飲茶
湯川からお茶に誘われ、残業を半ば強制的に終わらせた川野と山口。
「明日はいつもより早く来なきゃな⋯。」
そう呟いた川野だったが、よく考えてみると、早く会社に来たところで、きっとまた湯川とのやりとりで時間が潰れてしまうのだろうと、頭を抱えた。
「姉さん、余計な事言ってすみません⋯。湯川次長、休憩所で待ってるみたいなので声かけてきますね。」
そう言って山口は、申し訳なさそうに事務所を出て行った。
会社を後にして歩き出した3人は、湯川の先導の下、夜の中華街に足を踏み入れた。
「あれっ?湯川次長、今日は飲みませんよ!」
川野は、先ほどの話と違うと、焦りだした。
「分かってるよ、お茶だろ?お茶。お茶さえ飲めれば良いだろ?」
しきりに“お茶”を強調する湯川は、川野と山口の不安をよそに、紅灯籠やネオンの看板で彩られた通りを、どんどん進んで行く。
「着いたぞっ。」
湯川はニヤリと笑い、足を止めた。
その目の前には、喫茶店でもカフェでもなく、飲茶専門店があった。
「お茶って、そっちのお茶ですかっ。僕はこういうお店は初めてです。」
山口が、物珍しそうに店内を覗き込みながら言った。
「はははっ!山口はリアクションが良いなぁ〜!よし、入るぞっ。」
すっかりご機嫌の湯川は、山口に肩組みをして店内に入って行った。
「餃子、小籠包、美味しそう⋯。お酒飲まなきゃセーフだよな⋯。」
川野は店先に大きく掲げてある、豊富な点心メニューに、すっかり心を奪われた。
中へ入ると、そこには中国の伝統的なスタイルの、重厚感あふれる空間が広がっていた。
壁には漢文や水墨画の掛け軸が、所々に掛けてあり、厨房と客席を繋ぐ通路には、裏側を目隠しをする様に、大きくて立派な木彫りの屏風が置いてあったりする。
天井には、赤いランタンを模した照明が、店内を控えめに照らしている。
今日は平日のため、客入りはそこそこだった様で、3人はそのままスムーズに、店の奥側にある、ゆったりとした4人がけのテーブル席に通された。
湯川は山口と肩を組んだまま、並んで着席したため、後を付いて来た川野は、2人の向かい側に座った。
「さて⋯。ここはやっぱり小籠包だよなっ。後は⋯、光は焼き餃子が良いか?蒸し餃子も美味いから、これも頼もう。山口は?お前は何が好きなんだ?」
どんどんメニューを決めていく湯川。
彼は、普段は自分を貫き通す身勝手さが目立つが、意外と他人の好みを記憶していたり、気が向いた時には、気配りをしたりする。
「僕は何でも好きですが、今日は海老シュウマイと春巻を頼みます。飲み物は温かいプーアル茶で。」
「よしよしっ。今日は奢ってやるから、どんどこ食べろよ。光は?飲み物どうする?」
「え〜っ、あ〜っ⋯。私も温かいプーアル茶でお願いします。」
川野はドリンクメニュー表の下に、アルコール類が並んでいるのを細目で見ると、目をぎゅっと瞑り、険しい顔で答えた。
自分から飲みはNGと答えておいて、ここでアルコールに手を出す訳にはいかない。
「そうか?俺は、青島ビール飲むけどな。すみませ〜んっ!⋯これと、これと⋯。」
湯川は一通り注文を終え、満足そうな顔で両肘をテーブルに付き、両手の指を絡ませた。
そして、どこか物言いたげに、じっと川野の方を見つめている。
「次長、何ですか?」
しばらくその視線に、気付かないふりをして店内を見渡していた川野だったが、痺れを切らしてつい、尋ねてしまった。
「光〜、お前は山本と付き合ってどのくらいだ?」
穏やかな顔付きから一転、湯川の目がギロッと鋭くなった。
「私はえっと⋯、実質3ヶ月ですかね。一度、別れたので。」
「3ヶ月!?しかも、一度別れたって⋯それで結婚を決めるなんて、凄いですね。」
湯川の隣で、驚く山口。
「ほう!3ヶ月か。まぁ、結婚は勢いも大事だからな。⋯どうだ?今は一緒に住んでるんだろ?上手く行ってるのか?」
川野のプライベートな事を、根掘り葉掘り聞いてくる湯川。
「えぇ。上手く行ってますよ。喧嘩も少しはしますが、基本は仲良しなので。彼、優しいですし。」
正直、面倒臭いが、ここで答えないとまた後日絡まれる可能性が高いため、いい機会だと受けて立つ川野。
「そうか⋯。いや〜、俺は光がちゃんと結婚生活を送れるか心配してるんだよ。結婚は決して、甘いだけのものじゃ無いからな?極端に言うと、相手の事をどれだけ尊重出来るかにかかっている。思いやりだよ。ギブ&テイク!」
そう言いながら湯川は、テーブルに運ばれて来た青島ビールをグラスに手酌し、グビグビと飲んだ。
「そうですね〜。確かに、思いやりは大事ですよね。」
湯川の熱の入った言葉に、感心する川野。
「ところで、湯川次長は具体的に、何で離婚されたんですか?」
こういう事にデリカシーの無い川野は、単刀直入に疑問を投げかけた。
再び両手の指を絡ませ、固まる湯川。
「姉さんっ、そういう事は、もっとオブラートに包んで下さいっ。」
山口は思わず、川野に注意をした。
「山口⋯ありがとう。お前は人の気持ちが分かる良い奴だな!でも良いんだ。光は元々、こういう奴だから、慣れたものさ。⋯⋯祥子とはな、性格の不一致で別れたと言ったがな⋯。浮気されたんだよ。」
そう言って湯川は、絡めていた指を解き、両手で顔を覆った。
湯川との結婚生活が、上手く行かなかったからかも知れないが、まさか祥子先輩の浮気が離婚の原因だったとは⋯。
意外な事実を知り、元々、彼女を尊敬していた川野はショックを受けた。
「そうだったのですね⋯。それは、辛いですね⋯。」
横浜支社で再会してから、湯川はずっと平気な顔をしていたため、川野は彼の事が苦手なこともあり、あまりプライベートな事を聞かないでいた。
離婚から1年経っているとはいえ、本当は、湯川の心の傷は癒えていないのだろう。
川野は、度々、自分と何か話したそうにしていた湯川の様子を思い出し、もっと早く聞いてあげれば良かったと、胸を痛めた。
「俺も仕事が忙しくてさっ。祥子を大事にする気持ちが、薄れてたのかも知れないけどな⋯。まさか、再就職先の同僚と浮気するなんて思うかよっ。」
酷い表情を2人に見られないように、顔を覆ったまま声を震わせる湯川。
涙を流している訳ではないが、どうしょうもない切なさが滲み出ている。
何て声を掛けたら良いのか⋯。
川野と山口は顔を曇らせ、ただただ俯いた。
重苦しい空気の中、3人の目の前に、ホカホカの点心が次々と運ばれて来た。
「⋯暗くなっちゃって悪いなっ。まあ、俺はこんな感じよっ。ほら、熱いうちに食べようぜっ。」
苦しい思いを吐き出して、少し落ち着いたのか、湯川がようやく両手を顔から外した。
「湯川次長。今日はお茶にしますが、次回は飲みましょうね!もっと大人数で、パッーとやりましょう!」
川野は、湯川が元気になりそうな言葉を掛け、励ました。
「そうですね!僕も飲みは好きなので、行きましょう!」
山口もニッコリと笑った。
「(モグモグ)⋯はぁ、お前ら優しいなっ。ありがとうっ。」
春巻を食べながら、湯川はクシャッとした笑顔を浮かべた。
その後、元気を取り戻した彼が勢い良く、熱々の小籠包を頬張り口内をヤケドしたのは、言うまでもない。




