挨拶は、ちゃんとしましょう
川野は、山本と仲直りしてから、実家挨拶に臨みたかったのだが、結局それは叶わなかった。
彼女が浴室から出てきた頃には、山本は既に寝室でふて寝をしていて、そのまま一言も話さず、ついに朝を迎えてしまった。
「⋯あっ、起きた。おはよう。」
川野が目を覚ますと、こちら側に体を向けて横たわる、仏頂面の山本がボソッと呟いた。
彼は既に外着に着替え、髪もセットしていて、出掛ける支度は万端のようだ。
「おはようっ。」
夢から醒めて、昨夜の出来事を一気に思い出した川野。
山本に負けじと、仏頂面で挨拶を返した。
「はぁ⋯。」
山本は、呆れたように溜息をつき、すぐ寝室を出て行ってしまった。
ふてぶてしい態度に対抗し、ここで籠城したい気分の川野だが、そうもいかないので渋々、起き上がった。
シャワーを浴び、予め決めておいた、着替えとメイクで支度をどんどん進めていく川野。
山本は、一言も話すことなくソファーに座り、ムスッとした顔でTVを眺めている。
いつもなら、川野が支度でバタついている時、山本が冷凍ごはんを温めて、納豆を添えてくれたり、おにぎりを握ってくれたりするのだが⋯。
今日は、そんな気になれないようだ。
「よしっ、カバンとあとは⋯お菓子を忘れずにっと。お待たせしました!」
準備を終えた川野が、山本に声を掛けた。
「そっか⋯。今日はよろしくお願いします⋯。」
最低限の言葉を返し、山本は川野に目も合わせず、玄関に向った。
いつまで引きずるのか、この男は⋯。
面倒臭そうな顔をした川野は、彼の後を続いた。
山本の実家は、東京の立川にある。
2人は、赤い電車に乗って品川駅まで行き、JRに乗り換えたが、目的地の立川駅まで、会話も見つめ合う事もしなかった。
駅を出て15分ほど歩いたが、長い足でスタスタと歩く、山本の後を必死に追っていた川野は、けっこう疲れてしまっている。
繁華街を抜け、住宅街の一角のマンションに辿り着いた。
そのまま止まることなく、外階段で2階に上がり、突き当たりまで進んだ。
そこに、山本の実家があった。
角部屋特有の玄関ポーチがあり、いくつかの鉢に植えられた紫や黄色のパンジーが、鮮やかに咲き乱れている。
ピンポーン―
川野が、花に見惚れているのをお構いなしに、躊躇なく、実家の呼び鈴を鳴らす山本。
ギョッとする川野。
心の準備は出来てはいたが、深呼吸の一つくらい、させて欲しかったのだが。
「はーい!今、開けますね〜。」
インターフォン越しに、女性の軽やかな高い声が聞こえて来た。
ガチャッ―
「いらっしゃ〜い!初めまして、どうも哲也がいつもお世話になっております〜。」
部屋の中から、小柄で品のある女性が、丁寧に挨拶をして来た。山本の母だ。
「初めまして〜。川野光と申します。こちらこそ、哲也さんには、いつもお世話になっております。」
(第一印象、大事!)
激しく動く心臓を物ともせず、丁寧に挨拶を返す川野。
「まぁ〜♪さぁ、中へどうぞ!ほら、哲也っ!またそんな顔して。ちゃんと光さんを、エスコートしなさいっ。」
山本の母は、川野を一目で気に入ったようで、玄関のドアを全開にし、ニコニコと微笑みかけながら部屋に通した。
そして、川野の隣で、仏頂面を崩さない息子を叱った。
「親父、ただいま。こちら、川野さん。」
居間に入ると、そこには山本の父がいた。
スラっと背が高く、ロマンスグレーの髪を、七三分けにし、整えている。
「おぉ~!よく来てくれたね!哲也の父です。」
「初めまして!川野光と申します。宜しくお願いいたします。」
握手をしながら、父親とも挨拶を交わした川野は、想像以上に優しい山本の両親に、温かく迎えられ、安堵した。
だが、まだ“正式な挨拶”は、これからだ。
母親から、ダイニングテーブルの椅子に着くよう勧められ、山本と2人、並んで腰を下ろした。
再び、緊張が走る。
「お茶かコーヒー、どちらが良いかしら?光さんは、どちらがお好きかしら?」
一度、椅子に座った山本母が、落ち着かない様子でそう言って、再び立ち上がろうとした。
「待って!母さん、先に話したいから。」
山本は母を制止し、話を続けた。
「父さん、母さん。先日、電話でも言いましたが⋯。俺は、川野さんと結婚します。川野さんのご実家にも、既に挨拶を済ませて、許可をもらっています。今後とも、2人をよろしくお願いします!」
両手とおでこをテーブルに付き、深々と頭を下げた山本。
先程までの悪態は、どこへ行ったのだろうか?
とても、シンプルで誠実な言葉に、川野は頬を赤らめた。
「よろしくお願いいたしますっ!」
山本と同じく、深々と頭を下げる川野。
しばらく、静寂が続いた。
川野が恐る恐る、顔を上げると、山本の両親は嬉しそうな顔をして、涙ぐんでいた。
「光さんっ!こんな気分屋で、ふてぶてしい息子ですが、どうぞよろしくお願いします。」
「哲也、良かったな!光さん。コイツはね、しょっちゅう家に帰って来ては、ずっと会社を辞めたい、辞めたいって、私達に愚痴を零していたんですよ。転職を勧めたこともあります。それが最近、パタッと止みましてね。以後、辞めたいなんて言葉は聞いていません。表情もすっかり明るくなって⋯。これも光さんの影響なのでしょうね。本当に、ありがとうございます。これからも、末永くよろしくお願いします。」
温かい言葉をかけられ、思わず涙腺が緩む川野。
「ありがとうございますっ!今後とも、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。」
そう言って再び、深々とお辞儀をした。
「ありがとうっ。光と2人でちゃんと幸せになるから。」
山本はテーブルの下で、川野の手を優しく握り、微笑んだ。
その後、初めに渡しそびれた菓子折りを渡し、ティータイムへと突入した。
用意した菓子折りは、アムールの焼き菓子だった。
マドレーヌやフィナンシェ、クッキーなどが詰め合わせてある。
それを見て、目を輝かせる山本母。
恐らく、山本の甘い物好きな所は、母親に似たのだろう。
人当たりの良い山本親子と、会話の引き出しが多い川野は、とても相性が良かった。
お陰で、会話が途切れない。
家族の話に仕事の話。
趣味の話や酒の話⋯。
10:00頃に山本家を訪ねたのだが、現在の時刻はもう12:00を回っている。
「あらっ、いけない!もうこんな時間。光ちゃん、お腹空いたでしょう?私の手料理で、おもてなししたいと思ってたんだけど、家のもう一人が、ぜひ、光ちゃんのために腕を振るいたいって言ってて⋯。今から店へ向かおうと思うんだけど、ご迷惑じゃないかしら?」
山本母が、川野の顔色を伺うように尋ねて来た。
「哲也さんのお兄さんがですか?とても嬉しいです。ありがとうございますっ!お母さまのお料理は、次の機会にぜひ頂きたいと思います!」
そのような話は、山本から事前に聞いていなかったので少しびっくりしたが、嬉しいサプライズなので、川野は快く返事をした。
「おぉ!良かった。アイツの料理は、なかなかイケるから、光さんの口にも合えば良いなぁ。」
頷きながら、笑顔を浮かべる山本父。
こうして4人は立川駅周辺の、山本の兄が営む店へと向った。




