お迎えに参ります
本島との仕事が決まり、憂鬱な気分の川野。
そんな彼女にはもう一つ、気が乗らない事があった。
「ごめん!定時で上がりたかったんだけど、残業になった。1時間で終わらせるからっ!ホントにごめんっ。」
電話越しで謝り倒す山本。
「大丈夫だよっ。お兄さんはどうする?駅まで迎えに行った方が良いかな?」
急な残業は、仕方の無いことだと重々承知しているので、川野は優しく返した。
「そこまでしなくて良いよっ!あぁ〜でも、兄貴は方向音痴だからな。家に入れたこと無いし。一応、住所は教えたんだけど。」
「そっか。⋯じゃあ、駅の改札まで迎えに行くから、お兄さんに言っておいて。」
「ありがとう!ごめんねっ。じゃぁっ!」
山本はそう言って、慌ただしく電話を切った。
小さな溜め息をつく川野。
そうだ、今日はあの哲也の兄である優也が、家へ訪ねて来るのだ。
優也は川野にとって、未知なる存在だ。
一度会っただけで、彼の人間性をちゃんと理解出来るはずがないのは当然だが、なんてったってチャラそうだ。
あの、穏やかなご両親に生み育てられたのだから、悪い人ではないと思うが⋯。
チャラい男が苦手な川野は、彼とちゃんとした会話が成立するか不安なのだ。
「哲也君のお兄さんだし、大丈夫っ。頑張ろう!」
そう自分に言い聞かせ、川野は家を飛び出した。
外は、久々の雨が降り出していた。
小雨なのだが川野は念の為、優也の分の予備の傘を握りしめている。
約束の時間になった。
帰宅ラッシュ時のため改札が混雑する中、優也が通り過ぎないように必死に目を凝らしながら、人混みを見渡す川野。
すると、キャップを深々と被った高身長の男が、改札から出て来た。
その姿は、デニムのワイドパンツにエンジ色をベースとしたチェック柄のシャツを合わせた、何ともお洒落な古着スタイルだ。
そして、ウェーブのかかった黒髪を肩まで下ろしている。
(え、えっ?あの人かな⋯。ロン毛だったっけ!?声掛けて違ったら、舌打ちとかされそう⋯。)
川野は、優也の料理人の姿しか見たことが無いので、本人かどうか確信が持てず、声を掛けようか非常に迷っていた。
その男は、どんどんと川野に近付いて来る。
優也なのか?優也ではないのか?
じっと彼を眺めながら、なかなか声を掛けられない川野。
とうとう間近まで歩いて来たその男は、片手で自身のキャップのつばを上げ、川野の顔をグッと覗き込んだ。
「やっぱり、光ちゃんだ。」
ニコッと笑ったその顔は、紛れもなく優也であった。
先日の、テンション高めでキャッキャしていた電話時とは打って変わり、低めの声で非常に落ち着いている。
そのギャップに、呆気に取られる川野。
思わずフリーズしてしまいそうだ。
「お兄さん!今晩は。今日はここまでご足労頂き、ありがとうございますっ!」
とりあえず挨拶だけは丁寧にしようと、川野はぎこちなく頭を下げた。
「ふふふっ、固い固い!同い年なんだから、優也って呼んで。先に家に上がると哲也が気にすると思うから、どっかの店でお茶でもする?俺としては、料理の盛り付けをしたいから、早く家に入れて欲しいんだけど。光ちゃんは、嫌かな?」
そう言って優也は、片手に持った紙袋を2つ、グイッと持ち上げた。
「えっ?ありがとうございます!すみません、料理まで。雨も降ってますし、家に直行しましょう。その袋、どちらか持ちます!傘はこれ使って下さい。」
川野は、優也の柔和な態度や気遣いが素直に嬉しかったため、一気に歓迎モードへと変わった。
決して、絶品であろうプロの料理に釣られた訳ではない。
「ふふっ、ありがとっ。光ちゃんも俺の事、警戒してると思ってた。意外と信用してくれるんだね〜。」
優也はどこか嬉しそうに、再びキャップのつばを深々と下ろした。




