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K ―背番号89―  作者: K2MA


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10/34

第10話 三つ目

 売れた。


 球団の予想を、かなり上回って売れた。

 東条フェニックスがKの公式グッズを出したのは、三日前だった。

 背番号89を大きく入れたタオル。

 深紅と黒のTシャツ。

 覆面を図案化したキーホルダー。

 オンラインストアには、発売直後から注文が集まった。

 タオルとTシャツの一部は、その日のうちに売り切れた。

 追加の生産が決まった。

 その一枚が、ロッカーにあった。


「これ、すごいぞ。昨日また売り切れたって」


 竹田哲平が、深紅のタオルを広げた。

 中央に、大きく89。

 Kは、タオルを見た。


「ネットも在庫ないらしいぞ」


 Kは、まだ見ていた。


「お前、全然うれしくなさそうだな」


 Kが竹田を見る。


「いや、顔見えないけど」


 横から、大島がタオルを取った。


「いいじゃねえか。売れるうちに売っとけ」


 裏返す。


「俺のも、ついでに売れねえかな」

「大島さんのは、普通に売ってるでしょ」

「普通じゃダメだ。完売しろ」

「無茶言わんでください」


 Kは立ち上がって、グラウンドへ出ていった。


    *


 敵地、千葉の球場だった。

 スタンドは、まだ埋まりきっていない。

 それでも三塁側のビジター席に、赤いものが目についた。

 89。

 また89。

 その中に、小さな手があった。

 少年が、買ったばかりらしいタオルを両手で広げている。

 父親に何か言われて、慌てて上下を直した。

 68が、89になった。


    *


 相手は千葉オーシャンズ。

 リーグ二位のチームだった。

 派手さはない。

 投手と守備で、少ない点を守り切る。

 その中心にいるのが、倉橋直哉(くらはしなおや)だった。

 二十八歳の右腕。

 昨季十四勝。

 今季も九勝三敗、防御率は一点台。

 最速は、百五十四キロ。

 百六十は出ない。

 リーグで倉橋より勝てる先発を何人挙げられるかと聞かれれば、そう多くはない。

 一方のKは、二勝だった。


〈倉橋相手でもKなのか〉

〈人気優先じゃないの〉


 試合前、伊丹は記者に聞かれた。


「今日、相手は倉橋ですが、予定通りKですか」

「先発なんだから、投げる」


 それだけだった。


 ブルペンで、竹田がKの球を受けていた。

 直球。

 スプリット。

 スイーパー。

 竹田は、もう一球ごとにKの様子をうかがわなかった。

 Kも、必要がなければ首を振らなかった。

 少し離れたところで、真壁がそれを見ていた。


    *


 先に試合を支配したのは、倉橋だった。


 一回表、フェニックスの一番から三番まで、打球が一度も外野へ飛ばない。


「速くは見えないんだけどな」


 ベンチへ戻ってきた打者が言った。


「来ない?」

「いや。来る。来るんだけど、欲しいところには来ない」


 真壁は、マウンドの倉橋を見た。

 直球は、Kより遅い。

 変化球の落差も、Kのスプリットほどではない。

 それでも、打者が嫌がるところへ投げてくる。

 カウントを作り、走者がいれば、投げる以外の時間まで使う。

 先発投手として、穴が少なかった。

 その裏、Kも三人で終えた。

 桑島を空振り三振。

 小松を二ゴロ。

 北浦を左飛。

 十二球。

 ゼロが二つ並んだ。

 球だけなら、Kの方が強い。

 だが、先発投手という仕事は、強い球を投げることだけではない。


 二回裏、四番の皆川壮介が打席に入った。

 百八十八センチ、九十八キロ。

 大きな身体だが、滝川のように威圧して構える打者ではなかった。

 バットを、大きく揺らさない。

 静かだった。

 初球を見る。

 二球目をファウル。

 三球目の直球を振って、中堅へ伸びる飛球。

 中堅手が、数歩下がって捕った。

 皆川は、もうベンチへ歩き出していた。


    *


 三回表、竹田が中前へ打ち、岩瀬が右翼線へ運んだ。

 一死二、三塁。

 倉橋が、初めて二人の走者を背負った。

 早川の二ゴロの間に、竹田が還る。

 1対0。

 倉橋は、日下部を三振に取って、それ以上は与えなかった。


「一点が重そうだな」


 大島の予想は、外れなかった。


 四回裏。

 北浦が、左中間へ二塁打。


 無死二塁で、皆川。

 カウントを整えてから、竹田は外角に構えた。

 直球。

 皆川のバットが出る。

 速い打球が、Kの横を抜けた。

 中前。

 北浦が還る。

 1対1。

 一塁に立った皆川は、拳も上げなかった。

 Kは、新しいボールを受け取った。

 皆川を見る。

 それから、竹田を見た。

 後続を三人で断ち、同点で止めた。


    *


 倉橋は崩れなかった。

 Kも崩れなかった。


 五回、スコアボードに、またゼロが二つ並ぶ。


 六回表。

 早川が中前へ運び、日下部が送った。

 一死二塁。


 片瀬が、倉橋の球を左中間へ弾き返す。

 早川が還る。


 2対1。


 倉橋は、そこで切った。

 大島を三ゴロ、黒田を歩かせて、成瀬を三振。

 二点目まで、それ以上は渡さなかった。


 六回裏。

 北浦を中飛に打ち取り、また皆川。

 竹田が低く構える。

 外れる。

 もう一球。

 皆川は振らない。

 追わせにいった球にも、手を出さなかった。

 四球。


 この試合、Kが初めて出した四球だった。

 Kは皆川を追わず、次の安西を遊ゴロ併殺に取った。

 皆川の三打席は、中飛、適時打、四球。

 まだ一度も、三振を取っていなかった。


    *


 七回、倉橋は三人で仕事を終えた。


 七回、百四球、二失点。

 その裏、Kも三人で終えた。

 九十二球。

 ベンチに戻ったKに、竹田が水のボトルを渡した。

 真壁が、Kを見る。

 息は上がっている。

 だが、腕の振りは落ちていない。

 伊丹は、何も言わなかった。


 八回表、フェニックスは追加点を取れなかった。

 チェンジになる。

 Kが立った。

 グラブを持つ。

 そのまま、マウンドへ向かった。

 止めなかった。


    *


 八回裏。


 2対1。


 宇野を遊ゴロに取って、一死。

 桑島に、左中間を破られた。

 小松の詰まった当たりが、内野安打になる。

 一死一、二塁。


 北浦の左飛で、桑島がタッチアップして三塁へ。

 二死一、三塁。


 そして、皆川が出てきた。

 竹田は、マスクの奥から皆川を見た。

 今日、一番嫌な打者だった。


 初球、外。

 ボール。


 二球目、直球。

 ファウル。


 三球目。

 低め。

 皆川は振らない。

 ボール。


 竹田が捕った瞬間、一塁走者の小松が動いた。

 三塁の桑島を、一瞬見る。

 投げられない。

 小松が、二塁へ滑り込んだ。

 二死二、三塁。

 一打で、逆転。


 四球目、直球。

 皆川が振る。

 後ろへ飛ぶファウル。

 二ボール二ストライク。

 竹田は、皆川の構えを見た。


 足。

 腰。

 手。


 低い球には、手を出していない。

 直球にも、備えている。


 五球目。

 竹田は、低く構えた。

 スプリット。

 落ちる。

 皆川のバットは、止まった。

 ボール。


 竹田には、そう見えなかった。

 バットが、わずかに回ったように見えた。

 竹田は、一塁塁審を見た。

 塁審の両腕が、横に開く。

 ノースイング。

 三ボール二ストライク。


 満塁にしてもいい。

 次は安西だ。

 それも、選択肢だった。

 竹田は、Kを見た。

 Kも、皆川を見ていた。


(低いのは、全部見てる)


 目が合った。

 長くはなかった。

 竹田がサインを出す。

 Kは、首を振らなかった。

 竹田は、立ち上がるほどではなく、ミットだけを上げた。

 高め。

 Kが、足を上げた。

 百十一球目。

 皆川のバットが出た。

 振り遅れては、いない。

 それでも、ボールはバットの上を通った。

 ミットが鳴る。

 球審の右腕が上がった。

 一瞬遅れて、センター後方の表示が切り替わった。


 160 km/h。


 球場が、揺れた。

 竹田はミットを下ろして、表示を見た。

 もう一度、Kを見る。


「……まだ出んのかよ」


 Kは何も答えず、マウンドを降りた。


 九回裏、柴崎が三人で締めた。


 2対1。


 倉橋、七回二失点。

 K、八回百十一球一失点。

 勝利投手、K。


 三勝目だった。


    *


 その夜、Kの名前はまた並んだ。

 百六十キロ。

 百十一球目。

 倉橋に投げ勝つ。

 三勝目。

 最初は、ただの書き込みだった。


〈K、三勝目か〉

〈広瀬の残りと同じじゃん〉

〈何が?〉

〈197。あと3勝で200だった〉

〈足し算で200勝投手作るな〉


 話は、それで終わるはずだった。


「……くだらない」


 榊原遼介も、そう口にした。

 三つ足したから、何だというのか。

 Kが勝っても、広瀬の勝ち星が増えるわけではない。

 広瀬和巳は、死んでいる。


 球は似ている。

 だが、フォームのすべてが同じではない。

 本人説は、成立しない。

 榊原は、開いていた広瀬の経歴を閉じようとした。

 指が止まった。


 プロ入り。

 海を渡った年。

 百九十七勝目。

 故障。

 手術。

 引退。

 死亡。


 引退と死亡の日付は、同じ年ではなかった。

 当たり前のことだった。

 広瀬本人の可能性は、死を確かめたところで外した。

 球の比較は、その後も続けていた。

 けれど、引退してから死ぬまでの間を、追ったことはなかった。

 榊原は、椅子に座り直した。


 広瀬和巳が、Kであるはずはない。

 その結論は、何も変わっていない。

 ただ、問いの方が間違っていたとしたら。


 Kは、広瀬和巳なのか。


 ではなく。


 なぜKの球に、広瀬和巳がいるのか。


 榊原は、検索欄に文字を入れた。


 「広瀬和巳 引退後」


 検索キーを押した。


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