第32話:氷の再会と、幼稚なる死闘
――テテテテテテーン……!
またしても、あの古臭いBGMが鳴り響く。
それに合わせて、天から仰々しい声が降り注いだ。
(アスタルトの裏声だ……)
『第二の宮の死闘は、相打ちという壮絶な結末を迎えた!』
『奇跡の力「セブンセンス」に目覚めた魔王麗奈であったが、その代償は大きく、彼女の神力反応はサンクチュアリから完全に消失したのである!』
『残された時間はあとわずか! 友の安否を気遣いながらも、健太たち女神の戦士は、次なる関門、「氷獄宮」へと進むしかなかった!』
◆ ◇ ◆
第三の宮へと続く、どこまでも真っ白な大理石の回廊。
そこに響くのは、重い車輪が床を削る軋んだ音と、宇宙の創造主にあるまじき、女神の悲鳴にも似た文句だった。
「マジ無理! なんで創造主がこんな単調な物理演算させられてんの!? 摩擦係数とか慣性の法則とか、私の超並列思考リソースをこんなローレベルな処理に使わせないでほしいんですけどー! コアの温度が上がりすぎてサーマルスロットリング起こしちゃうってば! 肩に刺さった矢がマジでズキズキするし!」
俺、田中健太の入った鉄の棺桶――もとい、荷車を、女神アスタルトが汗(?)をダラダラ流しながら、渾身の力で引いている。
その姿に、神としての威厳は欠片も存在しない。
「自業自得だろ! アンタが勝手に解説役とか言って、演出のために自分で自分に矢を刺したせいだろうが! 仕様通りに動いてるだけだ、文句言うな!」
鎧の中から俺が怒鳴ると、「これはバグです! ユーザー(わたし)の意図しない挙動です! パワハラで訴えます!」と涙ながらの抗議が返ってきた。
聞いているだけで頭が痛くなる。
そんな低レベル極まりない言い合いをしているうちに、俺たちは巨大な氷の扉の前にたどり着いた。
扉に触れるまでもなく、突き刺すような絶対零度の冷気が、鎧の隙間から侵入し、肌を焼く。
先ほどまでの回廊とは、明らかに次元の違う空間がこの先にあることを、肌が、いや、魂が理解していた。
◆ ◇ ◆
『氷獄宮』に足を踏み入れた瞬間、俺たちは完全に言葉を失った。
そこは、全てが氷で覆われた極寒の世界。
天を突く柱は巨大な氷柱そのものであり、高い天井は無数の氷の結晶がシャンデリアのように輝いている。
磨き上げられた床は鏡のように俺たちの姿を映し出し、まるで天地が反転したかのような錯覚を覚えた。
あまりに美しく、あまりに生命感のない、死の伽藍。
そして、広間の最奥。
氷を削り出して作られた玉座に、一人の男が座っていた。
白銀の鎧をまとい、彫像のように整った冷たい美貌を持つ男――フィーリアの兄、『氷の騎士』ライアス。
彼と、宮殿に侵入したフィーリアの視線が、真正面からぶつかった。
シン――と、宮殿から音が消える。
風の音も、呼吸の音すらも、全てが凍てついたかのような完全な静寂。
二人は、一言も発しない。
言葉はない。だが、その間には常人には計り知れないほどの憎悪、悲哀、後悔、そして断ち切れぬ愛情、あらゆる感情の嵐が渦巻いているのが、肌で感じられた。
そのあまりに重い空気に、俺は鎧の中で息を呑み、カインは無意識に喉を鳴らした。
不意に、フィーリアが動いた。
いや、動いたのは唇だけ。ライアスから視線を一瞬たりとも外さないまま、背後にいる俺たちに、低く、しかし鋼のように硬い声で告げた。
「……先に行け」
「おい、フィーリア!」
俺が思わず声をかけるが、彼女は全く振り返らない。
ライアスもまた、妹以外の存在など、この世界に存在しないかのように微動だにしなかった。
その横顔は、人間というより、氷の神が作り出した完璧な芸術品のようだ。
その姿に、俺は悟る。これは、俺たちが立ち入るべき戦いではない、と。
「うぅ……重い……シリアス展開、リソース食うんですよね……。CPU使用率が跳ね上がります……」
アスタルトが小声でぼやきながら、再び荷車をギリギリと引き始める。
その軋む音だけが、この凍てついた世界で唯一の現実的な音だった。
俺たち一行は、まるで氷の彫像と化した兄妹の間を、息を殺して静かに通り過ぎていく。
二人は、俺たちがすぐ隣を通過しているというのに、全く意に介していない。
その瞳には、互いの姿しか映っていなかった。過去も、現在も、そして未来さえも、その視線の中で交錯しているかのようだった。
◆ ◇ ◆
宮殿の出口にたどり着き、分厚い氷の扉が、ゴゴゴ……と地響きのような重い音を立ててゆっくりと閉まり始める。
俺は、鉄の棺桶の中から、扉の隙間に見える二人の姿を、固唾をのんで見守っていた。
(これが、兄妹の宿命か……。互いに譲れぬもののために、命を懸けて戦うしかないのか……言葉も、もう必要ないってことか。切ないぜ……)
カインも、扉の横で十字を切り、何事か祈りを捧げている。
その表情は、悲壮な覚悟に満ちていた。
やがて、重厚な扉は完全に閉まり、俺たちの世界と、二人の宿命の世界を完全に遮断した。
シン、と訪れる静寂。
悲劇の幕開けを告げる、厳かな静寂だった。
その、直後だった。
閉ざされた扉の向こうから、くぐもった声が、微かに、しかし確かに聞こえてきたのは。
「……バーカ! ブーーース!!」
「なんですって!? ばかっていう方がバカなんでしょ!!」
◆ ◇ ◆
「「「…………」」」
宮殿の出口で、俺たち一行は完全に固まった。
アスタルトは、荷車を引いていた取っ手を、カタン、と力なく落とした。
カインは、祈りを捧げていた時の神妙な顔のまま、ぽかんと口を開けている。
あれほどの、胸が張り裂けそうなほどのシリアスは。
あの悲壮な覚悟は。
あの宿命の対決ムードは。
俺は、鉄の棺桶の中で、言いようのない、深淵なる虚無感に襲われた。
頭が、くらくらする。まるで、三徹明けで納品したシステムの仕様が、クライアントの一言で全部ひっくり返された時のような、あの途方もない無力感。
(……レグルスは、ただの悪口マニア。イシスは、たぶんガチの天然。そして、こいつらは、小学生レベルの口喧嘩……)
俺は、静かに目を閉じた。
(……教会って、もしかして……バカじゃないと出世できないシステムなのかな……?)
かくして、サンクチュアリで最もレベルの低い死闘(口喧嘩)の火蓋が、今、切って落とされたのであった……。




