第12話 初めてのクエスト(トラウマ再発)
ギルドマスター、ギデオンの執務室は、武骨ながらも機能的に整えられていた。
壁には巨大な魔物の頭蓋骨が飾られている。
ギデオンは机に広げた地図の一点を指し、淡々と依頼の内容を告げた。
「場所は街から半日ほど歩いた森の中だ。最近になってゴブリンの巣ができたとの報告があった。数は多くて十数匹程度だろう。お前たちには、この巣を掃討してもらう」
「達成の証として、奴らの右耳をいくつか持ち帰ってくればいい」
新人冒険者が受けるには、あまりにも典型的で、分かりやすい依頼。
しかし、その一言が、健太の魂を凍り付かせた。
「ゴブリン……」
その単語を聞いた瞬間、健太の脳裏に、あの忌まわしき記憶が鮮明にフラッシュバックした。
生臭い緑色の皮膚。焦げて炭になった足。
そして、それを女神によって無理やり口にねじ込まれた、あの屈辱的な感触。
「うっ……」
健太は全身から冷や汗を流し、無意識に口元を押さえた。
足がカタカタと震え始める。
「ゴブリン! 雑魚モンスターの定番だね! サクッと狩って経験値にしよ!」
隣で麗奈が屈託なく笑う。
その背後で、フィーリアが健太の異変に気づいた。
「どうした? 顔色が悪い。まさかとは思うが、ゴブリンに恐怖しているのか? あの脆弱な魔物に?」
その純粋すぎる疑問が、刃となって健太の心を抉る。
「ち、違う! これは、その……武者震いだ! 初クエストで、腕が鳴る…!」
健太は必死に虚勢を張るが、その声は情けなく上ずっていた。
ギデオンは、その奇妙すぎる一行のやり取りを、値踏みするような鋭い目つきでただ黙って観察していた。
◆ ◆ ◆
結局、健太の抗議は一切聞き入れられず。
一行はギデオンを監視役として伴い、ゴブリンの生息する森へと向かうことになった。
その道中の光景は、混沌の一言に尽きた。
先頭を歩くのは、麗奈だ。
「BGMはやっぱり燃えるアニソンだよねー」
などと呟きながら、時折スキップまでしている。完全に遠足気分である。
その最後尾を、健太が歩く。
彼は木の枝が揺れる音にすらビクッと肩を震わせ、常にフィーリアの巨大な鎧の背後に隠れようとしていた。
そんな健太を守るように、フィーリアは常に彼の半歩前を歩き、その五感は完璧に周囲を警戒していた。プロの護衛そのものだ。
そして、その全てを、ギデオンは少し離れた場所から観察していた。
(あの鎧の女は、間違いなく手練れの戦士の動きだ。一分の隙もない。だが、あの妙な服の小娘と、怯えきった男はなんだ? まるで素人の集まりだが……一体、どういう組み合わせなんだ、こいつらは)
◆ ◆ ◆
やがて、フィーリアが足を止めた。
彼女が顎で示した先には、岩肌に穿たれた小さな洞窟があった。ゴブリンの巣だ。
物音に気づいたのか、洞窟から十数匹のゴブリンが、キーキーと甲高い奇声を上げながら飛び出してくる。その手には、棍棒や錆びた剣。
ギデオンが(さて、どう動くか…)と身構えた瞬間、全ては終わった。
まず動いたのは、フィーリアだった。
ゴブリンの一匹が、獲物を見つけた猿のように健太めがけて突進する。
その前に、フィーリアが音もなく回り込んだ。
彼女は大剣を抜くまでもない、と判断した。
「邪魔だ」
その一言と共に、握りしめられた鉄拳が、ゴブリンの顔面を的確に捉えた。
ゴシャッ!
鈍い音と共に、ゴブリンは緑色の染みとなって爆散した。
そのままフィーリアはゴブリンの群れに突撃し、殴る、蹴る、へし折る。
阿鼻叫喚の地獄の中、数秒でゴブリンの半数がただの肉塊へと変わった。
その光景を見て、麗奈が頬を膨らませた。
「あ、ちょっと! 私の経験値! 横殴り(KS)禁止だって!」
彼女は、残った数匹のゴブリンと、その巣である洞窟全体をターゲットに、ビシッとポーズを決めた。
そして、両腕を大きく広げ、力の限り叫んだ。
「星々よ、砕け散れ! ギャラクティック・ノヴァ・エクスプロード!」
麗奈がそう叫んだ瞬間、その決め台詞が宇宙の因果律を捻じ曲げる引き金となる。
麗奈の背後に、銀河そのものが渦を巻きながら爆発四散していく幻影が広がった。
そして、その光景を解説するように、謎のナレーションが響き渡る。
『少女が放った小宇宙は、銀河を砕く破壊の衝動そのもの……! 全ての存在は、塵と化して宇宙の闇に還るのだ……!』
健太が「だからそのナレーションは誰なんだよ!」とツッコむよりも早く、麗奈の手から放たれた光の奔流が、残りのゴブリンと洞窟を飲み込んだ。
閃光と轟音。
後には、巨大な半球状にえぐり取られた大地が残るだけだった。
◆ ◆ ◆
戦闘(?)が終わり、後には、フィーリアによって肉片と化したゴブリンの残骸と、麗奈によってえぐり取られた巨大なクレーターだけが残った。
「証拠の右耳」は、ほとんどが原形を留めていない。
「あーあ、これじゃドロップアイテムも全部消えちゃったじゃん」
麗奈が不満そうに呟く。
健太は、目の前の光景に、もはや恐怖を通り越して呆然としていた。
トラウマは、さらに巨大なトラウマによって上書きされた。
そして、その一部始終を木の陰から見ていたギルドマスター、ギデオン。
彼は、口に咥えていた愛用のパイプを、ポロリと地面に落としていた。
その目は、信じられないものを見たかのように、大きく見開かれている。
(『ゴブリン討伐』…だと…? あの女騎士は、それだけで国の一つや二つ、軽く落とせるレベルの武人…。)
(そして、あの小娘は…ゴブリン数匹相手に、古代の竜でも滅ぼすような魔法を使ったというのか…?)
ギデオンは、静かに天を仰いだ。
(俺は…一体、何を街に招き入れようとしているんだ……?)
彼の心の声は、誰に聞かれることもなく、静かになった森に虚しく響いた。
◆ ◆ ◆
ギデオンが気づいていない。そして、健太たちが気づくはずもない。
その全ての光景を、クレーターの反対側、遥か高い木の枝の上から、もう一人、静かに見下ろす者がいたことを。
『光速の賢者』レグルス。
彼は、眼下で繰り広げられた「蹂躙」と「崩壊」を、冷めた目で見つめていた。
「フン……物理法則を無視した女騎士に、システムの根幹を揺るがす魔術師もどきか。教皇猊下が懸念されるわけだ」
ギデオンのような恐怖や驚愕は、彼の表情にはない。
あるのは、興味深い実験結果を眺める科学者のような、冷徹な好奇心だけだ。
「だが、実に面白い。実に下らない。この混沌、我が『七識覚醒』の探求の、良い余興にはなるやもしれんな」
レグルスはそう呟くと、満足したようにフッと笑い、その姿を音もなく消した。
二人の観測者が見たものは同じ。しかし、その意味するところは、全く異なっていた。
健太たちの知らないところで、世界の歯車は、さらに複雑に絡み合い始めていた。




