第15話 文化祭準備、現実の二重戦場
放課後の中央会議室。
一カ月後に迫った文化祭の、目玉となる「全校合同企画」の実行会議は、完全にコントロールを失いかけていた。
中心で声を上げ、身振り手振りを交えて熱弁を振るっているのは、秋の生徒会副会長選挙に内定しているとウワサされるBクラスの赤井温だ。
「だから! 中庭の特設ステージと体育館の出し物を、全校生徒参加型の『リアルタイム陣取りゲーム』にリンクさせるの! スマホのGPS連動アプリを使って、ミッションをクリアしたクラスからポイントが入る仕組み! 絶対面白いでしょ!」
赤いサイドテールを揺らしながら、温はホワイトボードに勢いよく(そして壊滅的に汚い字で)アイデアを書き殴っていく。
「いや、面白そうだけどさあ」
体育祭で活躍した武闘派の中村舞が、腕を組んで天井を仰いだ。
「それ、誰がアプリのサーバー管理すんの? グラウンドと体育館の回線を繋ぐとか、機材の配線だけでも死ぬよ?」
「温の言う『絶対面白い』って、だいたい周りの体力が尽きるパターンだよねー」
親友の星野ひかりが、呆れたように、しかし楽しそうに笑う。
「えーっ。でもせっかくの自由な校風なんだから、ドカーンとやりたいじゃない!」
温は不満げに頬を膨らませた。彼女の『楽しさ』への探求心と異常なエネルギーは、周囲を巻き込む強い引力を持っている。だが、それを現実の形に落とし込むための段取りや、具体的なスケジュールの言語化が圧倒的に不足していた。
「——そこまでだ、赤井」
会議室の隅で腕を組んでいた顧問の佐藤友美が、冷や水を浴びせるようにぴしゃりと告げた。
「アイデアの熱意は買うわよ。でも、予算配分、安全対策、各クラスの動線管理。どれも具体性がゼロ。情熱だけで学校全体を動かすことはできないわ。この企画書では、生徒会への提出は『却下』ね」
温が「うっ……」と呻いて机に突っ伏す。
その様子を、会議室の最後列の端——最適化された『防音死角ポイント』——から、俺(青野冷)は静かに観察していた。
俺はAクラスの書記として、最低限の義務(生活環境の維持)を果たすためにここに座っているだけだ。
(赤井のプランは、初期コンセプトこそ独創的だが、リソース管理の概念が致命的に欠落している。現状の工数見積もりは必要工数の三分の一。このまま実行に移せば、開始三十分でサーバーがパンクし、完全にゲームオーバーだ。……非合理極まりない)
俺の脳内では、現在その空き領域を使って『Night Hound』との本戦シミュレーションを回している最中だったが、彼女の口走ったアイデアから瞬時に「実現可能な代替フローチャート」が五通りほど並列して組み上がってしまっていた。
放っておけばいい。俺には関係のないノイズだ。
そう思って目を伏せた瞬間——。
『アタシたちが組めば学年ぶっちぎりの最強ってことには変わりないわよね!』
いつかの掲示板の前で言い放たれた、あの論理が飛躍した声が不意に脳裏をよぎった。
「……赤井のプランAは、現行のリソースでは73パーセントの確率で破綻する」
静まり返った会議室に、俺の極めて平坦な声が響き渡った。
全員の視線が、教室の隅の『存在感のない学年一位』に集まる。
俺は立ち上がり、ゆっくりとホワイトボードへ歩み寄った。
「だが、各クラスへのGPS通信を五分ごとのバッチ処理に変更し、トラフィックの負荷を削る。そして、中村たちが配置する中継ルーターの位置を最適化すれば……実現確率は89パーセントまで引き上げられる」
俺は温の手からマーカーを奪い取り、彼女が描いたカオスな図式を、バグのない美しいアルゴリズムのフローチャートへと上書きしていく。
「必要なのは勢いではない。冷徹な工程管理だ。俺がタイムスケジュールと機材リソースのバックエンドを統括する。お前は……その不必要なほどの行動力で、他クラスとの交渉と人員配置(前衛)を回せ」
俺がマーカーを置くと、温は数秒間目を丸くしてパチパチと瞬きした。
それから、太陽のような眩しい笑顔を弾けさせた。
「青野! アンタ、ほんっと最高! やっぱりその計算オタクの頭、飾りじゃなかったのね!」
「……非論理的な評価だ」
「小難しい数式は全部青野に任せたわよ! 舞! ひかり! 私たちで他の二年生のクラス説得に走るわよ!」
「はいはい、了解っと」と舞が笑い、ひかりが俺と温を交互に見て「……へぇ」とニヤニヤ笑いを浮かべた。
俺と赤井の、現実世界でのタッグが始動した瞬間だった。俺がバックエンドで盤面を構築し、彼女がフロントの最前線で暴れ回る。一切交わらないはずの正反対の能力。それがなぜか、不思議なほどの既視感を伴って噛み合っていくのが分かった。
* * *
数日後。生徒会室。
文化祭企画の最終承認会議。
Bクラスのリーダー的存在である瀬川陸が、腕を組んで俺の提出した分厚い企画書を睨みつけていた。
爽やかなスポーツマンフェイスには、明確な敵意と冷たさが張り付いている。
「四ノ宮会長、これはリスクが高すぎます。赤井がやりたい気持ちは分かりますが、青野の試算は机上の空論だ。当日の千人規模の生徒の不規則な動きまで完全に制御できるわけがない。もし事故が起きれば、秋の生徒会選挙を控えている赤井の顔に泥を塗ることになります」
瀬川の隣で、情報参謀の桐島尚也が静かに眼鏡を押し上げ、冷たい声で補足する。
「ええ。最近、校内でも妙な噂が広まっていますからね。……学年一位の青野君が、人気者の赤井さんを裏から操って、自分の実績を作ろうとしているんじゃないか、と」
露骨な悪意と牽制。
だが、俺にとって他人の感情など単なるバグに過ぎない。
「不確定要素への最適化は既に完了している」
俺は手元のタブレットを操作し、プロジェクターに別画面を開いた。
「過去五年分の文化祭における全生徒の動線データを解析済みだ。ボトルネックが発生する三つのポイントには、すでに中村たちのアジテーター(先導)要員を配置する算段がついている。瀬川が危惧するようなスタック(渋滞)は理論上、起こり得ない」
淡々と事実だけを述べる俺の横で、温が机に両手をついて身を乗り出した。
「瀬川君! 理屈は青野が全部計算したの! 完璧でしょ? でも、これだけじゃただの数字の羅列。実際にみんなを巻き込んで最高に面白くするのは、アタシたちの役目じゃない! だからお願い、絶対に成功させるから!」
温の直感的で圧倒的な熱量と、俺の冷徹で完璧なロジック。
正反対の二つの槍が、生徒会という壁に同時に突きつけられている。
「……面白い」
重い沈黙を破ったのは、生徒会長の四ノ宮昴だった。
厳格で合理的な彼は、企画書と俺たちを鋭く見比べる。
「熱意だけで裏付けのない暴走と、計算だけで熱量のない机上の空論。お前たちは、互いの致命的な欠陥を見事に補完し合っている。だが見事なのは書類の上だけだ」
「あら、良いタッグじゃないですか」
不意に、部屋の奥から穏やかだが圧のある声が響いた。いつの間にか様子を見に来ていた小林校長だ。
「本校の理念はご存知ですね。自由は与える。だが、それに伴う責任を取れる者にだけだ。……君たち二人に、全校生徒を巻き込むこの巨大な企画の重責を負う覚悟はありますか?」
「「当然です(当然でしょ)」」
俺と温の声が、一切のズレなく重なった。
四ノ宮が小さく息を吐き、企画書に『承認』の重い印を押す。
「結果を出せ。出せなければ二人まとめて責任を取らせるぞ」
「はいっ! ありがとうございます、会長、校長先生!」
温が破顔する。
俺は表情を崩さず「合理的な判断に感謝する」とだけ返した。
退出する際、背中に瀬川のギリッと歯を食いしばるような気配を感じたが、振り返るコストすら勿体ないと判断して無視した。
*
それからの一週間は、過負荷な並列処理の連続だった。
図書室の片隅を実質的なバックエンド本部とし、俺は三つのタブレットとノートPCを並べて全クラスの進捗と予算消化率を同時に監視・修正し続けた。
一方の温は、持ち前のすさまじい反射神経と人を巻き込む引力で校内を駆け回り、トラブルを発生の直前に物理的に解決していく。
「青野! 資材の段ボール足りない! Cクラスからもらってくる!」
「待て、Cクラスへ行くより搬入口の余剰資材を回した方が距離効率がいい。ルートマップを端末に送った。走れ」
「りょーかいっ!」
弾丸のように飛び出していく温の背中を見送りながら、俺は一切の手を止めずにキーボードを叩き続ける。
「……なぁ、温」
資材のテーピングを手伝っていたひかりが、戻ってきた温にニヤニヤしながら肩をつついた。
「なに?」
「温さー、最近青野君としゃべってる時の顔、すんごい生き生きしてるよね。なんか、ゲームしてる時みたいにさ」
「へっ!? な、なに言ってんのよ! ア、アタシはただ文化祭を絶対に成功させたくて……!」
温が顔を赤くして無駄に大きな声で慌てるノイズが聞こえたが、俺は微塵の表情も動かさず、ディスプレイを見つめ続けた。
だが、光が強くなれば、当然のように影も濃くなる。
数日後。機材確認のために廊下を歩いていた俺の耳に、階段の踊り場から嫌な声が飛び込んできた。
「ってかさー、青野のやつマジで調子乗ってない?」
瀬川の取り巻きである石井剛の、空気を読まない拡声器のような声だ。
「絶対あいつ、温ちゃんが目立つのに便乗して裏で操ってるだけでしょ。陰キャ特有の暗いアレじゃん? な? 瀬川もそう思うだろ?」
「……俺は知らん。だが、青野の計算がもし失敗したら、全責任を負わされるのは代表に立っている赤井の方だ。秋の生徒会選挙にも響く。俺はそれだけを危惧している」
瀬川と石井、そして桐島が何かを画策するように言葉を交わす気配。
本来なら、そんな雑音は俺の心に何の波紋も起こさないはずだった。
だが、不可解なことに、胸の奥で微かな「エラー」が発生しているのを感じた。
『アタシたちが組めば最強ってことには変わりないわよね!』
あいつの言葉が呪いのようにこびりついている。
俺は薄暗い廊下で、手元の端末に鋭く視線を落とした。
(邪魔はさせない。計算を狂わせるバグは、本番前に徹底的に排除する)
あの不遜な言葉の通りに、ロジックで証明してやるしかない。
俺が道を敷き、あいつがそこを走る。
この不可解なタッグにおいて、俺たちを止められるロジックなど存在しない。




