好き放題は、程々に
横浜中華街の一角にある、オーダー式の中華食べ放題店。
北京、上海、四川、広東など、有名な各地の中国料理はここで、何でも食べられる。
今日はこの店で、川野と湯川の歓迎会が行われる。
横浜支社の企画・営業部の飲み会といえば、この店というくらい、馴染みのある美味しいお店だ。
営業部の人数は14名程なので、6人掛けテーブル席に4・5人ずつ、3ヶ所に別れて座った。
川野の座るテーブル席には、湯川、本島、佐々木、そして、今日の幹事の山口主任が同席している。
横浜支社のトップの迫田統括部長は、20代の若者と飲みニケーションを通して、親睦を深めたい(あくまで仕事についてで、変な理由ではない)と、別のテーブルへ行ってしまった。
山口主任は30歳の男性社員で、山本や佐渡と同期だが、彼は入社当初から横浜支社の所属なので、2人とはお互い名前だけは知っているレベルで、あまり面識が無い。
常識人で穏やかな性格の彼は、そこにいるだけで周りを癒すムードメーカーだ。
声を張り上げる事もほとんどなく、どちらかと言えば囁く様に話すため、ガサツな川野はたまに“えっ?何?何?”と、聞き返してしまう事がある。
幹事の山口が、予め注文した乾杯用のビールと前菜。
ジョッキを手に取り、乾杯の音頭を、迫田統括部長が取りだした。
「湯川次長、川野課長、横浜支社へようこそ!⋯ではなく、お帰りなさい!川野君は特に、色々あったけどね。とにかく大きくなって、古巣に戻って来てくれた2人を、私達は大歓迎します。これからよろしく!乾杯っ!」
「カンパーイ!」
カチャン―
各々に、冷たいビールを体に流し込んで行く。
川野と湯川の歓迎会が始まった。
いつもなら、1杯目のビールは瞬殺する川野だが、今日の彼女は控え目だ。
まだ、ジョッキの半分も飲んでいない。
翌日、山本家への挨拶があるため、酒を体内に残したくないのもあるのだが、なんてったって苦手な湯川が隣に座っているので、気持ち良く飲めないのだ。
おまけに、川野と湯川の向かいには、本島が座っており、彼女は湯川に取り入ろうと、一生懸命おべっかを使っている。
川野より自分の方が気に入られたいと、必死なのが見え見えだ。
「光っ、棒々鶏3つ頼んで。あとピータンと麻婆豆腐。」
湯川は川野に注文をするよう頼んで来た。
メモ用紙に、料理メニューに割り振られた番号を、記入しようとする川野。
「あっ!私やります!」
パッと立ち上がり、川野が手元に置いたメモ用紙とボールペンを奪うように取ると、メニュー表の番号を確認しだす本島。
「本島は気が利くなぁ。光ももっと頑張って、気を使えるような女になれよ!お前は昔から、ガサツなんだからよ!」
湯川に、本島と比べられ蔑まれる川野。
向かいの席で、本島は顎を少し上げてニヤリと笑った。
言われた通り、注文を書こうとしていたのだが、この野郎には一連の出来事が、何も見えていなかったのだろうか?
マウント取りに必死な女と、モラハラ脳筋上司。
大変、不愉快だ。
下座に座る、佐々木と山口はどう反応して良いか分からず、困惑している。
歓迎会はまだスタートしたばかりなのに、酒が不味くて仕方がない川野。
2人の大人げない行動に、彼女はウンザリした顔をして、小さく溜息をついた。
「姉さんは、何頼みますか?」
湯川とは反対隣に座っている、山口が声を掛けてきた。
「ありがとう。」
山口の気遣いに感謝をしつつ、メニュー表を見てみるが、美味しそうなはずの料理が、どれもそそられない。
「じゃあ⋯、エビマヨと焼き餃子で。42番と36番ね。あと、ウーロン茶で。」
川野は、とりあえず皆も好きそうな料理を頼んだ。
「えっ〜、珍しいですねっ。姉さんが、飲み会でソフトドリンク頼んでいるところ、初めて見ましたっ。」
少し嬉しそうな、山口。
普段は食いしん坊で酒豪な川野が、体調が悪い訳でもないのに、渋い顔をして大人しいのが面白いようだ。
「これだけじゃ、全然足りないと思うので。姉さんが好きな海鮮八宝菜と、レバニラも頼んでおきますねっ。」
恐らく、このテーブルで一番気の利く山口がそう囁き、注文番号を次々と書き込み、オーダーを通した。
「ところでさ。光は何で、パワハラで異動になったんだ?」
急に、湯川がぶっ込んできた。
「えっ?あっ、それはですね、色々行き違いと言いますか⋯。堀田課長が大ごとにされまして。」
川野は、当事者の佐々木も同席しているので、苦し紛れにやんわりと釈明した。
「は?堀田はどうでも良いんだよ。お前は、佐々木に訴えられたんだろ?佐々木!お前はコイツに何されたんだよ。」
両肘をテーブルに付き指を絡ませ、鋭い眼光で佐々木に目を向けた湯川。
この視線を向けられた者は、彼が納得するまで逃れられない。
「はいっ!それは、その⋯⋯。」
言葉に詰まる、佐々木。
当時、彼女は、酷い仕打ちをされたと本気で傷付いたのだが、時が経てば経つほど、自分の一時的な感情で、川野を左遷にまで追いやった事を後悔していた。
「佐々木。俺は、はっきり答えられない奴が嫌いだ。被害者なのだから、堂々と理由を言えば良いだろ?俺は、職場の人間関係は、風通し良くしておきたいんだよ。」
佐々木に、厳しい言葉を投げかける湯川。
本当の理由を言った所で、既に、川野の騒動をはるかに上回るパワハラ具合を見せつける湯川には、通用しないだろう。
俯く、佐々木。
「私が、佐々木さんと一緒にやる仕事を押し付け、残業を強要しました!そしてこの件は、もうすでに和解しています!ご理解頂けましたか?」
川野は、湯川の高圧的な態度に我慢出来ず、ついに声を荒げてしまった。
正確には、仕事を押し付けた訳ではないのだが、このくらい言わないと湯川は納得しないだろうと思い、話を盛った。
周囲は、川野が湯川に怒鳴り返すとは想像していなかったので、驚いた。
「ほう?光⋯⋯。お前は、そういう所も変わってないな。ははははっ!昔からピーピー泣くくせに、泣きながら反抗して来たもんなっ!懐かしいなぁ〜。」
今までの鋭い顔つきが、一気に緩んだ湯川。
川野の背中をバシッと叩き、豪快に笑い出した。
「今はピーピー泣いてません!背中痛いですっ!」
「はははっ!そんに怒るなよ?光のそういう所、俺は気に入ってるんだよ〜。」
態勢が逆転し、険しい顔をする川野を、湯川がなだめ始めた。
「あまり酷い事するなら、祥子先輩に言いつけますからねっ!」
「あぁ⋯。祥子とは、離婚したよ。」
湯川が、ボソッと呟いた。
「えっ?⋯えっ?祥子先輩と離婚されたんですか?」
衝撃の事実にショックを受ける川野。
湯川は実は、既婚者だった。
相手の祥子先輩は横浜支社で、川野も何年か一緒に働いていた仲だ。
川野より3つ年上の38歳で、気立てが良く優しい彼女に、川野はとても懐いていた。
その彼女を射止めたのが、湯川だった。
湯川が本社に異動するタイミングで、寿退社をした祥子先輩。
その後、川野は彼女と連絡を取ることは無かったが、すっかり家庭は上手く行っているのだと思っていた。
しかし、湯川のこの性格が災いしたのか、祥子先輩の方から、離婚を突き付けて来たそうだ。
「はははっ、性格の不一致なら、仕方ないだろ?」
「そうですか⋯。とりあえず、棒々鶏来たので食べて下さい。」
川野は、祥子先輩が大好きだったので、湯川に今まで散々、苦労させられたのかと想像しただけで、気の毒に思ったのだった。




