第9話 神聖教会の動揺
エルデ・ガディール神聖教会の総本山――『聖域』。
その最奥に位置する教皇の間は、荘厳な静寂に支配されていた。
壁一面を覆う巨大なステンドグラスが、外界の光を神々しい色彩に変え、大理石の床に複雑な模様を描き出している。
この部屋の主、教皇グランディス・アルベルトは、玉座から降り、部屋の中央に浮かぶ巨大な水晶を見つめていた。
神力観測儀『天の御座』。
世界の女神のリソースの流れを可視化する、教皇のみに許された至宝。
その水晶の表面には世界の広大な地図が映し出され、無数の光の線が脈打つように流れていた。
しかし今、その地図の辺境――鬱蒼とした森が広がる一点が。
ピコン、ピコン、ピコン。
ありえないほどの輝度で、危険を示す赤色に激しく点滅を繰り返していた。
「……」
グランディスは、その皺深い顔を険しく歪める。
「登録なき、神の御業に匹敵するほどの魔力反応……。しかも、このリソースの乱高下は、まるで神の寵愛を一身に受けたかのようだ」
システムの安定性が、根本から揺らいでおる。
一体、何が起きた……?
その呟きは、静謐な空間に不気味に響き渡った。
◆ ◆ ◆
教皇の召集に応じ、彼の背後に四つの人影が現れた。
音もなく現れた彼らは、教会最強戦力である『四天王』。
四人は、大理石の床に恭しく膝をついた。
『氷の騎士』ライアス。
白銀の甲冑に身を包んだその姿は、秩序を体現するかのように、一糸乱れぬ完璧な姿勢で控えている。
『美貌の薔薇』ディアナ。
豪奢なドレスを纏った彼女は、優雅に跪くが、その視線は「いかに自分の美貌を際立たせるか」の計算に費やされている。
『至高の光輝』イシス。
祭祀服を着た絶世の美女だが、落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回し、ステンドグラスに描かれた鳥の絵に興味津々だ。
この場に、緊張感は微塵も感じられない。
そして、一人だけ数瞬遅れて現れた男。
『光速の賢者』レグルス。
彼は尊大な態度を隠そうともせず、気だるげに片膝をついた。
他の三人のような敬意は、彼の佇まいからは微塵も感じられない。
◆ ◆ ◆
グランディスは、振り返ることなく、厳かに告げた。
「聞くがよい、我が誇る最強の刃たちよ」
彼は杖で『天の御座』を指し示す。
四天王の視線が、一点滅する赤い光に注がれた。
「ご覧の通りだ。女神様の御力を不当に利用し、世界の理を乱す『異端の力』が現れた。これを放置すれば、世界の存続そのものに関わるだろう」
その言葉に、四天王はそれぞれらしい反応を見せた。
「教皇猊下の御心のままに」
ライアスは、ただ一言そう答えて静かに命令を待つ。
「まあ、なんて下品な力の輝きでしょう。まるで夜空に打ち上げられた、センスのない花火ですわね。このような醜いものは、わたくしの手で排除しなくてはなりませんわ」
ディアナは、扇子で口元を隠し、侮蔑の笑みを浮かべる。
「はいじょ? それ、おいしいんですか?」
イシスが、隣のライアスに小声で尋ねた。
ライアスは無言で首を横に振る。
その中で、ただ一人、レグルスだけが鼻で笑った。
「フン、またシステムのバグを利用した阿呆が出たか。実にくだらん。こんなもののために、我々四天王を全員呼び出すとは、猊下もご心配性なことだ」
その言葉は、教皇に対する公然とした皮肉だった。
◆ ◆ ◆
しかし、グランディスはレグルスの不遜な態度を咎めることなく、静かに彼に最初の任務を与えた。
「レグルスよ」
「……は」
「その光速の脚で、誰よりも早く現地へ向かえ。そして、その『眼』で、力の正体を確かめてくるのだ。決して、軽率な接触は許さん。これは勅命である」
教皇の言葉に、レグルスは隠すことなく、盛大にため息をついた。
「やれやれ、面倒なことですな。わかった、わかった。見てくればいいのだろう?」
彼はそう言うと、返事を待たずに立ち上がった。
その姿が揺らいだかと思うと、次の瞬間には、光の粒子を残して教皇の間から消え去っていた。
残された三人も、教皇の一瞥を受け、静かに立ち上がり、それぞれの持ち場へと戻っていく。
一人、部屋に残された教皇グランディスは、再び『天の御座』の赤い点滅を見つめ、その皺深い唇に、不気味な笑みを浮かべた。
「さて……神の庭を荒らす害虫は、一体、誰であろうな……?」
その独り言は、やがて来る嵐の予兆のように、静かな聖域に響き渡るのだった。




