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第21話 バグだらけの孤独


【 GAME SET 】

【 LOSE 】


「……あり得ない」

仮想アリーナの冷たい床に膝をつく自身のアバターを見下ろしながら、俺(ZERO)はヘッドセットの向こう側で低く呻いた。


昨夜の大ゲンカでScarletとのタッグは決裂し、俺はそのまま夜を徹して一人で野良のマッチングプールに潜り続けていた。

対戦相手は、別ブロックの代表決定戦で敗退した公式ランカーだ。決して弱くはないが、本来の俺の処理能力ロジックとアクション操作の最適化をもってすれば、負ける要素など存在しない格下の相手だった。


だが、結果はこの無様な敗走だ。

「なぜだ……。俺の作動記憶ワーキングメモリは、以前のように完全にクリアなはずだ。不確定要素ノイズはすべて排除されているというのに」

手元の戦闘ログを再生し、俺は息を呑んだ。


敵の魔法攻撃に対し、俺のアバターは『左後方への回避』ではなく、『右前方への前進』を選択していた。

右前方への移動は、完全に敵の射線が通った無防備な死角だ。当然、直撃を食らって致命傷に至っている。

なぜ、あんな致命的なエラー行動を選択したのか?

その答えは、俺の無意識のアルゴリズムの中に、残酷なほど鮮明に刻まれていた。


(……右側には、Scarletがカバーに入ってくれる前提で、俺は動いていた……?)


ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。

あの無防備な死角には、限界まで加速した光剣を持つ赤い少女が飛び込んでくるはずだった。いや、彼女がいなければ成立しない『二人用の最適化ロジック』を、俺の脳は無意識のうちに「自分一人での戦術」に組み込んでしまっていたのだ。


「俺は……一人ではもう、今のアルゴリズムを完結させられないというのか……?」

完全な孤高を誇っていた俺のアイデンティティが、音を立てて崩れ落ちる。


『無様なものだな、ZERO。……いや、今はMozeと呼んだ方が相応しいか』

突如、視界の端にポップアップしたダイレクトメッセージ。

送信元は『Night Hound』。観戦枠からでも見ていたのだろうか、そのテキストからは氷のような冷笑が透けて見えた。

『見事な連携崩壊だ。お前は自分の手足を切り落とし、不出来な操り人形になることを選んだか。結局のところ、他者をロジックに組み込みきれない恐怖……お前はまだ、暗闇の一人用ゲームの住人に過ぎないということだ』


何も、言い返せなかった。

俺は顔を歪め、乱暴にVRヘッドセットをむしり取った。


    *    *    *


翌朝。Aクラスの教室の空気は、ただ息を吸うだけで肺が凍りつくほど重く、息苦しかった。

いつもなら、俺が席に着くやいなや、隣のBクラスから「青野ー! 昨日のあのマップだけどさ!」と、騒がしい赤いハリケーンが突撃してくるはずだった。

しかし今朝、赤井温がこの教室に現れることはなかった。


「……計算通りだ。これで俺は、あの無駄に騒がしいノイズから解放された」

俺は誰に聞かせるわけでもない言い訳を、心の奥底で呟いた。感情というバグを取り除き、完全な静寂を取り戻した。俺にはそれが必要だったはずだ。


「おい、見たかよ、B組の赤井さんの様子」

「廊下ですれ違ったけど、青野のこと完全に無視してたな。そりゃそうだろ、文化祭で調子に乗ってたくせに、あんな陰気な計算オタクとノリのいい赤井さんが、これ以上持つわけがないよな」

後方の席から、Aクラスの戸田と小松の馬鹿にするかのような声が俺のパーソナルスペースを侵食していく。二人の声は、まるでクラス全員の総意であるかのように、不可視の壁となって俺を包囲した。


誰も俺の味方などしない。元通りになるだけだ。

そう思っていた時、窓越しに見える渡り廊下で、Bクラスへ向かう温の横に一つの影が並んで歩いているのが見えた。


瀬川陸だった。

文化祭以降、温の隣というポジションを俺に奪われていた彼が、その空白を埋めるように滑り込んできたのだ。

温は少しだけ驚いた顔をして、「あ、瀬川くん……うん、ちょっとね」と力なく笑っているのが遠目にもわかった。

瀬川が何か温かそうな言葉をかけ、温は小さく俯いて黙り込んでいる。


(……合理的だ。彼女の精神的なキャパシティを支えるには、瀬川のようなタイプが隣にいる方がずっと効率がいい)

自分にそう言い聞かせる。だが、俺の手は机の下で、爪が食い込むほどきつく握りしめられていた。計算式には存在しないはずの鈍い痛みが、胸の奥で重く軋んでいる。

不確定要素が消えて最適化されたはずの現実は、以前の孤独よりずっと惨めだった。


    *    *    *


耐えきれなくなった俺は、昼休みになると逃げるように教室を出た。

人の波を避け、体育館裏の薄暗い渡り廊下へと向かう。ここなら誰とも顔を合わせずに済む。

だが、その見通しは甘かった。


「……見つけた」

コツン、と硬い足音が響く。

振り返る間もなく、俺の胸ぐらが強い力で掴み上げられ、コンクリートの壁に力任せに押し付けられた。

「がっ……!?」


「逃げてんじゃねえわよ、陰キャ」

至近距離で俺を睨みつけていたのは、温の親友である中村舞だった。

いつも快活でさっぱりしている彼女からは想像もつかないほど、その瞳には明確な怒りが燃えていた。

「な、中村……? 何のつもりだ、これは暴行……」

「うるっさい! 小難しい理屈こねてんじゃないわよ!」


どんっ! と背中が再び壁に打ち付けられる。

「……あんた、温になんてこと言ったの? 『お前はバグだ』? 『リスクだからコントロールする』?」

「……それは、本戦を勝ち抜くための合理的な事実だ。彼女の感情的な動きは、大きな大会ではエラーを起こす。だから俺が――」

「バカじゃないの!!」


中村の怒声が、俺の薄っぺらい論理の壁を物理的にぶち抜いた。

「温はね、あんたみたいな面白くないバカの『計算』に付き合うために、必死にお小遣い叩いてガチャ回したんじゃないの。一緒に、一番楽しい場所を走りたかったから回したのよ!」


言葉に詰まる俺へ、中村はいっそう顔を近づけた。

「あんたは温の直感を『リスク』だって言うけど。実際は違うでしょ。……あんたが、誰かを頼って失敗するのが怖いだけじゃない。誰かを信じて、もし裏切られたら、もし失敗したらって、傷つくのが怖いから……全部を『自分の手の中の計算』に押し込めて、コントロールしてるつもりになって安心したかっただけの、卑怯なチキン野郎でしょ!!」


「……っ!」

完璧に図星を突かれた俺の口から、冷たい息が漏れる。


「ひかりが今、中庭でずっとあの子慰めてるわよ。『アタシはただ一緒にバカやって笑いたかっただけなのに』って、泣いてたわ」

中村の手から力が抜け、俺は壁づたいにずるずると座り込んだ。

中村は俺を冷たく見下ろしたまま、吐き捨てるように言った。

「頭はいい癖に、一番大事なことも計算できないのね。……せいぜいその引きこもりオタクの頭の中で、安全に生きてなさいよ」


遠ざかっていく中村の足音。

薄暗い渡り廊下に、俺は一人取り残された。


ゲームという逃げ場を失い、Night Houndから嘲笑され、ソロマッチの現実を見せつけられた。

そして今、俺の最大のバグが暴かれた。


俺はリスクを管理したかったわけじゃない。

誰かと関わって、「また一人になること」が、たまらなく怖かっただけだった。

だから、彼女を自分の一部アルゴリズムとして支配し、相手をロボットにすることでしか、関係を維持できなかったのだ。


「俺が……自分の手で、俺の居場所を……壊した……」

両手で顔を覆う。

初めて誰かと背中を預け合い、全能感に包まれていたあの夜の空気はもうどこにもない。

計算通りに動かない生身の人間と関わった結果は、システムエラーではなく――取り返しのつかない絶対的な後悔という形の、孤独だった。

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