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K ―背番号89―  作者: K2MA


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16/34

第16話 横へ

 サヨナラ本塁打から、二週間ほどが過ぎていた。


 Kは、先発ローテーションから外れていなかった。

 登板のない日には、ブルペンに入る。

 その前後に、相沢征司が打撃を見る。

 ティー。トス。時々、打撃投手の球。

 室内練習場に、ボールがネットを叩く音が続いていた。

 相沢が投げる。

 Kがセンター方向へ返す。

 次は、右中間。

 三球目は、引っ張った。

 少し離れたところで、投手コーチの真壁が腕を組んでいた。


「どうなんだ」

「もう少し見たいですね」

「それ、二週間前も聞いたぞ」

「二週間しか見てませんから」


 真壁が鼻で笑った。

 Kが構える。

 左打席で、前足が少し開く。

 相沢が投げる動作に入ると、その足がわずかに内へ戻った。

 相沢は一度だけ目を細めた。


「……そういえば、変わった入り方だな」


 最後の打球が、ネットを鳴らした。


「今日は、これで」


 Kがうなずいた。


    *


 大阪バイソンズのミーティングルームで、映像が止まった。

 二ストライクから、Kが高めの直球を投げる。

 打者がファウルにする。

 次の打席では、低めのスプリットを空振り。


「前は、低いのを振るなって話をした。今日は、追い込まれてからだ」


 打撃コーチが、画面を上から下へなぞった。


「決め球は、上の直球と、下のスプリット。横もあるが、追い込んでから決め球に使ったことは、ほとんどない」

「どっち待つんです?」


 神崎が聞いた。


「決めるな。上はファウルでいい。下はバットを止めろ。球数を使わせるんだ」

「あのキレの上下でやるのは、簡単じゃないですよ」

「そうだな。だが、数を投げさせれば、早く引っ込む」


 画面の中央に、背番号89が止まっていた。


    *


 一回表、先頭の坂口。

 一五二キロの直球で、ストライク。

 外れた直球は見送られる。

 三球目の直球をファウル。

 一ボール二ストライク。

 竹田が低く構える。

 スプリット。

 坂口の前足は着いたが、バットは出ない。


「ボール!」


 次の高めはファウル。

 もう一度低めへ落とすと、バットを止めた。

 フルカウントからの直球が、外れる。


「フォア!」


 七球。

 悪い球ばかりではなかった。

 それでも、アウトになっていない。


 二番の沢井に、直球を一、二塁間へ運ばれる。

 三番の藤崎は、二球で追い込んでから、ファウル、ボール、ファウル。

 七球目で、ようやく遊ゴロ。

 二塁だけがアウト。

 一死一、三塁。


 竹田がマウンドへ出た。


「球は来てる。向こう、最初から長くする気だ。追い込んでも、簡単に終わらねえぞ」


 四番の神崎も、二球で追い込んだ。

 高めをファウル。

 低めは止める。

 外角もファウル。

 もう一度、低めを見送る。

 七球目の直球を、センターへ上げた。

 坂口が還る。


 0対1。


 長谷部を二ゴロに取って、一回を終えた。


「二十六」


 ベンチで、真壁が数字を読んだ。


「追い込んでからが、長い」


 竹田がマスクを外した。

 バイソンズのベンチでは、コーチが神崎に、指を七本立ててみせていた。


    *


 二回も、同じだった。

 村井は五球目のスプリットで三振。

 高瀬には粘られて、左前へ。

 瀬戸を右飛、稲葉を見逃し三振。

 無失点でも、十八球を使った。


 三回は、坂口の二塁打と、藤崎の犠牲フライで0対2。

 三回まで、六十三球。


 球速は、落ちていない。

 スプリットも、変わっていない。

 それでも、二ストライクから打者が残った。


    *


 四回表。


 六番の村井に、二球で追い込んでから四球粘られ、七球目を三遊間へ運ばれた。

 竹田はマウンドへ行った。


「追い込んだら、上か下」


 Kが竹田を見る。


「こっちがそう考えてるのを、向こうも分かってる」


 七番の高瀬に、右中間への二塁打。

 瀬戸を浅い左飛に取ったが、稲葉の中前打で村井が還った。


 0対3。


 一死一、三塁で、坂口。

 初球の直球でストライク。

 二球目のスイーパーをファウル。


 竹田が低く構えた。

 Kは首を振らず、グラブの先を小さく外へ向けた。

 竹田が外へ構え直す。


 三球目。

 坂口の打球は、二塁の正面。

 大島から日下部、一塁へ。

 併殺。


 四回、十九球。累計八十二球。三失点。


「次の回、球数次第だぞ」


 真壁が言った。

 竹田はKの隣に座った。


「追い込むまでは、いけてんだよ」


 少し間を置く。


「終わらねえだけで」


 竹田は、しばらく黙ってミットの中でボールを転がした。


「K。次、ちょっと付き合え」


    *


 五回表。


 二番の沢井。

 直球でストライク。

 スプリットは見送られ、三球目の直球をファウル。

 一ボール二ストライク。


 また、ここまで来た。

 竹田がサインを出す。

 スイーパー。


 Kが首を振った。

 竹田は変えない。


 もう一度、同じサイン。


 Kが顔を上げる。

 竹田がミットを動かした。


 外へ。


 もう少し、外へ。


 ストライクを取る場所では、なかった。

 沢井は、高い直球に遅れないようにバットを立てている。

 低い球を止められるように、前足も残している。


 上と下。


 竹田のミットは、そこにない。


 横だった。


 Kがうなずく。

 直球の軌道から、球が外へ逃げる。

 沢井のバットが、追う。

 届かない。


「ストライク! バッターアウト!」


 三番、藤崎。

 一ボール二ストライクから、竹田はスプリットを出した。


(横なら)


 Kが首を振る。

 直球にも、首を振った。


 竹田の手が止まる。

 次のサイン。


 スイーパー。


 Kがうなずいた。


 藤崎のバットが出て、芯を外した。

 弱い三ゴロ。

 二死。


 四番の神崎は、今度は横を見送った。

 ファウルで粘り、最後は外角低めの直球を右飛。

 三者凡退。

 十六球。


 マウンドを降りるKに、竹田が追いついた。


「もう、バレたな」


 Kが神崎を見る。


「そりゃそうだ。でも、三つになった」


 竹田は、手を上へ、下へ、最後に横へ動かした。

 Kはその手を見ていた。


    *


 五回裏、大島の中前打と成瀬の二塁打で、1対3。


 六回表、Kは長谷部と高瀬を三振に取り、十一球で終えた。

 相手の待ち方も、変わった。


 六回裏、片瀬の二塁打と大島の犠牲フライで、2対3。


 七回表は、稲葉を三球三振、坂口を遊ゴロ、沢井を中飛。

 七球だった。


「終わりだ。七回で十分だ」


 ベンチの前で、伊丹が言った。

 Kはスコアボードを見た。


 2対3。


 少しだけ立ち止まってから、うなずいた。


「七回、百十六球。七安打、二四球、七三振。三失点」


 真壁が記録を読み上げた。

 四回まで、八十二球。

 そこから三回を、三十四球だった。

 竹田が防具を外しながら隣に座った。


「最初からやれたら、もっと楽だったな。でも、向こうも変えてくるもんな」


 少しして、竹田が言った。


「なんで今まで、あれで三振取りにいかなかったんだ?」


 Kは何も返さなかった。

 ただ、膝の上に置いた右手が、一度だけ握られた。

 竹田は数秒待った。


「……まあ、いいけど。次からは使うぞ」


 Kがうなずいた。


「それは、返事早いな」


    *


 七回裏、竹田の四球と岩瀬の安打のあと、早川の適時打で3対3。

 Kの負けが消えた。


 八回裏、黒田の犠牲フライで、4対3。

 九回を柴崎が締めた。

 Kに、勝ちはつかなかった。


    *


 記者席の人影が、減っていた。

 榊原遼介の画面には、五回の、沢井へのスイーパーが残っていた。

 前の登板の映像を開く。

 同じように、横へ大きく曲がる球がある。

 今日だけ、突然現れた球ではない。


「球が増えたわけじゃない……」

「何?」


 隣で荷物をまとめていた記者が振り向いた。


「いや」


 前から持っていた球だった。

 元々鋭さはある球だ。

 今日変わったのは、どこで、何のために使うか。

 その役割だった。


 別のタブには、広瀬の映像も残っている。

 スプリット。

 それは、もう分かっている。

 だが、それだけでは今日の試合を説明できなかった。


 左打席に立った夜。

 そして今日、前から持っていた球の使い方を、試合の途中で変えた。


 変えたと言うよりは、今日、使い方に気がついた。


 榊原は、そう感じた。

 榊原はノートを開いた。


 最初に書いていた問いは、「Kは誰だ」だった。


 その下に、もう一行書いた。


――どこで、野球を覚えた。


    *


 ロッカーでは、竹田が最後まで残っていた。

 Kは、少し離れた自分の場所で、グラブの紐を確かめている。


「今日の五回さ。俺が、横って言っただろ」


 Kがうなずく。


「次の藤崎は、お前からだったよな」


 また、うなずく。

 竹田は少し考えてから笑った。


「俺が思いついたつもりだったのに、次の打者でもうモノにしてやがんだもんな」


 Kは何も返さない。

 竹田はバッグのファスナーを閉めた。


「次は俺が見えてないの、お前が見つけろよ」


 竹田はそう言って、立ち上がった。


 Kは手を止めて、去っていく捕手の背中を見ていた。


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