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第16話 文化祭成功と“見られる側”への変貌

「Cブロック階段、南側のトラフィックが許容量の七パーセントを超過している。赤井、遊撃の風紀委員を三名連れて誘導に向かえ。到着まで四十五秒の猶予をやる」


『りょーかいっ! ギリギリ三十七秒で着けるわよ!』




薄暗い放送室の片隅、俺(青野冷)の眼前には三つのディスプレイの光だけが浮かび上がっている。


全校生徒が参加するリアルタイム陣取りアプリのヒートマップ。それはまるで、Game Nexusのシミュレーション側の指揮画面そのものだった。


俺の脳のワーキングメモリは、数千人の不規則な動きという膨大な変数を常に解析・再計算し、最適な『出撃指示』をヘッドセット越しに送り続けていた。




「おい、一年生の屋台街でトラブルだ! 機材の電源が落ちたらしい!」


飛び込んできた実行委員の悲鳴。


「騒ぐな」俺はキーボードを叩きながら、極めて平坦な声で告げる。「電源タップの異常加熱エラーだ。既に中村の部隊を走らせている。十秒後に予備電源への切り替えが完了する」


「す、すげぇ……」


実行委員たちが息を呑むノイズを無視し、俺は再びヘッドセットのマイクを叩く。




「赤井。北口のGPS反応が停滞している。イベント用のバルーンが倒れた可能性があるな」


『ドンピシャ! ちょっと待ちなさい、今直すから! ……よいしょーっ! はい、終わったわ! 次どこ行けばいい!?』


「西側ゲートだ。敵陣(他クラス)に奪われたエリアのポイントを奪還しろ」


『任せなさーい!』




圧倒的な突進力と異常な身体的処理能力で、現場で発生し続けるバグを物理的に薙ぎ払っていく最強のアタッカー。


俺が敷いた最短ルートを、あの赤いサイドテールが駆け抜けていく。


(……完璧だ)


それは、俺が一人で完結するだけのソロプレイでは絶対に到達できない、生々しい熱量を持ったアルゴリズムの完成形だった。




――午後三時半。


中庭の特設ステージの大型スクリーンに、陣取り合戦の最終結果が映し出された。


カウントダウンと共に叩き出された桁違いの総ポイント数に、地鳴りのような歓声が高校全体を包み込む。


何人の生徒が関わったか、どれだけの予算が投じられたか。


それらを完璧に統制しきった結果の、誰もが認める文句なしの大成功だった。




    *    *    *




(赤井温・視点)




「やったぁぁぁーーっ!」


私は中庭のステージ端で、手元のインカムを外しながら両手を高く突き上げた。全身汗だくで足はパンパンだけど、それ以上に胸の奥が熱くて仕方ない!


「温、お疲れ! マジで大成功じゃん!」


クラスメイトの舞が駆け寄ってきて、私に思い切り抱きついた。運動部の舞の勢いに、二人して危なく転びそうになる。


「ふふっ、ほんとにお疲れ様、温」


ひかりがスポーツドリンクのボトルを差し出してくれた。


「ありがとーっ! もう、死ぬほど走った気分! 過去最高に楽しかった!」


「そりゃそうでしょ」ひかりはニヤニヤと笑いながら、私に顔を寄せてヒソヒソと囁いた。「本部にいる青野君とインカムでずっと話してる時の温、もう完全に『二人の世界』って顔してたもん。なんか、もう付き合ってるみたいだったよ?」


「ぶふぉっ!?」


私は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになった。


「ななな、なに言ってんのよ! アタシはただ、あの堅物の計算オタクに指示をもらわないと動けないところが多かっただけで……!」


「はいはい、そういうことにしておいてあげる」


ひかりのからかうような目線に、顔が一気に熱くなるのを感じた。




「見事だった」


背後からかけられた厳格な声に、私たちはピンと背筋を伸ばした。


腕を組んで立っていたのは、生徒会長の四ノ宮先輩だった。


「実行委員長としての求心力と現場対応力。見事なリーダーシップだ。……ただ、それを裏で支えていたあの頭脳あっての成功であることを忘れるなよ」


四ノ宮会長は少しだけ口角を上げ、「よくやった」とだけ残して背を向けた。


「はいっ! ありがとうございます!」




私は元気よく頭を下げた後、周囲の空気が少しだけ固くなっていることに気がついた。


数メートル離れた場所から、Bクラスのリーダーの瀬川君や石井君たちが、硬い表情でこちらを見ていた。


「……やっぱ、青野のやつ裏で温ちゃんをいいように使ってただけじゃん。最後のおいしいとこだけ持ってく気かよ」


石井の大きな声が、周囲の生徒にも聞こえるようにわざとらしく響く。


隣にいる桐島も眼鏡を押し上げ、「まあ、彼にとっては都合の良い実績作りでしょうからね」と同調した。


瀬川君は何も言わなかった。ただ、じっと放送室のある校舎の上階を睨みつけ、ギリッと奥歯を噛み締めていた。爽やかな彼らしからぬ、底知れぬ劣等感と嫉妬が滲んだ横顔だった。




(……そんなんじゃない。青野は、自分のためになんか動いてない!)


言い返そうとしたが、ひかりが私の腕を優しく引いて止めた。


「今はほっときな。やっかみが出るのは、大成功の証拠なんだから」




    *




(青野冷・視点)




夕暮れが校舎を染め上げる頃。


全プログラムを終え、ようやく後片付けが一段落ついた。生徒たちの熱気はまだ残っているが、俺にとっては「PvEイベントのクリア処理」が終わっただけの話だ。




昇降口を出て校門へと向かう途中、異質な存在に足を止めた。


制服姿の生徒たちの波を割るように、一台の漆黒の高級セダンが校門前に横付けされていた。運転席にはスーツの男性が控えている。


そしてドアの傍らに立っていたのは、長身で体格の良い、仕立てのいいスーツを着こなした四十代半ばの男だった。


鋭い眼光、合理的な思考領域特有の空気圧。ただそこに立っているだけで周囲の空間を支配するような、圧倒的なバフ(威圧感)を放っている。




「パパーっ!」




その重い空気をぶち破るような能天気な声が、俺の後方から響いた。


赤いサイドテールをウサギのように弾ませて、温が全速力で男の元へ駆け寄っていく。


「お疲れ、温。見事な大立ち回りだったな」


「でしょー! アタシの陣取りゲーム、全校生徒が大熱狂だったんだから!」


男は相好を崩し、優しく温の頭を撫でた。


赤井誠。有名スポーツ用品メーカーの社長であり、彼女の父親だ。




俺は関わり合いを避けるため、最短ルートで校門を抜けようとした。しかし――。


「ん? あ! ちょっと待って青野!」


予測不能のノイズが、俺を名指しで呼び止めた。


「パパ! こいつが青野。アタシがやりたい放題やった分の、難しくて面倒くさい計算の尻拭いを全部やってくれた堅物よ! こいつの頭がなかったら、マジで今回はヤバかったの!」




俺は小さく舌打ち(脳内処理)をしてから、ゆっくりと振り返った。


赤井誠の鋭い視線が、俺の全身を舐めるように解析した。


ただの娘の同級生を見る目ではない。明らかに「査定モード」に入った人間の目だ。




「君が青野くんか」


男はゆっくりと俺に歩み寄り、名刺を取り出すような静かな動作で右手を差し出した。


大人の――『現実の強者』からの物理的な接触要求。


俺は一瞬だけ躊躇い、一歩も引かずにその手を短く握り返した。




「温が学校の出来事で、特定の男子個人名を出して評価するのは初めてなんだよ。温は母親似で気が強いからね」


「……過分な評価です。俺は事前の仕様書に基づき、割り当てられた最適化のロジックに従って現場のリソースを管理しただけに過ぎません」


俺が感情の一切乗っていない平坦な声で答えると、赤井誠はわずかに目を見開いた。




「ほう」


男の口角が上がり、その瞳が一層の光を帯びた。


「ただの秀才という顔じゃないね。……君、仕事をする人間の目をしている。それも、ただの学生レベルじゃない、もっとずっと高い場所で現場を回している人間の目だ」




俺の心臓の奥が、氷を当てられたように冷たく収縮した。


『Game Nexus』の中で、数多の上位ランカーを血祭りに上げてきた俺の『ZERO』としてのもう一つの顔。それを、この男は数秒の会話と視線だけで感じ取ったというのか。




「パパ? 何難しい顔してんのよ」


「いや。君はうちの娘には勿体ないくらいの頭脳を持っている。もし興味があるなら、いつでもうちの会社に――」


「お断りします」


俺は会話のプロセスを途中で強制終了させた。


「俺は集団の属人性に興味はありません。自分の設計したアルゴリズムが想定通りに機能するか否か、それだけが評価基準です。……用事が済んだなら、失礼します」




一礼し、早足でその場を立ち去る。


「ちょっと! 青野、アンタうちのパパに向かって生意気すぎ……!」


「いいんだよ、温」パパと呼ばれた男の、愉快そうな深い声が背中から追いかけてくる。「あそこまで自分のロジックに忠実な人間は、そうそう潰れない。……だが、完全に閉じた世界で生きている分、一度ノイズが入れば脆いかもしれないな」




校門を抜け、夕暮れの街へと歩を進める。


ポケットの中で拳を固く握りしめた。




温は、あの華やかな光の世界――絶対的な強者たる親がいて、無限の可能性と責任ある『現実リアル』の世界の住人だ。


対して俺は、親を亡くし、モニターの向こう側にしか制御可能な世界を持たないバグだらけの存在。


文化祭の成功という一時的なタッグの快感が、強烈な冷水となって俺の『現実側の劣等感』を抉り出していた。




(……だが、今はまだ)




俺はヘッドセットに残る、彼女のやかましい残響を思い出す。


現実の分厚いガラスの壁を感じながらも、俺の足取りは『次なる戦場』へと迷いなく向かっていた。

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