第27話 信頼の賭け - (決勝戦後半)
俺は燃え盛る盤面を俯瞰した。 ヘッドマウントディスプレイに覆われた額に、冷たい汗が滲む。
(敵陣の構成をスキャンする。Night Houndの『ナイトメアスナイパー』は、自身が展開した『ヘイストゾーン』の座標上に固定されている。射撃間隔を1秒に短縮する強力なバフ。この効率を、あの合理性の化身が自ら手放すわけがない。相方のクロノメイジも、ヘイストの再設置に備えてナイトメアスナイパーの付近に待機している。一方、Vikingの『ゴッドウォーリアー』は、ミカエルとの接敵によって前線に完全に釘付けだ。それを回復支援するためのドワーフメイジも、ゴッドウォーリアーの背後に隠れている)
つまり――敵の主力四体の全てが、俺の眼下にある『5×5マス』の限定された範囲内に密集している。
UR『ウラヌス』の最終奥義――MAP魔法『アースシェイカー』。
詠唱時間、5秒。指定したマスの中心から五×五マスの地形をランダムに隆起させ、範囲内の全ユニットのバフを強制解除し、5秒間の行動不能状態に陥れる。既存の地形カードをも上書きし破壊する、ゲームバランスを崩壊させる戦略級魔法。
これを撃てば、Night Houndのヘイストゾーンが消える。ドワーフメイジの回復エリアも消える。ナイトメアスナイパーのゴーストクローク(透明化)も強制解除される。
Night HoundとVikingが築き上げた無敵のアルゴリズムの全てが、一瞬で白紙に戻る。
だが――俺の中で、Night Houndの冷徹な声が警鐘を鳴らしていた。
(あの男なら必ず気づいているはずだ。事前情報が無いにしても、URウラヌスという規格外の駒に、盤面をひっくり返す切り札が存在することを。そして、5秒の詠唱は対人戦においてあまりにも長すぎる。詠唱の予兆を読まれた瞬間、Night
Houndは即座にゴーストクロークを発動し、範囲外へ逃亡するだろう。ダッシュ速度420に索敵六マス――常識的に考えれば、余裕で逃げ切られる)
だからこそ――問題は「何をするか」ではない。「いつやるか」だ。
現在、Night Houndの銃口は俺のミストメイジに向けられている。あと数発の狙撃でミストメイジは落ちる。奴の意識のリソースは、確実に俺の後衛に集中している。
だが――もしScarletがミカエルでVikingに決死の特攻を仕掛ければ、Night
Houndは選択を迫られる。このままミストメイジを撃ち続けるか、前衛のVikingを守るためにミカエルを狙撃するか。
(Night Houndなら、必ずミカエルに標的を切り替える。URミカエルがURゴッドウォーリアーに完全に張り付けば、前衛の均衡が崩壊しかねない。後衛のミストメイジより、前衛の致命的な脅威を優先する――それが、もっとも『合理的』な判断だからだ)
「Scarlet」 『なに?』 「あと15秒だけ、Vikingをその場から1歩も動かすな。――そして、Night Houndの弾を全部お前が受けろ」
『……ちょっと、正気!? あのバケモノみたいなVikingの足止めだけでもキツいのに、狙撃まで引き受けろって? ミカエルもうボロボロなんだけど!』
「お前を信じている。頼む」
ボイスチャットの向こうで、温が息を呑む気配がした。
かつての俺なら、絶対に言わなかった非論理的な言葉。「頼む」。それは、コントロール不能な他者に自分の命運を完全に委ねるということだ。
3秒の沈黙の後――Scarletが、不敵に笑った。
『……信じてるって言ったわね。なら、信じさせてあげるわよ! ミカエル、もう一回行くわよ!!』
満身創痍のUR大天使ミカエルが、再びゴッドウォーリアーに向かって狂ったような速度で突撃した。
今度は倒しに行くのではない。抱きつくように密着し、スキルの連打で無理やり張り付いて――Vikingの巨体をその座標に完全に釘付けにする。
Night Houndの目が動いた。 ミストメイジを撃っていたナイトメアスナイパーの銃口が――ミカエルへと向けられる。 (……来た)
俺が待っていた、たった一つのフラグ。
Night Hound:『ミストメイジに構っている場合じゃないか、先にミカエルを落とす。ゴッドウォーリアを開放すれば、お前達の部隊は崩壊する』 オープンチャットに表示されたその言葉。Night Houndの判断は完璧に合理的だ。 ――だが、その合理性こそが、俺の仕掛けた罠だった。
Night Houndがミカエルに最初の一発を撃ち込んだ、その0.5秒後。
俺はミストメイジの魔法『アンノウンミスト』を発動した。
3×3マスの濃霧が、俺の陣地――URウラヌスの姿をすっぽりと呑み込む。
Night Houndは霧の発生を視認したはずだ。だが――銃口はミカエルに向けたまま、動かさない。
Night Hound:『……今さら防御の霧か。ミストメイジがやられると思って慌てて張り直したか。だが遅い――もう手遅れだ。魔法も前衛にしか届かない。』
Viking:『アースロックの射程外にドワーフメイジを退避させといた。
お嬢ちゃんとの戦いを楽ませてもらうぜ!』
――違う。 お前が最も合理的な判断を下し、標的をミカエルに切り替えるのを、俺は最初から待っていた。
霧の中で――URウラヌスの『アースシェイカー』の詠唱が、静かに始まった。
Night Houndはミカエルを撃ち続ける。HP六割のミカエルに、二秒に一発の凶悪な狙撃弾が突き刺さる。
ミカエルのHPが――六割から四割に、四割から三割に。Vikingに張り付きながら、じわじわと命のゲージが削り取られていく。
『くっ……! 狙撃が来てる……! でも、離れない! ZEROが来るまで、ここは譲らない!!』
Scarletが歯を食いしばりながら、Vikingへの密着を続ける。
Viking:『……何のつもりだ。その残りHPで特攻か?』
ミカエルのディヴァインチャージ。ゴッドウォーリアーが弾く。着地と同時にホーリーランス。不屈のスーパーアーマーで受ける。セラフィムスラッシュの三連斬撃。アースクラッシュで反撃――Scarletが常時エアリアルによる無限ジャンプで空中回避し、即座にまた接近する。絶対に離さない。Night
Houndの狙撃で命を削られながら、何度弾かれても、何度叩き落とされても、満身創痍のミカエルが執拗にゴッドウォーリアーに絡みつく。
Viking:『しつこい……! だが、何故倒しに来ねえ? まさか――もう1つの?』
霧の中、詠唱三秒目。Night Houndの目が、ようやく俺の霧に向けられた。
――何かがおかしい。防御の霧なら、瀕死のミストメイジを守るために中心座標を合わせるはずだ。だが、霧の位置はミストメイジを中心としておらず――ウラヌスの位置を中心に展開されている。
Night Hound:『待て……あの霧の位置は、ウラヌスの座標だ。防御じゃない――
もう1つの魔法の詠唱を隠して……! まずいっ、ゴーストクロークッ!!』
詠唱四秒目。俺の真の狙いに気づいたNight Houndが透明化を発動し、全速力で効果範囲外へ走る。 だが――最適解を導き出すのが、3秒遅かった。
Viking:『Night Hound! くそっ! ミカエルは完全に囮だったかぁ!』
詠唱、五秒目。
「――飛べ、Scarlet!!」
俺の叫びに、Scarletは一切の躊躇もなく反応した。 何年もの付き合いがあるわけではない。出会ってからまだ数ヶ月の、不器用で歪な関係だ。
それでも――彼女は俺の言葉を、百パーセント信じて跳んだ。
URミカエルの六枚の光の翼が全開になり、ゴッドウォーリアーから離脱して遥か上空へと飛翔する。ホーリーナイトも事前の退避指示に従い、効果範囲外へ離脱済み。
Viking:『……Gotcha』
* * *
【 MAP魔法 『アースシェイカー』 ―― 発動 】
大地が、咆哮した。
5×5マスの広大な範囲の地面がめくれ上がり、ひび割れ、砕け、狂ったように隆起する。 ヘイストゾーンが――粉砕。 回復エリアが――消滅。
ゴーストクロークが――強制解除。
全ての地形カード、全てのバフが、地の底の魔神の強烈な一撃によって完全に白紙に戻された。
Vikingのゴッドウォーリアーは『不屈』の特性により、行動不能時間が半分の2.5秒で復帰する。しかし、ナイトメアスナイパー、クロノメイジ、ドワーフメイジの三体は、完全に5秒間のスタン状態に拘束された。
透明化が剥がれたNight Hound――ナイトメアスナイパーの痩身が、丸裸のまま戦場のど真ん中に姿を晒す。
ヘイストも消え、回復エリアも消え、地形カードの絶対的な優位も消えた。
Night Hound:『……見事だ、ZERO』 行動不能の最中、Night Houndがオープンチャットにテキストを打った。
いち早く復帰したVikingのゴッドウォーリアーが、最後の力を振り絞って、丸裸のNight Houndの前に立ちはだかる。
Viking:『俺が……壁になる……!』
だが、遥か上空から。 厚い雲を裂いて急降下する白銀の天使が、戦神の最後の壁に向かって真っ直ぐに叩き落ちてきた。
『これで――終わりよ、Viking!! セラフィムスラッシュ!!』
下入力スキル――空中からの3連斬撃。1.5倍ダメージの3hit。
HP残り三割を切っていたゴッドウォーリアーの巨体が、大天使の光の刃に三度貫かれ――大地に崩れ落ちた。
【 UR ゴッドウォーリアー ―― 撃破 】
そして、持続回復能力で待機していたScarlet側のホーリーナイトが、停止から復帰したばかりの
ドワーフメイジに襲い掛かる。
【 SSR ドワーフメイジ ―― 撃破 】
Viking:『見事だ、嬢ちゃん。俺の壁を……超えやがったな』 消滅の光に包まれながら、Vikingが豪快に笑う。
残るは、行動不能から復帰したNight Houndのナイトメアスナイパーとクロノメイジのみ。 Night Houndは最後の意地を見せた。左入力スキル『デッドリーアイ(4.5倍ダメージ・詠唱1.5秒・超高威力一撃)』の照準をScarletに合わせる――最後の一矢。同時に、ミカエルの動きを止めようとクロノメイジがスロウの魔法を詠唱する。
だが。
上空からScarletの『ジャッジメント』が先に降り注いだ。 デッドリーアイを撃とうとしていたNight Houndには、もはやこの範囲攻撃を回避する手段が残されていなかった。
光の奔流と石の隆起の二重の衝撃が、ナイトメアスナイパーの細身のアバターを木端微塵に砕き割る。
同時に、霧の中から前進していたURウラヌスの左入力スキル『ストーン(詠唱三秒・石化効果)』が、スロウを詠唱準備中のクロノメイジに直撃し、完全に石化させた。
【 UR ナイトメアスナイパー ―― 撃破 】 【 SSR クロノメイジ ―― 戦闘不能 】
Night Hound:『……見事だ、ZERO。お前はもう、暗闇の一人用ゲームの住人ではないな』
* * *
【 GAME SET 】 【 WINNER : ZERO & Scarlet 】
割れんばかりの大歓声が、仮想世界を物理的に震わせた。 五十万人の同時視聴者が沸き返り、視界の端のチャット欄が濁流のような速度で流れていく。
「やった……やったぞ……!」 俺は、自分自身の声が震えていることに気づいた。
隣に立つScarletが、光の粒子を纏ったまま振り返る。HPの残りが一割にも満たない満身創痍の大天使ミカエルが、それでも美しく、誇らしげに笑っていた。
『やったじゃん、冷! アタシたちの勝ち!』 「ああ……俺たちの勝ちだ」
二人のアバターが、仮想空間の中央で歩み寄り、ハイタッチを交わした。 パシン、と乾いたエフェクト音が宙に弾ける。
通話の向こう側で、ひかりが声を上げて大泣きしていた。舞が「あんたうるさい! でも……よかった」と鼻を啜りながら声を詰まらせていた。
自室にいる瀬川は静かにモニターの電源を切り、天井を見上げて清々しく笑った。
赤井誠は社長室の巨大なモニターの前で、娘の勝利の瞬間を確認し――小さく、誇らしげに頷いた。
一人で安全圏に閉じこもるのをやめた、論理の少年。 勢いだけで突っ走るのをやめた、直感の少女。
決して交わるはずのなかった二人が、互いの弱さごと信じ合い、完璧なアルゴリズムを構築して――世界の頂点に立った。
それは、薄氷の上で掴み取った、奇跡のような完全勝利だった。




