すみませんでした
モーニングコーヒ&ティータイムを終え、川野達が事務所へ戻ると、他の社員もちらほらと出勤して来ていた。
「おはようございまーす!あれ?仲良く3人揃って、珍しいわね。」
木村さんが、川野の尻をポンッと叩いて笑った。
「おはようございます。えへへ⋯湯川次長の機嫌が良かったもので。」
木村さんに愛想笑いを浮かべながら、自身のデスクに着く川野。
仲が良い?
こちらは、それどころではない。
早朝から湯川のせいで、本島の中で何かが始まろうとしていて、それは別に本人の自由なのだが、つい心配になってしまう。
川野はパソコンを開き、メールチェックをするフリをして、デスク越しにいる本島をそっと視界に入れた。
本島の視線の先には⋯湯川だ。
湯川以外、そこには誰もいない。
という事はやはり、本島は湯川を見つめている。
(やっぱり、そうですよね⋯。)
川野は、彼女の恋の芽生えを確信した。
「おい、光〜。」
そんなこととはつゆ知らず、湯川が椅子のローラーを勢い良く滑らせ、川野にスーッと寄って来た。
やめろ、今は来るな!
せめて今だけは来ないでくれ!
川野の願いも虚しく、そのまま勢いで、膝が触れるほど近くまで寄る湯川。
直視は出来ないが、恐らく本島は下唇を噛んでいる。
「湯川次長、そうやって座ったまま、お尻でばかり移動してると、椅子が壊れちゃいますよ?用があるなら、呼び付けて頂いて結構なので。」
川野は湯川に、色んな意味で冷たい視線を向けた。
「光は最近、俺に小言を言うようになったな。可愛げが無くなってるぞ!明日の本社会議だが、迫田部長は直行直帰みたいだから、俺と2人で行くからな。お前が運転しろよっ。運転が上達しているかテストしてやる。あとこれ、新しい案件の調整よろしく!」
湯川は、鋭い視線で川野をギロッと睨み、視線を逸らさないまま、再びローラーを滑らせ自分のデスクに戻って行った。
そして、フンッ!と言わんばかりに、川野から顔を背けた。
朝から機嫌がコロコロと変わる人達に、どっと疲れが押し寄せてくる。
川野は眉間に皺を寄せながら、パソコンに目をやった。
しかし今度は、本島が何か言いたげにこちらを見つめているのが、ぼんやり視界に入って来る。
仕方なく、本島と目を合わせる川野。
「恵梨ちゃん、どうした?」
「ンッ!ンッ!今日の打ち合わせですが⋯車で行きましょう。」
なぜか、車での移動を所望する本島。
「うん、OKだよ!どっちが運転して行こうか。」
「私が運転します!」
彼女は、自分と運転技術を競いたいのだろうか?
まぁ、とりあえずそのくらいの事なら構わない。
「じゃぁ、お願いします。この時間帯は高速道路も混むからか、朝礼が終わったら出発しようね。」
川野は、本島のフォローもしたかったので、丁度良かったと思った。
ドンッ―
川野と本島が、社用車に乗り込んだ。
「では、本島係長、よろしくお願いいたします。」
「はいっ。⋯⋯あの、ナビは設定するのですが、間違いそうになったら修正して下さい。」
「うん、もちろん!」
エンジンをかけ、慣れた手つきでハンドルを握る本島。
会社ビルの地下駐車から、車が動き出した。
しばらく、何も話さないままの2人。
本島は口を真一文に結びながら運転をし、川野は助手席でひたすら辺りの景色を眺めている。
高速道路に入り、車の流れが悪くなって来た。
本島は短い溜め息をつき、ハザードランプを点け、後続車に渋滞を知らせた。
「⋯恵梨ちゃんって、運転上手だね。」
川野が、何気なく口を開いた。
「そ、そうですか?営業なので、当たり前です。」
川野に褒められて、素直に喜べない本島。
「そうかな?運転もセンスなきゃ出来ないからね〜。少なくとも、私より上手だよっ。」
そう言って川野はニコッと微笑んだ。
「それは分かりませんが⋯。明日はその、湯川次長と本社まで行くんですよね?川野さんの運転で。」
「うん。首都高とか怖くて苦手なんだよね〜。」
「くれぐれもっ!安全運転でお願いしますよ。上司を乗せるんですから。今日の帰りは練習として、川野さんが運転して下さいね。私も見てみたいので。」
「ほーい。」
本島はきっと、湯川の事を心配しているのだ。
そう思うと、自分の運転スキルを舐められようが、不思議と怒りは湧いて来ない。
彼女の、不器用でも真っすぐな訴えに、思わず顔がニヤけてしまう。
「でもさぁ、私が言うのも何だけど、佐渡君じゃなかったの?」
デリカシーの無い川野は、つい気になる事を聞いてしまった。
本島は、自身の心の内を、鈍感な川野が見透かしていることに気付き、思わず目を見開いた。
「何を言い出すかと思えばっ!」
それっきり、彼女は黙ってしまった。
静まり返る車内。
「⋯⋯ごめんねっ。」
川野は、自分の軽率な発言を素直に反省し、謝罪をした。
「⋯⋯いえ、謝るのは私の方です⋯⋯。」
前を向いたまま憂いを帯びた顔で、本島が呟いた。
「⋯⋯あの時⋯私⋯どうしても行かせたくなくて⋯⋯。嘘をつきました⋯⋯。」
今までとは明らかに違う様子の本島を、心配そうに見守る川野。
「川野さんが急に現れて⋯あっという間に彼の心を奪って行って⋯。悔しかったんです。だから、彼がお酒の弱いのを逆手に取って、一夜を共に過ごしたと、嘘をつきました。軽蔑するならして下さいっ。」
本島は、あの時の真相を吐き出し、唇を震わせた。
それを聞いた川野は、何とも言えない苦しそうな顔をしながら、彼女にかける言葉を、必死に頭の中に浮かべた。
「恵梨ちゃん。佐渡君の件は、本当にごめんね。恵梨ちゃんが佐渡君の事を想ってるって、知ってたら良かったんだけど。嫌だったよね⋯。」
本島に頭を下げる川野。
「謝らないで下さいっ。惨めになるだけなんで⋯⋯。それに、謝るのは私の方なんで。⋯⋯すみませんでしたっ。」
本島は、感情が溢れ出すのを堪えながら、なんとか言葉を紡いだ。
「ごめんね、こんな話になっちゃって⋯⋯。」
川野は、胸が苦しくなった。
もし、佐渡の申し出を最初からきっぱり断っていれば、本島と佐渡は上手く行っていたのかも知れない。
そして皮肉な事に、彼女がこういう風に佐渡を引き留めなければ、川野の隣にはきっと今頃、山本ではなく佐渡がいたのだろう。
恋愛というものは、なんでこうも丁度いい具合に行かないのだろうか。
「恵梨ちゃん。私はね、恵梨ちゃんの事をもっと知りたいと思ってる。だから、話してくれてありがとうっ。どんなに嫌がられようと、私は恵梨ちゃんを可愛がっていくつもりだからね!ヨロシクッ!」
川野は、本島を何とか励ますように、言葉を掛けた。
「⋯フフッ。川野さんて本当に、人たらしですねっ。」
本島が瞳を潤ませながら、初めて川野に微笑んだ。




