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第22話 一人に戻れない青野

Aクラスの教室は、ただの「無関係な他人の集まり」だ。

かつての俺(青野冷)にとって、それは絶対に揺るがない事実であり、最も快適なノイズキャンセリングの空間だった。


「なあ、昨日の配信見た? あのFPSの――」

「あー、あのプロのやつな! エイムやばかったわ」


少し離れた席で、戸田と小松が今日も中身のない雑談で盛り上がっている。これまでは、彼らの声など一切脳裏に入ってこなかった。俺はいつも通り、文庫本を開いたまま机に座り、自分のアルゴリズムの中だけで完璧に完結していたはずだ。

それなのに。


(……静かすぎる)

活字の羅列が、まったく頭に入ってこない。

チラリと、教室の引き戸へと視線を送る。

数日前までなら、昼休みや放課後になるたび、隣のBクラスから赤い髪のハリケーンが遠慮なしに飛び込んできた。「青野ー! 聞いてよ、昨日のマップだけどさ!」というやかましい声とともに、俺の静寂を無惨に打ち破っていた。


だが今日、あいつは一度もAクラスに姿を見せなかった。

廊下を移動する際、Bクラスの教室を遠巻きに見た時の光景が、俺の作動記憶から

消えてくれない。

文化祭の余韻も冷めたBクラスの中心で、赤井温は静かに座っていた。彼女の隣には、リーダー格の瀬川陸が親しげに寄り添っている。以前なら俺がいたはずの『彼女の横の空間』は、人間関係の強者たちによってあっという間に埋め直され、完璧に補修されていた。


俺の不器用な支配欲を粉々に打ち砕いた、舞の痛烈な叫び声が蘇る。


『あんたが、誰かを頼って失敗するのが怖いだけじゃない!』

『全部をコントロールしてるつもりになりたかっただけの、卑怯なチキン野郎でしょ!』


図星だった。

俺は傷つくのが怖くて、彼女の直感をバグ扱いし、自由を縛り付けた。

その結果がこれだ。俺は不確定要素を排除したのではない。自らの臆病さゆえに、人生で初めて得た「自分が誰かに必要とされる居場所」を、自分の手で完膚なきまでに叩き壊したのだ。


ロジックが破綻し、本から一切の情報を得られなくなった俺は、たまらず席を立って教室を出た。


    *    *    *


放課後の薄暗い廊下。

誰ともすれ違わない帰路を選んで歩いていたつもりの俺は、職員室から出てきた人物と鉢合わせた。


「おい青野。無断で直帰しようとするな。……酷い顔をしてるぞ」

佐藤先生だった。

手元の資料から視線を上げた担任は、俺の顔を見るなりわずかに眉をひそめた。


「別に。規則的な生活リズムは維持しています。睡眠時間にややエラーが発生しただけです」

「そういうのを強がりというんだ。無敵の機械に戻ったつもりかもしれないが、今のお前は人間らしいバグだらけの顔をしているぞ」


図星を突かれ、俺は思わず足を止めて唇を噛んだ。

佐藤先生は俺から視線を外し、窓の外のグラウンドを眺めながら静かに口を開いた。


「一人で完結する人間は強い。だが、お前が誰かに『関わろう』としたのは、初めてのことだったんじゃないか?」

「……それは、俺のシミュレーション能力がタッグ戦において最も効率的に機能すると一時的に判断しただけで」

「効率だけで動けないから、今そんなに苦しそうな顔をしているんだろ」

佐藤先生の言葉は、氷のような俺の防壁を容赦なく溶かしていく。


「お前は賢いが、怯えすぎている。だから、相手を自分の手足のように支配して安心しようとした」

佐藤先生はため息をつき、俺の肩を軽く叩いた。

「文化祭の時、校長が言っていたのを覚えているか? 『自由には責任が伴う』と」

「……」

「お前があの子から『楽しむ自由』を奪って安全圏に逃げたのなら。それを取り戻してやる『責任』もまた、お前にあるはずだ。……誰かを信じて、その暴走の責任を一緒に背負える人間の方が、結果的に一人よりもずっと遠くへ行けるものだぞ」


背中を押すような担任の言葉に、俺はしばらくその場から動けなかった。


(責任……)

そうだ。俺は彼女の直感をバグだと切り捨てた。だが実際は、彼女の予想外の行動で起きたエラーをカバーしきれない『自分の無能さ』から逃げていただけだ。

彼女と一緒にぶっちぎりの最強になるのなら。俺自身が、彼女のどんな直感を

もカバーできるだけの、真に完璧なロジックを再構築すればいい。

それが、最強の相棒に泥を塗った俺の背負うべき『責任』だ。


    *


その夜。

明日に『本戦トーナメント準決勝』を控えたGame Nexusの仮想ロビーは、ログインしたばかりの俺(ZERO)を嘲笑するような異様な熱気に包まれていた。


全サーバーが見守る大一番。

誰もが、無敗の快進撃を続けてきた謎のタッグ『ZERO & Scarlet』の登場を待ち望み、同時に、昨日から急にソロマッチで連敗を重ねたZEROの様子から「何かがあった」と噂し合っている。

俺は一人、静寂の中に座り込んでいた。

かつては一人で満たされていたはずのこの景色が、今は決定的に色褪せ、視界の半分が欠損しているようにすら感じた。


ピコン、と視界の端でダイレクトメッセージが点滅する。

送り主はNight Hound。


『明日は準決勝だな。手足を名乗るパートナーを失い、完全に崩壊した独りよがりのアルゴリズム。……明日は棄権するか? 孤独な王よ』


相手は完全に俺を見下し、終わったプレイヤーとして哀れんですらいた。

以前の俺なら、「不確定要素が多すぎる。勝率が計算できない」と自己正当化し、本当に棄権を選んでいただろう。


だが今の俺は、ロビーの虚空を見つめたまま、ゆっくりとキーボードの上に指を置いた。

「……最強のアルゴリズムは、まだ終わっていない」

送信ボタンを弾き飛ばすように叩く。


『俺は棄権などしない。そして、俺は一人ではない』


一瞬で相手へとメッセージを送りつけ、俺はログアウトのカウントダウンを起動した。

視界が暗転し、現実の自室の天井が広がる。


VRヘッドセットを外し、俺はベッドの上に放り投げてあったスマートフォンをひったくるように手に取った。

心臓が、恐怖と希望がないまぜになって限界まで早鐘を打っている。

人生で長らく避けてきた「自分から他者との関係を繋ぎ直す」という、最も恐ろしくて、最も不確実なアクション。


俺は震える指で通話アプリを開き、『バグだらけの無謀なピンクのハリケーン』のアイコンをタップした。


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