第31話:五感を絶つ神域と、七番目の奇跡
女神アスタルトの気まぐれな権能――有り体に言えばリソースの無駄遣い――によって、俺たちの傷は癒えた。
だが、身体の痛みが引いたところで、半壊した宮殿の惨状と、いまだ床に転がるゼノの姿が、先ほどの戦いが悪夢ではなかったと雄弁に物語っている。
最強の四天王、イシスは静かに佇み、ただこちらを見ている。
その視線には、感情というものが一切感じられない。
その、氷のように張り詰めた沈黙を破ったのは、意外な人物だった。
「……ふぅ」
麗奈が、食べ終えたポテトの紙袋をくしゃりと丸めてポケットにしまい、真剣な表情でイシスに向き直る。
「健太、みんな。ここはあたしに任せて、先に行って」
「はあ!? 無茶言うな! 見ただろ、こいつの強さは! 全員でかかっても一瞬でやられたんだぞ!」
俺が思わず叫ぶと、カインも血相を変えて続く。
「左様です、麗奈様! あなた様を一人この危険な場所に残してなど、断じてできません!」
だが、麗奈の決意は固かった。
彼女は俺たちを振り返ると、ニッと不敵に笑う。
「いいから! レイドボスとのタイマンは、ネトゲの華でしょ! これはあたしのイベントなの! PTメンバーは、ボスの部屋の前で待機がマナーなんだって」
「どんなマナーだよ!」
「そうです、その通りです!」
俺のツッコミに、女神アスタルトが食い気味に被せてきた。
「一人の戦士を信じ、その勝利を祈りながら先へ進む仲間たち! これぞ王道! 熱い展開です!」
完全にノリノリである。
この女神、俺たちの命をなんだと思っているのか。
しかし、麗奈の瞳に宿る真剣な光を前に、俺たちはそれ以上言葉を続けることができなかった。
「……わかった。だが、絶対に死ぬなよ」
「当たり前でしょ。全回復アイテムもたんまりあるし!」
そういう問題じゃないんだが、まあ、こいつに言っても無駄か。
俺たちは後ろ髪を引かれる思いで、第三の宮へと続く回廊へ向かう。
振り返ると、広大な神殿に、小さな背中で最強の敵と対峙する、我らが魔王の後ろ姿が見えた。
◆ ◇ ◆
俺たちが去り、宮殿には二人きりの静寂が訪れる。
イシスは、目の前の少女が、これまでの侵入者とは全く質の違う力を宿していることを見抜いていた。
故に、手加減はしない。最初から、全てを終わらせる。
「滅せよ」
凛とした声と共に、再び『神域宝輪』が発動した。
麗奈の周囲の空間が歪み、後光の差した巨大な仏像や、極彩色の曼荼羅が次々と出現する。
(うわ、やっぱり背景に仏像が出た!? なにこのミスマッチな演出! 教会の設定どうなってんのよ!)
麗奈が心の中でツッコミを入れる。
だが、それが彼女の最後の〝思考〟だった。
神域宝輪の光が、彼女の世界を塗りつぶしていく。
まず、視界が真っ白に染まり、イシスの姿も、宮殿の景色も消え去った。
次に、風の音も、衣擦れの音も聞こえなくなり、完全な無音の世界が訪れる。
やがて、口の中に残っていたポテトの塩味も、漂う硝煙の匂いも、鎧が肌に触れる感触さえも、全てが失われていった。
第一の感覚、視覚。
第二の感覚、聴覚。
第三、嗅覚。
第四、味覚。
そして第五の感覚、触覚。
全てが、無に帰した。
◆ ◇ ◆
五感を完全に失い、麗奈は完全な無の世界に囚われた。
時間も、空間も、自分という存在さえも曖昧になっていく暗闇。
絶望的な状況の中、彼女の脳裏におぼろげな幻影が浮かび上がる。
(……あ、れ……?)
呆れたように溜め息をつく、健太の顔。
厳しくも、どこか優しいフィーリアの眼差し。
ちょっと迷惑なくらい、まっすぐに忠誠を誓ってくるカインの瞳。
そして――。
『いいか、女神の力とは電波のようなものだ……最終手段は、アルミホイルを頭に巻くことだ……究極の力……「セブンセンス」……』
あの胡散臭い男、レグルスが語っていた、オカルト理論。
その時。
暗闇だった麗奈の世界に、一筋の光が差した。
光の中から、神々しく輝く女神アスタルトの姿が現れる。
「聞こえますか、麗奈……。よくぞここまで耐えました」
女神は、慈愛に満ちた声で語りかける。
「五感という、人間世界に満ちる余計なノイズが消え去った今こそ、あなたの魂は宇宙の真理と直結するのです!」
アスタルトが、芝居がかった仕草で高らかに腕を掲げた。
「さあ、目覚めなさい! 究極の神力、『セブンセンス』に!」
「―――ッ!!」
その言葉は、麗奈の魂を激しく揺さぶった。
ゲーマーであり、選ばれし者というシチュエーションに何より弱い彼女は、この女神の言葉を100%信じ込んだ。
(そうか……五感を失うことが、セブンセンスへのトリガーイベントだったんだ……!)
完全にその気になった。
彼女の中で、存在しないはずのオカルトパワーが、確かな実感と熱を帯びて、激しく燃え上がった。
◆ ◇ ◆
現実世界では、イシスが勝利を確信していた。
五感を失い、魂の抜け殻のように立ち尽くす麗奈。
だが次の瞬間、イシスはその美しい瞳を驚愕に見開いた。
人形と化したはずの少女の全身から、先ほどとは比較にならないほどの黄金の神力が、天を突く勢いで燃え上がったのだ。
(これが……セブンセンス……!)
『それは、奇跡と呼ぶべき輝きだったか。五感という世界への扉を全て閉ざされ、完全なる無の深淵に沈んだ一つの魂。だが、絶望の闇が深ければ深いほど、希望の光は強く輝く。少女の心に灯るのは、これまで出会った仲間たちの面影。その絆が、凍てついた魂に再び火を灯す!』
どこからともなく、アスタルトの裏声による仰々しいナレーションが響き渡る。
その瞬間、無の世界に囚われていた麗奈の全身から、黄金の神力が後光のように噴き出した。
『見よ! 少女の背後に広がるのは、雄大なる大宇宙! アンドロメダの星雲が渦を巻き、オリオンの星々が産声を上げる! その輝きは、まさに女神の慈悲!』
心の宇宙(という思い込み)を爆発させた麗奈が、閉ざされた五感の奥で、その魂の全てを込めて叫ぶ。
「これが……あたしの答えだああああ! 『ギャラクティック・ノヴァ・エクスプロード』!!」
呼応するかのように、麗奈の背後に広がる億千万の銀河が、一斉に光の奔流となって彼女の両腕に収束していく。
『燃え上がれ、我が魂よ! 奇跡を超えて、今、自らが星となれ! 友よ、見ていてくれ! 銀河が今、泣いている!』
渾身の一撃は、神域宝輪の絶対的な空間そのものを、内側からガラスのように粉々に打ち砕いた。
解き放たれた、原初の宇宙にも等しい爆発の光が、イシスの放つ神力と正面から激突する。
――閃光。
宮殿を跡形もなく消し去るほどの、凄まじい大爆発が二人を包み込んだ。
◆ ◇ ◆
一方その頃。
俺たち一行は、第三の宮へと続く長い長い回廊を歩いていた。
誰もが口を閉ざし、麗奈の身を案じている。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
背後から、サンクチュアリ全体を揺るがすほどの、凄まじい轟音と衝撃波が襲い掛かってきた。
立っているのがやっとの揺れに、俺たちは思わず壁に手をつく。
「今の爆発は……!? まさか、麗奈様!」
カインが悲鳴のような声を上げ、踵を返して走り出そうとする。
その肩を、女神アスタルトが掴んだ。いつになく真剣な表情で、ドラマチックに制止する。
「心配はいりません!」
アスタルトは、まるで伝説の語り部のように、言った。
「今この瞬間、魔王麗奈は……五感を絶たれるという極限状態を乗り越え、奇跡の神力『セブンセンス』に目覚めたのですから!」
自信満々に、決めポーズまで取って解説する女神。
そのあまりにも胡散臭いドヤ顔に、俺は冷静に、そして心の底からの疑問を、ツッコミとしてぶつけた。
「だから、なんで存在もしないオカルトパワーに目覚められるんだよ!」




