
神崎が打席に入る。
竹田が構える。
初球、直球。
ファウル。
二球目、外。
ボール。
三球目、変化球。
ファウル。
一ボール二ストライク。
神崎が打席を外し、バットを握り直した。
「神崎!」
「一本!」
打席へ戻る。
竹田がサインを出す。
柴崎がうなずいた。
投げた。
神崎が振る。
バットの下を、ボールが通った。
ミットが鳴る。
「ストライク! バッターアウト!」
柴崎が拳を握った。
竹田が立ち上がる。
バイソンズのベンチから、声が消えた。
一塁の坂口が止まる。
神崎は、しばらく打席に立っていた。
それから、ゆっくりベンチへ戻っていった。
フェニックス側から、選手が飛び出した。
8対6。
試合終了。
東条フェニックス、二位。
*
高梨も、輪の中へ入っていった。
初回に四点を失った投手だった。
真壁が、その背中を押していた。
相沢は、ベンチの前に立ったまま、それを見ていた。
大島は、少し離れたところにいた。
スコアボードを見る。
八。
六。
その数字は、もう変わらない。
その先に、Kがいた。
輪の少し外。
何も言わず、仲間を見ている。
大島もKを見た。
「K!」
紅い頭部が向く。
大島が、顎で輪の中を示した。
「こっちだ」
Kが見る。
竹田たちが騒いでいる。
少しだけ、止まった。
それから、歩いた。
輪の中へ入る。
大島も、そのあとを歩いた。




