第10話 ログアウトできない理由と、最初の関門
「ところでさ、ケンタ。このゲーム、『ログアウト』ってどうやるの?」
姫川麗奈から放たれた、あまりにも無邪気な質問。
その一言に、健太の思考は完全に停止した。
背筋を、氷のように冷たい汗が伝い、心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
(ログアウト……だと……!?)
健太は、目の前で屈託なく笑う少女の裏にある、致命的な勘違いに気づき、全身が粟立った。
(どうする!? ここで「現実だ」と告げるか? いや、ダメだ、最悪だ! このメンタルの奴に、いきなり命懸けのサバイバルを突きつけたら、あの規格外の魔法をパニックで暴発させるのがオチだ!)
健太の脳が、かつて深夜三時にサーバーがダウンした時以上の速度で、解決策を模索する。
「あれ? ケンタ、フリーズしてる? バグ?」
麗奈が不思議そうに健太の顔を覗き込んだ、その瞬間。
健太の口から、苦し紛れの言い訳が飛び出した。
「あ、ああ! ログアウトか! それは、あれだ……『βテスト限定の特別メインシナリオ』の最中だから、今はできない仕様なんだ!」
「特別メインシナリオ?」
「そう!」
健太は畳み掛ける。
「このシナリオをクリアするまで、ログアウト機能は運営によって意図的にロックされてるんだ! 没入感を高めるため、とかなんとか……運営からのアナウンス、読んでないのか?」
我ながら苦しすぎる言い訳だった。
しかし、麗奈はポン、と手を打つと、目を輝かせて納得した。
「あー、なるほど! そういうことね! 最近流行りの没入感重視のやつか!『SAO』みたいな! ウケる! やるじゃん、この運営!」
「そ、そうなんだよ……」
健太は、なんとかその場を乗り切ったことに安堵しつつも、自分のついた嘘の重さに、早くもズキズキと痛み始めた胃をそっと押さえた。
◆ ◆ ◆
危機を(一時的に)脱した一行は、改めて街を目指して歩き始めた。
しばらく進むと、森の木々が途切れ、視界が開けた。
その先には、石造りの壁に囲まれた、中世ヨーロッパ風の街並みが広がっていた。
「おおー、結構グラフィック作り込まれてるじゃん! 最初の街にしては良い感じ!」
麗奈は、観光気分でキョロキョロと辺りを見回している。
だが、健太の感動は、麗奈のそれとは全く異質のものだった。
(街だ……! 本物の、街だ……!)
壁があり、家があり、屋根がある。
煙突からは、生活の証である煙が立ち上っている。
健太は、そのあまりにも普通の光景を前に、本気で涙ぐんでいた。
(やった……! これで、やっとまともな飯が食える! 屋根のあるベッドで、獣に怯えずに眠れるんだ……!)
彼は、文明のありがたみを、これほどまでに痛感したことはなかった。
◆ ◆ ◆
希望に胸を膨らませ、一行は街の正門へとたどり着いた。
門の前には、年季の入った鎧を身につけ、長い槍を持った二人の衛兵が、気だるそうに立っている。
健太が(どうやって街に入れてもらおうか…)と考え始めた、その時。
「待て!」
衛兵の一人が、一行の前に槍を突き出し、制止した。
その目は、明らかに怪しい者を見る目をしている。
「怪しい者どもめ! 身分を示すもの、例えばギルドカードなどは持っているか?」
(ギルドカード!)
健太は内心で頭を抱えた。
フィーリアは言わずもがな。神官は持っているだろうが、今は魔王の配下だ。
(どうする…!? 金は持ってないし、ここは正直に、森で遭難していた旅の者だと説明して……)
◆ ◆ ◆
健太が必死に打開策を練るより早く、姫川麗奈が意気揚々と一歩前に出た。
彼女は、この状況を「クエスト開始の合図」だと、信じて疑っていなかった。
「身分? 私は魔王だけど、それが何か?」
「……は?」
衛兵たちが、ぽかんとした顔で麗奈を見る。
しかし、次の瞬間。「魔王」という単語の意味を理解した彼らの顔色が一変した。
「ま、魔王だと!? 貴様ら、悪魔の手先か!」
「侵入者だ! 者共、出合えーっ!」
衛兵の一人が、門の壁に吊るされた警鐘を、力の限り打ち鳴らした。
けたたましい鐘の音が響き渡り、城壁の上から、街の中から、次々と兵士たちが駆けつけてくる。
あっという間に、一行は十数本の鋭い槍の穂先に、完全に包囲されてしまった。
この絶望的な状況に、しかし、麗奈は目をキラキラと輝かせていた。
「うお、すごい! 街に入ろうとしただけで戦闘イベントかよ! アツい展開じゃん!」
その隣で、健太は頭を抱え、魂の底から絶叫した。
(アツい展開なわけあるか! 完全に詰んでるじゃねえかあああああ!)
健太の心の叫びは、鳴り響く警鐘の音に、虚しくかき消されていった。




