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K ―背番号89―  作者: K2MA


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20/34

第20話 顔

 ペナントレースも、終盤に入っていた。


 Kの正体探し。

 ネットは、混沌としていた。

 陰謀論のような動画は、相変わらず伸びていた。

 だが、正体探しは一向に進展していない。

 行き詰まっていた。


    *


 夜の編集部には、キーボードの音が二つしか残っていなかった。


 榊原遼介も行き詰まっていた。


 打者Kの存在が、思考を混乱させていた。

 スイーパーもノイズだった。


 いったん、これまでの取材の整理をすることにした。


    *


 世間が持っていなくて、自分が持っている情報。


 それは、伊丹への取材だった。


 広瀬和巳との類似点。


 榊原はしばらく開かずにいた記事を開いた。


『広瀬和巳さん、少年野球教室で子供たちと交流』


 六年前。

 広瀬が引退した年の、冬の記事だった。

 参加したのは、市内の小学生と中学生、およそ四十人。

 榊原は、写真の子供たちの顔を見るのをやめた。

 Kの顔は知らない。

 見るなら、別のところだ。

 今のKほどの球を投げる原石がいたなら、元メジャーの投手が何も言わなかったはずがない。

 記事には、誰の名前も出てこなかった。


 仮に、六年前に十一歳なら、今は十七歳。

 百六十キロを投げて一軍で七回を投げ切るには、若すぎる。

 市の少年野球連盟に参加者を問い合わせると、最年長は中学一年生が二人だけだった。

 一人は、今年の夏に高校三年の外野手として県大会に出ていた。

 もう一人は、中学の途中で野球をやめていた。

 この教室に、答えはなかった。

 広瀬がここで誰かと出会っていたとしても、この記事からは確かめようがない。

 榊原は記事を閉じた。


    *


 ノートの新しいページに、これまでに見たものを書き出した。


 二度目の登板。

 四回のバント処理で、Kは一度、二塁を見た。

 伊丹の言葉。

 サインが決まってから、足を上げるまでの間。

 広瀬はそこで一度だけ打者を見直した。

 Kも、見ているように見えた。


 そして、この一か月の打席。

 オーシャンズ戦で、倉橋から同点打。

 その後、四打席続けて凡退。

 どの投手も、セットで長く持ち、プレートを外し、間を変えてきた。

 Kはそれに崩された。

 並べてみても、線にはならなかった。

 本人は喋らない。

 なら、打撃の崩れ方は、打撃コーチに聞くしかない。


    *


 翌日、試合前の取材エリア近くに、相沢征司の姿があった。

 打撃コーチが記者の前で足を止めることは、ほとんどない。

 榊原はグラウンドへ向かう相沢に声をかけた。


「少しだけ、聞きたいことが」

「Kの話なら、球団に聞いてください」


 相沢は足を止めずに言った。


「経歴の話ではありません。打席の話です」


 相沢がようやく止まった。


「一時期、四打席続けて凡退しました。どの投手も、長く持ってきた」

「そうですね」

「崩されていた理由は、何だったんでしょう」

「間を変えられて、崩れた。それだけです」

「よくあることですか」


 相沢は少し考えた。


「日本の投手は、持つ時間を好きに変えますから」


 相沢はグラウンドの方を見た。


「日本に来たばかりの外国人の打者が、最初によくやられる崩れ方でした。珍しいことじゃありません」

「Kも、そうだったと」

「崩れ方の話です」


 相沢はそこで話を切った。


「今は、崩れてませんよ」


 確かにKは、本塁打を打った。

 それからは何度か代打で起用され、間を変えられても結果を残している。

 相沢はそれだけ言って、グラウンドへ歩いていった。


    *


 編集部に戻り、榊原は相沢の言葉を原稿に起こした。


 間を変えられて、崩れた。

 日本に来たばかりの外国人の打者が、最初によくやられる崩れ方。

 今は、崩れていない。


 メモを整理しようと、ノートのページをさかのぼった。

 二度目の登板の日付のところで、手が止まった。

 海外?と書かれていた。

 四回のバント処理の横に、自分で書いた疑問符だった。

 この国の野球で何年も投げてきた投手なら、考える前に一塁を選ぶ場面。

 Kはそこで一度、考えていた。

 あのときは、それだけだった。


 榊原は今日の相沢の言葉を、その横に置いた。

 日本の投手の間に、崩された。

 日本に来たばかりの外国人と、同じ崩れ方で。

 投げる方では、この国の野球の当たり前を、いくつか知らないように見えた。

 打つ方では、この国の投手の間に、慣れていないように見えた。

 同じ方向を指していた。


 日本の外で、野球を覚えた。

 榊原は、そこで止まらなかった。

 竹田の囲み取材を思い出す。


 こっちの話は聞いてますよ。


 Kは竹田の日本語に、その場でうなずき、首を振る。

 ベンチでかけられた注文が、次の回の投球に変わる。

 言葉は、通じている。

 投球そのものも、独学ではない。

 あのスプリットには、広瀬の手触りがある。

 今の打者に合わせたスイーパーもある。

 試合の途中で、投げ方を直せる。

 誰かが、確かな知識で育てている。

 榊原は、ページの一番下に書いた。


 日本の外で野球を覚え、確かな知識を持つ誰かに育てられた、日本語を話す投手。


 そして、広瀬和巳の指導を受けていた可能性がある。

 どれだけ探しても、国内に経歴が見つからない。

 その理由の一つには、なるかもしれなかった。


    *


「海外?」


 デスクは榊原のノートから顔を上げた。


「数年前に、日本の外のリーグで投げていた可能性を当たりたいんです」

「どこの」

「分かりません。独立リーグか、冬のリーグか」

「雲をつかむ話だな」

「はい」


 デスクはしばらく黙っていた。

 以前なら、そんな暇があるなら名前を持ってこい、と言った男だった。


「三日やる」


 デスクはノートを返してきた。


「三日で何も出なけりゃ、戻ってこい。試合の原稿は、ほかの奴に回す」


    *


 一日目は、大きな球団の下から当たった。

 アメリカのメジャーリーグの傘下にある、二軍、三軍にあたるリーグ。

 海外のプロリーグの、下部組織。

 そこと契約していた選手が日本の球団へ移るなら、必ず記録が残る。

 契約の解除。

 移籍の手続き。

 リーグの公示。

 フェニックスがこの五年で海外の球団から獲った選手は、三人。

 三人とも、外国人選手だった。

 Kの登録の公示には、前の所属が書かれていない。

 下部組織の名簿も、五年分さかのぼった。

 日本出身で、右投げ左打ちの投手は、ほとんどいない。

 いた数人は、全員、今どこで何をしているかが分かった。

 大きな球団の下に、Kはいなかった。


 二日目は、その外へ出た。

 独立リーグ。

 冬や夏の短い期間だけ開かれるリーグ。

 名簿が残っていないリーグの方が、多かった。

 残っていても、名前だけ。

 背番号も、年齢も、書かれていない。

 記録では、探せない。

 榊原は、探し方を変えた。

 残っている試合の映像を、片端から開く。

 配信の録画。

 球団が上げた短いハイライト。

 観客が撮った動画。

 日本人らしい投手が映っているものを、一本ずつ見ていく。

 まさに、雲をつかむ話だった。

 二日目の夜が明けても、見つからなかった。


    *


 三日目の夜だった。

 北米の独立リーグの、ある球団が上げていた古い配信の録画に行き当たった。


 四年前の日付。

 再生回数は、二桁しかない。

 観客のまばらな、小さな球場だった。

 外野のフェンスに、手書きのような広告が並んでいる。

 音声には、実況も入っていない。


 四回。

 マウンドに、細身の投手が上がった。

 足が上がる。

 腕が出る。

 直球。

 球場の表示は、九十一マイル。

 百四十六キロほどだった。

 Kほど速くはない。

 次の打者。

 捕手がサインを出す。

 投手がうなずく。

 足を上げる前に、一度だけ、打者を見た。

 短い間だった。

 それから、投げた。

 打者の手前で、球が沈んだ。

 空振り。


 榊原の腕に、鳥肌が立った。


 映像を戻す。

 サインが決まる。

 うなずく。

 打者を、見直す。

 投げる。

 沈む。

 もう一度、戻す。

 サインが決まってから、足を上げるまでの間。

 伊丹が止めさせた場所と、同じだった。

 榊原は、日付をもう一度見た。


 四年前。

 広瀬が引退して、二年後。

 亡くなる、二年前だった。


 四年前なら、広瀬和巳はまだ生きている。

 この投手に、教えることができた。

 投手がマウンドを降りるとき、背中が映った。

 榊原は、画面に顔を近づけた。

 粗い画質の中で、背中のアルファベット三文字だけが読み取れた。


 ONO。


 下の名前は、ない。

 榊原は、映像の中から分かることを拾っていった。

 マウンドの前で並んだとき、捕手より頭半分ほど高い。

 恐らく、百八十五センチ前後。

 肩も腰も、まだ薄い。

 今のKより、ずっと軽い。

 鮮明ではない。

 だが、帽子の下の顔には、幼さが残っているように見えた。

 十代の終わりか、それより少し前かもしれない。

 それが四年前なら、今は二十歳を少し過ぎたあたりになる。

 直球は、今のKより十キロ以上遅い。

 それでも、この間と、この落ち方があった。

 この数年で、誰かがこの投手を今のKにしたのだとしたら。


 榊原は、ONOという名字を、いくつもの書き方に置き換えて探した。

 小野。

 大野。

 日本中にいる名字だった。


 四年前に海を渡ったという記事も、帰国したという記事も、出てこない。

 名字だけでは、どこにも着かなかった。

 榊原は、投手が次の打者を待つ場面で、映像を止めた。

 帽子の下に、若い顔がさっきより大きく映っていた。

 画質は粗い。

 それでも、目も口も分かる。

 顔は、映っていた。


 ただ、Kの顔を、榊原は知らなかった。


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