撤収の時間です
無事にイベント1日目を終え、片付けが始まった。
山本は、軽い偵察のつもりで訪れたのだが、昼食後は店番の手伝いをしたり、木村兄弟の遊び相手をしたりして、気付けば撤収作業まで手伝っていた。
「山本君は背が高くて力持ちだから、あっという間にテント畳めるのねっ!接客も良いし、気も利くし。きっと、どんな仕事もこなせちゃうんでしょ?うちの部署に来ない?」
木村さんは山本をすっかり気に入り、社内ヘッドハンティングをしようとしている。
彼女はパート社員だが、正社員時代には湯川の教育係を務めたくらいの古株なので、幅が利くのは確かだ。
「いえいえ、ほんの少しお手伝いしただけなので。企画・営業部の大変さは、川野さんを通して見ているので、俺なんかじゃとても⋯。」
山本は謙遜したが、木村さんの言葉が例えお世辞であっても、正直嬉しかった。
今まで、仕事の事で面と向かって褒めてくれたり、評価してくれる上司は、ほとんどいなかったからだ。
昇進だって、消去法の末だ。
東京第二支社の係長になった際も“あいつは駄目だ、あいつもイマイチ。このメンバーは本社に残したいから⋯じゃあ、無難な山本にしておくか。”という流れで決まった。
勿論、そんな決め方をしたという事は、本人には伝えられていないが、勘が良い山本には分かるのだ。
「哲也君がこっちに⋯。良いかも!でも、経理を抜けちゃうと、第二支社も困るだろうな〜。」
今まで考えた事がなかったが、彼の気が利いて器用な所は、営業部にも向いているのかも知れない。
山本の隣で両腕を組み、真剣に考え込む川野。
「ふふふっ、どうだろうねっ?さてと⋯光、俺はそろそろ帰るね。皆さん、お疲れ様でした!」
そう言って山本は、にこやかに挨拶をした。
「そっか。手伝ってくれてありがとうね!気を付けて帰ってね。」
支社が違うからとはいえ、これほど自然に皆の前で笑みを浮かべている山本を、職場では見たことがなかった川野は、何だかとても温かい気持ちになった。
「イケメン哲也〜、もう帰っちゃうの?寂しい〜っ!」
「哲也さん、楽しかったです!絶対また遊んで下さい!」
木村兄弟が、別れを惜しんでいる。
「ふふっ、またねっ。」
最後まで大智と真に手を握られ、名残惜しそうにしながら、山本は帰って行った。
「あとは荷物を積み込んで、会社に車を置くだけなんで、姉さんも山本と一緒に帰ったら良かったのに。」
山口が気を利かせ、声を掛けて来た。
「いいえ、ちゃんと社用車で会社まで帰りますよっ。今頃、湯川次長が事務所で待ち構えてそうじゃない?山口君だけ絡まれたら可哀想だし。帰りは私が運転するよっ!」
そう言って川野はニコッと笑い、荷物を詰めた段ボールを、勇ましい顔で運び出した。
その後、木村さん親子と公園で別れを告げ、川野達とは別の社用車で、今井・佐藤・坂本の3人は一足先に会社に戻って行った。
バンッ―
「よしっ!安全運転で行くからね!」
ブレーキペダルを踏みながら、車のエンジンをかけた川野。
ハンドルをギュッと握りしめ、姿勢を正した。
「姉さんの運転、久しぶりなのでドキドキします。」
助手席に座った山口は、とても緊張をしている。
そうだ、川野は滅多に運転をすることの無い、ペーパードライバーなのだ。
「ねぇ〜。私の運転、そんなに怖い?普段乗らないだけで、運転技術はそこそこ良いのよ?」
フロントガラス越しの風景をキョロキョロと見渡す、落ち着きのない山口を見て、川野はつい弁明したくなった。
確かに、川野の運転は普通レベルで、方向感覚も持っている。
だが、山口と乗る時は、ほとんど彼が運転するため、非常に慣れないのだ。
「大丈夫です、姉さんを信じてますので。⋯運転に集中したいと思うので、黙っておきますね⋯⋯。」
山口は川野を傷付けないように、当たり障りのない言葉を発し、そのまま黙り込んだ。
幹線道路に入り、渋滞に巻き込まれた2人。
このまま道なりに行けば、いつもなら30分も掛からないのだが、今日はそうもいかなそうだ。
辺りは夕暮れで、すっかり茜色に染まっている。
「⋯ねぇ、山口君。今回の企画、本当に良く出来てるよ。お客さんも楽しんでくれてたしっ!」
「嬉しいことですっ。皆で力を合わせて、頑張った甲斐があります。」
「プレッシャーでストレスもあると思うけど、何かあったら遠慮せず言ってね。愚痴でも文句でも、何でも良いからっ。」
川野は日中の、木村さんの言葉を思い出していた。
きっと山口は、周りを優先するあまり、自分の本音を押し潰してしまう事が度々あるのだろう。
「えへへっ。鈍感な姉さんが、そんな事言ってくれるなんて、よっぽど疲れて見えますかね?⋯お気遣い、ありがとうございます。僕は大丈夫ですよっ!あっ、でも⋯⋯1つだけ、ワガママ言っていいですか?」
「うふふ、何、何!?言ってごらん?」
「仕事終わったら、姉さんと2人で杏仁ソフト食べたいですっ⋯。前みたいに⋯⋯。」
「えっ?そんな簡単な事で良いの?もちろんOK!この前、約束したもんねっ。じゃぁ、山口君の奢りで食べに行こうっ!」
「はい⋯えへへっ。」
川野の軽やかな返事が、望み通りでは無かったのか、山口は何とも言えない苦笑いを浮かべた。




