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K ―背番号89―  作者: K2MA


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21/34

第21話 残り一つ

 残り一週間。

 二位という場所が、毎日動いていた。

 オーシャンズが勝てば、フェニックスが落ちる。

 バイソンズが勝てば、その差が縮まる。

 ファルコンズは、もうずっと上にいた。

 残っているのは、その下だった。

 三つのチームが、一つの場所を争っていた。


    *


 フェニックスは残り六試合。


「Kを指名打者で使いたいです」


 相沢が言った。

 監督室の机には、残り試合の日程が置かれていた。


「七番です。八番には竹田」


 伊丹は日程から目を上げた。


「第二のクリーンナップか」

「はい」


 若槻から本塁打を打ったあとも、Kは代打で使われていた。

 四球。

 左前打。

 空振り三振。

 右中間への二塁打。

 結果だけではない。

 投手が持つ時間を変えても、以前のようには崩れなくなっていた。

 伊丹は真壁を見た。


「どうだ」

「反対です」


 真壁はすぐに答えた。


「Kは先発です」

「分かってます」


 相沢が言った。


「今やることじゃない」

「今だからです」


 真壁は相沢を見た。


「打席に立つだけじゃない。走る。調整も変わる。疲労の出方も変わる」


 相沢は黙って聞いた。


「今は投球に影響が出てない。でも、出てから戻せる保証はない」


 投げて打つ投手を、真壁は一度も預かったことがなかった。

 どんな変化が出て、どこから崩れるのか。

 真壁は分からない。


「残り試合で、使える打者を使わない余裕はありません」

「先発を一人失う余裕は、もっとない」


 部屋が静かになった。

 伊丹は、机の日程を見た。

 しばらくして、言った。


「使う」


 真壁は何も言わなかった。


「先発の日は投手だけ。守備はなしだ。少しでも何か変わったら、お前が止めろ」


 真壁を見る。


「壊すなよ」


 伊丹がその言葉を真壁に言うのは、二度目だった。


「分かりました」


 伊丹は相沢へ向いた。


「打つ方は任せる」

「はい」


 最後に、日程を指で叩いた。


「一つも落とせん」


    *


 その日の打順表に、Kの名前が入った。


 七番、指名打者、K。


 八番は竹田。

 竹田は紙を見て、Kを見た。


「俺ら、第二のクリーンナップらしいぞ」


 Kは何も返さなかった。


「反応しろよ」


 それでも返事はない。

 竹田は肩をすくめた。


「まあ、打ちゃいいか」


 試合が始まった。

 相手も、もうKを代打とは見ていなかった。

 外を使う。

 内を突く。

 左をぶつける。

 持つ時間を変える。

 Kも、全部は打たなかった。


 それから数日。

 凡退する日があった。

 一本だけの日もあった。

 四球で歩く日もあった。

 投げる日は、マウンドだけに立った。

 真壁は、そのたびに映像を並べた。

 足の上がる高さ。

 重心の移動。

 腕の位置。

 投げ終わった身体の向き。

 今のところ、変わっていなかった。


    *


 残り四試合。


 七回裏。

 2対2。

 一死。


 Kが、一塁にいた。

 打席には竹田。

 相手投手がセットに入った。

 Kがリードを取る。

 投手が一度、見る。

 Kは戻らない。

 投手が前を向いた。

 足が上がった。

 Kが走った。


「え」


 竹田の声が漏れた。

 捕手が立つ。

 送球が二塁へ飛ぶ。

 Kは滑り込まなかった。

 そのまま二塁を駆け抜けるように踏み、止まった。


「セーフ!」


 球場が沸いた。

 竹田は打席から二塁を見た。


「……お前、走れんのか」


 Kはベースの上に立っていた。

 伊丹は笑っていなかった。


 その二球後。

 竹田が直球を左前へ運んだ。

 Kは二塁を蹴った。

 三塁を回る。

 送球は返ってこなかった。

 Kがホームを踏んだ。

 3対2。

 フェニックスが、そのまま勝った。


「誰が走れっつった!」


 試合後。

 監督室に、伊丹の声が響いた。

 Kは立っていた。


「サインは出してねえ。勝手に行ったよな?」


 Kがうなずく。


「成功したからいいんじゃねえんだ!」


 伊丹が机を叩いた。


「お前がどれだけ走れるか、こっちは知らねえんだ!」


 Kは動かなかった。


「何を見て行ったのかも、こっちは知らねえ!」


 伊丹はKを見た。


「チームで野球やれ!」


 少し間があった。

 Kが、うなずいた。


「行け」


 Kが頭を下げ、部屋を出た。

 廊下に竹田がいた。


「走るなら先に教えろよ」


 Kが止まる。


「こっちは普通に打とうとしてたんだぞ」


 竹田はKの横に並んだ。


「次から勝手に行くな。俺かベンチ見ろ」


 Kは竹田を見た。

 少ししてから、うなずいた。


    *


 その夜。


「怒られた」

「だろうな」

「成功した」

「だから?」

「まだまだベイビーだな」


    *


 翌日。


「オーシャンズ、明日からファルコンズと三連戦っすね」


 ロッカーで、若手が言った。


「じゃあ三日間、ファルコンズ応援っすね」


 別の選手が笑った。


「でも、もう優勝決めてるからな」

「主力、休ませるかもしれないですよね」

「一個でも勝ってくれたら、だいぶ楽になるんだけどなあ」


 竹田がグラブをバッグへ入れた。


「その前に、俺らが勝たないと意味ないだろ」

「それはそうですけど」

「だったら、まずそっちだろ」


 竹田はファスナーを閉めた。


「やること変わんねえよ」


 少し離れたところで、大島が聞いていた。

 何も言わなかった。

 やがて選手たちが帰っていく。

 ロッカーの照明が、少しずつ落ちた。

 大島だけが残った。

 壁のテレビでは、別の球場の試合が続いていた。

 画面の端に、順位表が出ていた。

 大島は座ったまま、それを見ていた。

 三十五歳。

 来年も同じ場所にいられるとは、考えていなかった。


    *


 残り二試合。


 九回表。

 一点差。

 二死。


 柴崎は、マウンドで皆川を見た。

 少し前。

 この打者に、本塁打を打たれている。


 一ボール二ストライク。

 柴崎は竹田のサインを見た。

 うなずいた。


 四球目。


 振った。


 空振り。


「ストライク、バッターアウト!」


 試合が終わった。

 フェニックスが、一点差を守った。


 試合後。

 人のいなくなった通路を、Kが歩いていた。

 向こうから柴崎が来た。

 二人は、そのまますれ違う。

 直前。

 柴崎が拳を出した。

 Kが止まった。

 一度、拳を見る。

 少し遅れて、自分の拳を当てた。

 柴崎は歩き続けた。


「俺、こないだの勝負、負けたと思ってねえから」


 振り返らなかった。

 Kだけが、その背中を見た。


    *


 榊原は、四年前の映像を何度も止めていた。


 ONO。


 今のK。


 二つの映像を並べる。

 速度は違う。

 身体の厚みも違う。


 それでも。


 足の上げ方。

 重心の移り方。

 腕の出る位置。

 投げ終わった身体の向き。

 似ている。

 同じ投手だ。

 そう書きたくなる。

 書けない。

 Kの顔を知らない。

 ONOの本名も知らない。


 榊原は、もう一つ映像を開いた。

 広瀬和巳。

 三人を並べる。

 スプリット。

 サインが決まってから、打者を見直す短い間。

 そこには、広瀬がいた。

 だが、直球は違った。

 ONOとKの直球は似ている。

 広瀬の直球とは、そこまで似ていない。

 榊原はノートに書いた。


――広瀬から教わった?


 その下。


――なら、直球は?


 答えは増えなかった。

 問いだけが、一つ増えた。


    *


〈元投手だろ〉

〈野手じゃないとあの打ち方は無理〉

〈海外いたんじゃね〉

〈何歳なんだよ〉

〈知らん。顔も見えんし〉

〈てか足速すぎだろ〉


 少し前なら、それだけで何百件も返信がついた。

 今は違った。


〈オーシャンズ勝った〉

〈バイソンズも勝ってる〉

〈明日落としたら終わるぞ〉

〈二位どこだよ〉


 Kが誰なのかより。

 どのチームがどこで終わるのか。

 そちらの方が、先に来ていた。


    *


 東条グループ本社。


 夜。


 久世が報告を終えた。


「以上です」


 東条一成は、手元の資料を見ていた。

 久世は、その場を離れなかった。


「会長」

「何だ」

「89が打てることを、最初からご存じだったんですか」


 一成が顔を上げた。


「久世」

「はい」

「余計な詮索はするな」


 久世は黙った。


「言われた通りにしていればいい」

「……承知しました」


 久世が部屋を出た。

 扉が閉まる。

 一成は、手元の資料へ視線を戻した。


    *


 夜。

 ロッカーに残っていたのは、三人だった。

 竹田はバッグを肩にかけた。


「明日だな」


 Kが竹田を見る。


「最後」


 Kの指が止まった。


「シーズンの話だよ」

「縁起でもねえこと言うな」


 後ろから、大島が言った。


「まだ先がある」

「勝ったら、ですけどね」

「勝つんだよ」


 大島はロッカーを閉めた。

 三人が出ていく。

 照明が消えた。

 長かったペナントレースも、残すところ一試合。

 二位を争う三チームの順位も、その一日で決まる。

 そして翌日。


 ペナントレース、最後の日がやってきた。


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