第33話:それぞれの思惑と、世界の軋み
第四の宮へと続く、どこまでも続く白い回廊。
そこに響くのは、重い車輪の軋む音と、三人の男たちの重い沈黙だけだった。
先ほどの激しい(?)口喧嘩の音声――「バーカ!」「ブース!」「ばかっていう方がバカなんです!」――が、まだ耳の奥で幻聴のように反響している。
女神アスタルトも、さすがに今の状況でふざけるほどの空気の読めなさではなかったらしい。
今度は文句一つ言わず、どこか遠い目をしながら黙々と俺の入った荷車を引いている。
その姿は、世界の真理に触れた哲学者のようでもあり、単純に全てを諦めた社畜のようでもあった。
俺の隣を歩くカインの信仰心は、今まさに風前の灯火だった。
聖なるサンクチュアリを守護する、女神に最も近しいとされるはずの四天王。
それが蓋を開けてみれば、「悪口マニア」「天然」「小学生」という惨状である。
彼はブツブツと祈りの言葉を唱え続けているが、その顔には深い困惑の色が浮かんでいた。
彼の信仰の世界に、致命的なバグが発生しているのは明らかだった。
そして俺、田中健太は。
(もうだめだ……この組織、上から下まで終わってる……。前の会社の方がまだマシだったかもしれない……いや、さすがにそれはないか……でも、どっこいどっこいか……?)
前職のブラック企業と、この世界の教会を天秤にかけ、本気で悩み始めていた。
それほどまでに、俺は深い疲労感と、虚無感に襲われていたのだ。
◆ ◇ ◆
同時刻。
崩壊した第二の宮『天頂の宮』の跡地。
「……ん……」
瓦礫の山の中で、姫川麗奈がゆっくりと意識を取り戻した。
全身を襲う激痛に顔をしかめながら身を起こすと、少し離れた場所で、同じく満身創痍のイシスが静かに立ち上がるのが見えた。
麗奈は咄嗟に身構える。だが、イシスに敵意はなかった。
彼女は、ただ静かに麗奈を見つめると、「……あなた、つよい」と、その力を認めた。
そして、懐からおもむろに、バリバリに砕けたせんべいを一枚取り出すと、「……はい」と麗奈に差し出した。
「え、あ、どうも……」
麗奈は困惑しつつもそれを受け取り、ポリポリと齧る。
その様子に、イシスは満足げにこくりと頷くと、ふわりと光の粒子となってその場から姿を消した。休息に戻ったのだろう。
二人の間には、奇妙な友情のようなものが芽生えていた。
「さてと……みんなと合流しないと」
麗奈は立ち上がり、仲間の気配がする方角へと歩き出す。
そして、ふとサンクチュアリの天井――この空間の空を見上げた。
その時だった。
完璧な青一色だったはずの空に、一瞬、バチッと音を立ててテレビの砂嵐のような黒いノイズが走った。
ゴロゴロ、と乾いた異質な雷鳴が、空間全体に響き渡る。
足元の地面も、微かに、しかし明らかにカタカタと揺れていた。
「なにこれ……バグ? それとも、次のボス戦の演出? なんかサーバー、不安定になってない?」
世界の悲鳴を、麗奈はネトゲのサーバー不具合として認識し、訝しげに眉をひそめるのだった。
◆ ◇ ◆
サンクチュアリの頂上、教皇の間。
豪奢な椅子に深く腰掛けた教皇グランディスが、側近から恭しく報告を受けていた。
「――はっ。侵入者は第二の宮を突破。先ほど、第三の宮においても、ライアス様との戦闘によるものと思われる、大規模な神力反応を確認いたしました」
「ほう、あのライアスまでも手間取っているか」
グランディスは、指先で玉座の肘掛けをトン、と軽く叩く。
「だが、それで良い。侵入者は何人残っている?」
「はっ。魔王を名乗る女の反応は消失。また、第三の宮にて、国を売った元王女の反応もライアス様と共に消失しております。現在、第四の宮へ向かっている残るは、鉄屑の中の男、神官崩れの男。そして、もはやシステムのバグともいえる女神本人かと」
その報告に、グランディスはフン、と鼻で笑った。
「残るは美のディアナ、そしてこの私だ。神の力を弄ぶ愚か者どもに、絶対の秩序というものを教えてやれ。案ずることはない」
その表情には、焦りの色など微塵も浮かんでいなかった。
◆ ◇ ◆
魔界。
悪魔ベルフェゴールは、自室に設えた水鏡に映る人間界の様子を、険しい顔で見つめていた。
彼の目に映っているのは、サンクチュアリを進む健太たちの姿ではない。
麗奈が目撃したのと同じ、暗雲と黒い稲妻が渦巻く、世界の空そのものだ。
「まずいな……。女神の不安定性が、ついに物理法則にまで影響を及ぼし始めている。このままでは、健太殿たちが教皇を攻略する前に、世界そのものがフリーズ(崩壊)しかねんぞ……!」
ベルフェゴールは、中間管理職がプロジェクトの炎上を前にするように、胃のあたりを抑えながら、焦燥感を露わにするのだった。
◆ ◇ ◆
再び、虚無の中を進む健太たち一行。
その時だった。
突如、荷車を引いていたアスタルトが「うっ……!」と短い呻き声を上げ、その場に膝をついた。
彼女の胸に刺さった矢が、チカチカと不気味な黒い光を点滅させている。
「おい、どうした!?」
鎧の中から俺が叫ぶ。
「……まずい。世界の不安定化を抑えるために、バックグラウンドで演算リソースを使いすぎてる……。時間の進みが、思ったより、ずっと……!」
アスタルトは、初めて本気で焦った声を出すと、意を決した顔で、自らの胸に刺さる矢をその手で掴んだ。
そして、躊躇なくさらに数センチ、ぐいっと奥に押し込んだ。
――テテテテテテーン……!
どこからともなく、焦燥感を煽るBGMが鳴り響く。
それに合わせ、天からアスタルトの裏声が響き渡った。
『――女神の命の炎が尽きるまで、あと3時間! 急げ、女神の戦士たちよ!』
突如として半分以下に縮まったタイムリミット。
世界の崩壊は目前に迫っていた。
果たして一行に、逆転の術は残されているのだろうか!?




