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第20話 準々決勝と嫉妬・不安の再起動

『お前は、生身の人間の感情ノイズやプレッシャーを計算式に組み込んだ経験がない』


『仲間がミスをした時、お前の孤独なアルゴリズムはフリーズする』




Game NexusのロビーでNight Houndに突きつけられた冷ややかな呪詛が、現実リアルの学校生活に戻った俺(青野冷)の脳裡で、不快なバッチ処理のように警報を鳴らし続けていた。


文化祭の熱狂から数日が過ぎた校舎。


その熱が冷めれば冷めるほど、祭りの中心にいた赤井温と、その裏方だった俺との間に引かれた『不可視の境界線』は、周囲の目によって残酷なまでに浮き彫りになっていった。




「――だから言っただろ。青野のやつ、絶対文化祭で味すめてるって。最近もなんか赤井さんにベタベタ指示出してるみたいだしさ」


渡り廊下ですれ違った際、石井剛の悪意ある声がわざとらしく響いた。


隣を歩く桐島尚也が、嘲笑を含んだ声でそれに同調する。


「ええ。彼女の人気に便乗して、実績を稼ぎたいのでしょうね。……あの孤立した陰キャが考えそうな、姑息なロジックです」


「な? 瀬川もそう思うだろ?」




名指しされたBクラスのリーダー、瀬川陸は立ち止まり、俺の顔を冷たく射抜いた。


「……俺は青野のやり方が気に食わないだけだ」


瀬川は足の裏に張り付いたガムを見るような目で俺を睨みつけ、低い声で吐き捨てた。


「赤井があれだけ自由に動けているのは、あいつ自身の直感とポテンシャルのおかげだ。お前の小難しい計算なんて、本当は必要ない。……お前のその面倒くさい理屈が、いつかあいつの重荷になって致命的な失敗をさせるんじゃないかと思ってるよ」




ギリッと、俺の中でまた一つ『エラー』が鳴った。


(俺の理屈が、致命的な失敗をさせる……?)


Night Houndの言葉と、現実の瀬川の言葉が、音を立ててリンクする。


俺は無表情のまま、その場に立ち尽くしていた。




    *    *    *




その日の夜。Game Nexus・準々決勝の直前。


仮想ロビーは、かつてないほどの異様な熱狂と騒音に包まれていた。




【 サーバーアナウンス:プレイヤー『Scarlet』が、URユニット『大天使ミカエル』を獲得しました! 】




それは、全サーバーを通して初の「最高レアリティ(UR)」排出のファンファーレだった。あの絶対王者たるNight HoundやVikingすらまだ手にしていない、排出確率「0・01%」という奇跡のユニット。


当然、ロビー中のプレイヤーたちが狂喜乱舞し、掲示板はScarletの話題で完全に埋め尽くされていた。




『っしゃあああっ! 見た!? ZERO! すっごい羽生えてるの! これずっと飛べるんだって!』


音声チャットの向こうで、相棒の温がかつてないほどウキウキとした声でまくしたてている。




だが、俺の脳内は別の意味で完全にフリーズしていた。


俺は即座に裏でスプレッドシートを開き、現在のガチャの総プール数と確率分布から、そのユニットの『期待値』を弾き出していた。


「……排出率0・01%。これを正規分布に従って99%の確率で引き当てるための期待試行回数……必要な課金額は、日本円にして約一億二千万円……」


額から冷や汗が流れた。


「お前……まさか、親の会社の経費を横領したのか……?」




極度のプレッシャーで俺の言葉が震える。


対して温は、「はぁ!?」と呆れたように笑った。


『バカ言わないでよ! アタシのお小遣いの範囲よ! ここんとこ全然ガチャ運が悪かったから、その分で運良く早めにぽろっと出ただけだって!』


「早めに出た額ではないはずだ。具体的にいくら投資した」


『えーっと……一千万(1000万円)ちょっと? ま、パパの会社のお手伝いでもらった分だからセーフセーフ!』




(――一千万円、だと?)


俺の頭痛がさらに加速した。


彼女の金銭感覚が狂っているのは今更だが、問題はそこではない。


一千万円という莫大な現実の現金が投じられたユニット。そして、全サーバーのプレイヤーたちが「初のURミカエルの初陣」を見るために、この後の準々決勝に観戦枠で押し寄せてきているという事実。




『彼女があれだけ自由に……お前が重荷になって失敗をさせる』




(もし、俺の指示ミスで、あるいは彼女の感情的な暴走で敗北したら)


(一千万円の投資と、全サーバーの期待を背負ったこの大舞台で、俺のアルゴリズムが彼女を敗北させたら……!)




恐怖。


それは、絶対に計算通りに動かない『生身の人間リアル』に対する、俺の根源的な恐怖の暴走だった。




    *




準々決勝、試合開始直後。


「さーて! いっくわよー! 空から急降下して――」


『――待機ステイしろ!!』




URの大翼を広げて空へ飛び立とうとしたScarletのアバターを、俺は怒声を張り上げて強引に地上へ縛り付けた。


「はぁ!? 何言ってんのよ! せっかく飛べるのに!」


『敵の対空射撃の変数が多すぎる! Z軸(上空)への移動は立体的な死角を生み出し、被弾リスクを20%増加させる! 絶対に飛ぶな! 地上座標H-4へ移動し、ガードブレイク攻撃のみを繰り返す静的デコイ(囮)になれ!』


「ふざけないでよ! ガードして突っ突くだけなんて、全然ミカエルの意味ないじゃない!」


『指示に従え、Scarlet!! 許可のないアクションは一切許さない!』




かつてないほどギクシャクした前線の動き。


俺は手元のコンソールを、キーボードが壊れるほどの力で叩き続けていた。


敵も準々決勝まで残った強者だ。少しでも隙を見せれば狩られる。俺の作動記憶と処理速度は、全サーバーからの視線と、URという莫大な『価値』を守らなければならないという過負荷で、脳内処理に悲鳴を上げていた。




敵の動向だけではない。俺は今、味方であるはずのScarletの自由意志すらも『安全確保』のためにコントロールしようとしているのだ。




『敵の左側ががら空きよ! 今なら裏取れる! あんたの新しいミストメイジお願い!』


「却下だ。霧を出せば視界が不明瞭になり、お前の被弾リスクが上がる。そのまま指定座標から一歩も動くな!」


『なっ……! アタシのミカエルをお立ち台にする気!? そんなの面白くないってば!』


「面白さなどノイズだ!! 期待値(勝率)が100%に極限まで近い最善手だけを選べ! お前の直感などという不確定要素は、今のこの盤面ではただの致命的なバグだ!!」




静まり返るボイスチャット。


数秒の沈黙の後、Scarletのアバターが、バサリと巨大な翼を畳み、俺の指示した座標へ機械のように重々しく後退するのが見えた。




「……了解」




そこからの彼女の動きには、いつもの圧倒的な『熱(楽しさ)』が完全に失われていた。


野生の鋭さは消え、ただ俺の指示した秒数だけ防御し、指示した回数だけ剣を振るうだけの、安全で退屈なプログラミング・ドール。


俺の展開する籠城戦術により、敵の攻め手は徐々に削り取られ、やがて時間切れ(タイムアップ)による判定勝ちのホイッスルが鳴り響いた。




【 MATCH END 】


【 WINNER : ZERO & Scarlet (JUDGE) 】




俺たちは勝った。


だが、観戦チャットには「初URなのに地味すぎ」「ZEROがガチガチすぎてScarletが可哀想」という冷ややかなコメントが並んでいた。


そしてそれは、俺の口の中に広がる泥のような疲労感と同じだった。




「…………ねえ、青野」


真っ暗な仮想ロビー空間で、ぽつりと彼女の声が響いた。


その声には、怒りすらなかった。ただ深い落胆と、冷たい失望だけが混じっていた。




「今日の試合、何アレ」


「……リスクを完全に排除した最適解だ。準々決勝を安全に通過するための――」


「違う!! そうじゃない!!」


温の怒声が、俺の言い訳を叩き斬るように響き渡る。




「アタシは……! アンタと一緒に最高に真っすぐでデタラメな道を全力でぶっ飛ばすのが最高に楽しかったから、パパの手伝い必死にやって、お小遣い叩いてこのミカエル当てたのよ!! なのに今日のソレはなんだ!? 空も飛ぶな、アタシを鳥かごに閉じ込めて、ちょっとでもアンタの計算と違ったらヒステリックに怒鳴り散らして……ッ!」


言葉に詰まりながら、マイク越しの温の呼吸が荒くなる。


「あんなの……あんなの、ちっとも面白くないッ!!」




「面白さなど不要だと言ったはずだ!!」


俺も声を荒げた。夜の自室で、マウスをきしむほどに握りしめながら。


「本戦だぞ! ここから先は、上位の化物が相手なんだ! お前の気まぐれな直感で一歩間違えれば、一千万円に値するシステムごと俺たちは終わるんだ! 俺はお前という最大のリスクをコントロールするしかないんだ!!」




言ってはいけない言葉だった。


Night Houndに呪いとして掛けられ、瀬川たち周囲からのプレッシャーによって増幅された俺の『恐れ』が、最も醜い形で相棒へと吐き出された。


お前はバグだ。お前の直感は、俺にとってのリスクだと。




「……最低」




インカムの向こうから、震えるような低い声が聞こえた。


「アンタなんて……もう知らない!! 勝手に一人でやってればいいじゃない!!!」




【 System Alert : Scarlet がパーティーから離脱しました 】


【 ユーザー Scarlet がオフラインになりました 】




無機質なシステム音声と共に、隣に立っていた空色の機体が光の粒となって消滅した。


後に残されたのは、俺の不器用な自己防衛が作り出した、絶対的な寂寥感。


両手で顔を覆う。


分かっていたはずだ。現実リアルの不確定要素に関われば、必ずこうなる。制御不能な感情とプレッシャーの波に飲まれ、互いに傷つけ合い、最後にはシステムが崩壊するのだと。



俺は再び、たった一人ソロの暗闇へと戻ってしまった。


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