第14話 中間テスト
定期考査、いわゆる中間テストというシステムは、純粋な学力を測るためのものではない。
俺――青野冷によれば、あれは「教師という名のゲームマスターが設定した、定期的なPvE(プレイヤー対環境)クエスト」に過ぎない。
テスト前日の図書室の奥の席。
俺の脳のワーキングメモリは、現在そのリソースの七割を別の並列処理に割いている。仮想空間『Game Nexus』における、Aブロック覇者『Night Hound』との本戦シミュレーションだ。盤面のユニット配置パターンを四十七手先まで脳内で展開し、最適解を模索し続けている。
残りの三割のリソースで、俺は明日のテスト科目に向けた最終調整を行っていた。
出題者には必ず思考の癖がある。過去のデータと授業ログを解析すれば、出題確率八十パーセント以上の問題は事前に「視える」。
必要なのはバグのない最適化された工程だけだ。
「あーもう、計算の答えは分かってるのに、国語みたいなこのネチネチした文章題だけは何度見てもイラつくわ!」
静謐な俺の論理空間を、無遠慮なノイズが切り裂いた。
顔を上げると、斜め前方のテーブル席で、赤いサイドテールを振り乱している少女――赤井温の姿があった。隣のBクラスの彼女の周りには、星野や中村といったいつもの取り巻きがいる。
温の手元を遠目から観察すると、思わず眉間を揉みたくなるほどの物理攻撃が展開されていた。
数学の関数の計算問題。異常な速度で数式を見た瞬間に答えが浮かんでいるのか、マッハの速度で鉛筆の先を紙に叩きつけるように「ガガガガッ!」と凄まじい筆圧で解き進めている。図書室の静寂を破壊するほどの物理音だ。
だがその反面、文字数が多い文章題や国語のワークに差し掛かると、途端にフリーズして頭を抱えている。
「……赤井」
俺は席を立ち、極めて低い声で声をかけた。
「その騒音はやめろ。物理的な計算速度でゴリ押しても、変数を伴う文章題のプロセスを理解せずに丸暗記しては無意味だ。数値を変えられたら応用が利かない。出撃コストの無駄遣いだぞ」
「な、なによ青野! 隣のクラスのアンタには関係ないでしょ!」
温はビクッと肩を震わせた後、むすっとした顔で俺を睨み返してきた。
「アタシだって計算の速さと正確さなら誰にも負けない自信があるのよ! でもさ、数学の文章題って、わざと難しく分かりにくい言い回ししてくるじゃない? 『点Pが任意の軌跡を描くとき〜』とか。何言ってるか全然頭に入ってこないのよ!」
「……言語的抽象化の処理が極端に苦手、ということか。典型的な読解デバフだな」
「デバフとか言わないでよ! だからね、あの小難しくて嫌〜な文章を見た瞬間にフリーズしないように、例題のパターンを丸ごと暗記してるの! 『このパターンならこのテンプレ』って決め打ちしておけば、あとはアタシの計算速度で粉砕できるでしょ!」
堂々と言い放つその姿に、俺は絶句した。
国語的な論理構築を最初から放棄し、「計算の精度とスピード」という一点突破の物理攻撃と、「パターンの強引な丸暗記」というヒューリスティクス(発見的手段)で難問の装甲を粉砕しようとしている。
それはGame Nexus内で彼女が操る高機動アタッカー『Scarlet』の、理不尽極まりない突撃戦術と完全にフラクタル(自己相似)を描いていた。
「……勝手にしろ。その脳筋戦術でどこまで通用するか、見物だ」
「アンタのそのチマチマした計算より、絶対アタシの方が点数高いんだからね! 結果見て泣かないでよね!」
キャンキャンと吠えるレッドノイズを背に、俺は自分の席へと戻った。
Night Houndのシールド展開を突破するアルゴリズムの演算を再開する。
交わるはずのない二つの直線。だが、彼女のあの異常なエネルギーレベルが本番でどのような結果を叩き出すのか。俺の中にわずかに、好奇心という名の計算外のバグが生じていた。
* * *
(青野冷・視点)
翌日から始まった中間テスト本番。
Aクラスの教室にはピンと張り詰めた静寂が落ち、シャーペンが走る音だけが響く。
第一科目、英語。
長文読解問題を開いた瞬間、俺は段落ごとに配置された『ディスコースマーカー(However, Therefore等)』だけをハイライトして抜き出す。
英語は俺にとって、単なる「ルールの塊」だ。文章の情緒など読み取らない。空欄の前後の論理式(A=Not B)から逆算し、無表情でマークシートを塗りつぶしていく。
脳の空いたワーキングメモリでは、まだNight Houndの射撃タイミングの解析アルゴリズムを並列で走らせ続けている。
*
(赤井温・視点)
第一科目、英語。
長文問題。青野みたいな文法的な「ここはSでVだから」なんて理屈はサッパリだ。
でも、アタシには秘密兵器がある。パパの海外展開の仕事についていって、幼い頃を外国で過ごした帰国子女の勘だ!
難しい単語の羅列も、頭の中で海外ドラマみたいに音声再生すれば、文脈に合わない「気持ち悪い音」の選択肢は直感で弾き飛ばせる。
「コレとコレは音が変! 絶対三番ね!」
理屈なんてない。無意識に蓄積してきた「言語のリズム」が正解を教えてくれる。私は鼻歌を歌うようなテンポで、マークシートをサクサク塗りつぶしていった。
*
(青野冷・視点)
続く第二科目、社会科(世界史)。
後半に待ち構えていたのは、配点の高い複合論述問題だ。
『18世紀の産業革命がアジアの植民地化に与えた影響を、指定語句を用いて述べよ』
社会科は暗記科目ではない。俺にとっては「原因と結果の因果律ネットワーク」だ。年号は単なるインデックス(索引用のタグ)に過ぎない。
俺の脳内で、巨大なデータベースの検索クエリが走る。
『検索条件:18世紀、産業革命、アジア。ヒット数34。最適化を開始する』
俺は出来事を単体で覚えない。蒸気機関の普及(打属性)が交通網の発達(突属性)を生み、それが植民地支配の加速(斬属性)へと繋がる。事象をシステムの相互作用としてリンクさせ、指定されたキーワードという『出撃コスト』をピッタリ上限まで使い切る。
一文字の無駄もない、完璧なアルゴリズムの論述を書き上げた。
*
(赤井温・視点)
社会科(世界史)。
「キタキタキター! 産業革命!」
私は心の中でガッツポーズをした。昨日、図書室で「殺気」を感じて真っ赤に塗りつぶしたところがドンピシャで出たのだ。
論述問題なんて怖くない。私にとって歴史は、壮大な「推したちの群像劇」であり、箱庭シミュレーションゲームだ。
『イギリス君が服を作りすぎて売りたいけど、インドのおじさんたちが「要らない」って言うから、大砲ドーンってして無理やり買わせた!』
私の脳内では、歴史上の国々が擬人化され、勝手に動き回っている。難しい学術用語なんて知らなくても、「歴史の大きな波」は映像として見えている。
あとは、その波の勢いをそのまま文章に叩きつけるだけ。消しゴムのカスを猛烈な勢いで撒き散らしながら、私は出題者が求めている要点を直感という鋭い槍で正確に貫き通した。
*
(青野冷・視点)
そして最終日、最後の科目である数学。
立体図形の切断問題などは、ベクトルを用いて平面を関数に置換するだけだ。俺のIQオーバーの論理演算が一つずつ証明の城を構築していく。
ただ、中盤に配置された『変数を複数含む、実計算量の極めて多い関数計算』。配点はたったの二点。
俺は一瞥し、即座に「解法のコスト計算」を行った。
『この計算に投じる時間(出撃コスト)と、得られるリターンの効率が悪すぎる』
俺は瞬時にこの一問を「意図的に放棄」した。
残りの後半の確率の文章題。難解な言い回しも、言語的修飾を剥ぎ取り、純粋な数式に翻訳してしまえば、あとは単純な四則演算だ。
完璧なタイムマネジメントで難解な文章題の解答を終え、俺は小さく息を吐いた。
*
(赤井温・視点)
数学の最終問題。
「キタキタキター! 計算問題!」
アタシの真骨頂! 異常な処理速度に任せ、問題を見た瞬間に鉛筆を叩きつけるように走らせる! まるでゲームのコンボを決めるみたいな、ゴリ押しの物理攻撃!
硬いゲームパッドの連打の様にガガガッ!と音を立てる。
後ろから「うるせぇよ」と聞こえたような気がしたが、私は前半から必死だった。
なぜなら、後半の確率の文章題。
「……日本語で言ってよ、もう!」
国語みたいなネチネチした言い回しにフリーズしかけるが、昨日丸暗記したパターンに数値を強引に叩き込む。
立体図形は数式なんて無視。頭の中で3Dレンダリングしてナイフでスパスパ切って答えの形(六角形)を「視る」。そこから答えに合わせて、減点されないための
「それっぽい途中式」を逆算して書き殴る猛烈なつじつま合わせ!
丸暗記していない文章題は全制限時間の半分近くを使って、
難解な表現の意味を必死に予想し、何とか答えをひねり出す。
「終わったぁ……!」
終了のチャイムと同時に、私は机に突っ伏して大きなため息をついた。
* * *
数日後。青野冷が登校すると、一階の昇降口横にある巨大な掲示板の前に、
人だかりができていた。
中間テストの学年総合順位の発表である。
「うっそ……またアタシが、負けた……?」
掲示板の最上段を見上げた温が、呆然と呟いた。
そこには毅然とした明朝体でこう記されていた。
学年第一位 青野 冷(Aクラス) 498点
学年第二位 赤井 温(Bクラス) 494点
学年第三位 瀬川 陸(Bクラス) 492点
「やあ。順当な結果だな」
俺が背後から声をかけると、温はビクッと肩を震わせ、赤いサイドテールを揺らして振り返った。
「青野……! ちょっとぉ!なんなのよこの得点差は!」
「全科目五百点満点中、俺の失点は数学で意図的に後回しにして切り捨てた計算問題の二点のみ。赤井、一歩間違えれば、三位の瀬川に抜かれていたぞ」
「うるさいわね! 国語はともかく、数学の文章題は答えは合ってたのに、途中の書き方が足りないって言われたのよ! 瀬川君とは二点差で超危なかったけど、逃げ切ったからアタシの勝ちみたいなもんよ!」
温は地団駄を踏み、悔しそうに顔を歪めた。
あの強引なつじつま合わせの継ぎ目を、採点者というデバッガーに見抜かれたのだろう。
「当然の結果だ。君のヒューリスティクス(直感)に頼った戦術は、瞬間的な火力は高いが、システムの仕様を完全に理解していない以上、必ずどこかでエラーを吐く」
「なによ! たった四点差じゃない! 次は絶対にアタシが上に行くんだからね!」
「無駄だ。君のような不確定要素の塊が、俺のロジックを上回る確率は天文学的に低い」
いつもの不毛な口論だ。
周囲の生徒たちが、「あの一位と二位の2人、またやってるよ」と遠巻きにヒソヒソと囁き合っている。
しかし、俺の内心には以前のような彼女に対する「ノイズ」としての嫌悪感は存在しなかった。
プロセスは真逆だ。片やすべてを計算し尽くす究極の論理。片やすべてを直感で捉え、処理能力で物理的に叩き潰す究極の直感。
水と油のように絶対に交わらないはずの二つの才能。
だが、その相反する能力がもしタッグを組んだ時、いかに凄まじいシナジーを生み出すか。それを一番よく知っているのは、他ならぬ俺自身だ。
まるで彼女がゲーム内のScarletのようだ。
「……ま、今回はアンタの勝ちってことで認めてあげるわよ。でも!」
温はバッと俺を指差し、自信に満ちた太陽のような笑顔を向けた。
「ねぇ! アタシたちの点数足したら、合計992点! アタシたちが組めば学年ぶっちぎりの最強ってことには変わりないわよね!」
理屈が飛躍しすぎている。個人のテストの点数を足してタッグの強さを測るなど、統計学的に何の意味もない。
「……非論理的で無意味な計算式だ」
俺は呆れたように小さく息を吐いたが、顔の筋肉が微かに緩むのを止めることはできなかった。
「だが……最強であるという結論部分だけは、同意してやってもいい」
俺がポツリとそう零すと、温は一瞬驚いたように目を丸くし、それから「でしょ!」と嬉しそうに笑った。
他人はバグだと思っていた。一人で完結する強さこそが正常値だと信じていた。
しかし、俺のゲーム内のパートナーには今、俺の論理を破壊し、同時に俺の論理を完成させてくれる、最強で最悪の相棒がいる。
掲示板の最上段に並んだ二つの名前を見上げながら、ゲーム内のScarletとの勝利の
予感と似たようなものを感じていた。
そして、赤井は気づいていないが、遠目に瀬川が悔しそうに睨んでいるのが見えた。
その原因はテストの点数以外だと瞬時に推察出来たが、赤井には言わなかった。




