第19話 乱入者と、盗まれた神の鎧
レグルスの謎の試合放棄により、『銀河大戦』の熱気は、水をかけられた焚き火のように急速にしぼんでいった。
リングサイドで、ギルドマスターのギデオンが震える声で大会の続行を宣言するが、もはや誰の耳にも届いていない。
観客たちは、先ほどの超次元バトルと、そのあっけない幕切れの意味を理解できず、ヒソヒソと囁き合うばかりだ。
「おい、今の何だったんだ…?」
「あの銀髪の兄ちゃん、とんでもなく強かったのに、なんでやめちまったんだ?」
リングの上で一人、不戦勝を言い渡された姫川麗奈は、いまだに納得いかないという顔で、レグルスが消えていった観客席の方向を睨みつけている。
健太は、医務室のテントで応急手当を受けながら、その白けた会場の空気に、心からの安堵を覚えていた。
(良かった…俺の出番は、もうとっくに終わってるんだ…。このままグダグダになって中止になれば、面倒な表彰式だの何だのに付き合わされずに、さっさと宿に帰って寝られるんだが…!)
健太の切実な願いは、しかし、この世界の脚本家(駄女神)によって、最も最悪な形で裏切られることになる。
◆ ◆ ◆
突如、会場の空が、再びその色を変えた。
だが、以前に神の鎧が出現した時の、神々しい天変地異とは全く異質だった。
空は、まるで汚水をぶちまけたかのように、不健康な濃紺色に淀んでいく。
大気は重く湿り気を帯び、どこからともなく、長いこと掃除していない排水溝のような、不快な匂いが漂い始めた。
観客たちが「な、なんだ…?」と空を見上げ、ざわめき始める。
健太は、その異様な気配に本能的な危険を感じ、咄嗟に身構えた。
(この感じ…女神の力じゃない…もっと、ドロドロした、質の悪い何かが来る…!)
その健太の予感は、的中する。
リングの中央、賞品として厳かに安置されていた神の鎧。
その台座の前に空間が歪み、まるで黒いシミが広がるかのように、十数人の黒いローブをまとった集団が、音もなく現れた。
◆ ◆ ◆
「な、何奴だ!?」
ギデオンが叫び、屈強な冒険者たちが武器を構える。
しかし、黒ローブの集団は、周囲の警戒など意にも介さず、ただ静かに神の鎧を見つめていた。
やがて、集団の中心に立つ一人の男が、ゆっくりとフードを取った。
ボサボサに伸びた黒髪。頬は痩せこけ、その顔色は土気色をしている。
だが、その窪んだ瞳だけが、暗闇の中でぎらぎらと光る獣のように、異常な執念の光を宿していた。
その佇まいは、まるで都会の片隅で生きる、飢えたドブネズミのようだった。
健太たちのパーティの中で、その男に最初に反応したのは、神官カインだった。
彼は、心底面倒くさそうに、そして忌々しげに、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……いたんだ、兄さん」
その呟きに反応したかのように、男――ゼノは、芝居がかった大げさな仕草でカインの方を振り返り、両腕を広げてみせた。
「おお、我が愚かなる弟、カインよ! このドブネズミのような兄の顔を、まだ覚えていてくれたか! 嬉しいぞ、俺は!」
ゼノの甲高い声が、静まり返った闘技場に響き渡る。
健太は、信じられないという顔で、カインとゼノを交互に見比べた。
(こいつが…カインの兄!? 全然似てねえ! ていうか、自分でドブネズミって言っちゃってるよ!)
◆ ◆ ◆
観客も冒険者も、あまりに突飛な兄弟(?)の再会劇に、完全に思考が停止していた。
その完璧な隙を、ゼノは見逃さなかった。
彼は振り返りざま、神の鎧をまるでひったくるかのように雑に掴み上げ、高らかに宣言した。
「この女神の鎧は、我ら背教者がいただく! 腐敗した教会と、それに従う愚かな女神に、我らが鉄槌を下すための力としてな!」
「させん!」
フィーリアが誰よりも早く反応し、ゼノめがけて突進する。
しかし、ゼノは不気味な笑みを浮かべると、足元に黒い煙幕弾を叩きつけた。
「さらばだ!」
煙に紛れ、背教者たちの気配が遠ざかっていく。
誰もが(逃げられた!)と思った、その瞬間。
煙の中から、ひときわ大きなゼノの声が、ご丁寧に響き渡った。
「我らのアジト、『絶望の黒泥沼』で待っているぞ! この鎧が欲しくば、奪いに来てみるがいい!」
「……」
煙が晴れた後、闘技場は静寂に包まれた。
やがて、その沈黙を破るように、健太の魂のツッコミが響き渡った。
「なんでご丁寧にアジトの名前を叫んでいくんだよ! 悪役の美学かなんか知らねえけど、普通こっそり逃げるだろ!」
健太の叫びの隣で、姫川麗奈がキラキラと目を輝かせている。
「イベント発生! 今度は鎧の奪還クエストだね! 燃えてきたー!」
こうして、グダグダだった『銀河大戦』は、最も混沌とした形で中断され、物語は新たな追跡劇の幕を開けるのだった。




