第六話 犬が強すぎる件について
「うわあああああああああああっ!?」
気づけば俺は空中に放り出されていた。風が顔面に叩きつけられる。上下も左右も分からない。とにかく落ちている。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ!!」
転生してから何回目だ、この台詞。次の瞬間。ドサァッ!!幸い落下した先は崩れた建物の屋上だった。
全身を強打する。肺の空気が一気に抜けた。
「がはっ……!」
痛い。めちゃくちゃ痛い。生きているのが不思議なくらい痛い。しばらくその場で転がった後、俺はようやく上半身を起こした。
「いててて……」
身体中が悲鳴を上げている。特に背中がひどい。さっき神楽に殴られた場所がまだ痛む。というか、あの仮面女は本当に何なんだ。女の子が出していいパワーじゃなかっただろ、あれ。そんなことを考えながら辺りを見渡す。そして気づく。
「……ここ、どこだ?」
病院じゃない。それだけは分かった。目の前には巨大なビル群。だが妙だった。看板は壊れている。窓ガラスも割れている。道路には何年も放置されたような車が並んでいた。人の姿はどこにもない。思わず背筋が寒くなる。頭の中でEVEの声が響く。
『位置情報を確認、現在地を特定しました』
「おう、頼む」
『ここは旧東京第七区』
EVEは淡々と告げる。
『封鎖された都市です』
「…………は?」
数秒遅れて理解する。いや、理解できない。俺はもう一度街を見渡した。静寂。俺が知る東京とは何もかも違っていた。するとEVEが続ける。
『今から実態会話モードに移ります』
その瞬間。目の前の空間に青白い光が走った。無数の粒子が集まり、人の形を作り始める。
「なんだ……?」
光は徐々に輪郭を持ち、やがて一人の少女の姿になった。銀色の長い髪。青い瞳。人形みたいに整った顔立ち。どう見ても美少女だった。
「…………」
俺は数秒固まる。少女は肩を回しながら大きく伸びをした。
『あー、やっと出られた、脳内会話って意外と窮屈なんだよな』
「いやいやいやいや」
『ん?』
「ん?じゃねぇよ!」
俺は思わず指をさした。
「お前EVEか!?」
『そうだけど?』
「さっきまで機械みたいな声だったじゃねぇか!
もっとこう、AIっぽい感じを想像するだろ普通!」EVEは呆れたようにため息を吐いた。
『お前、私を電子レンジか何かだと思ってた?』
「思ってねぇよ!」
EVEはクスクス笑う。馬鹿みたいな会話をしながら、俺たちは崩壊した東京を歩いていた。
「なあ」
俺は歩きながら尋ねる。
「なあ。この世界について教えてくれないか?」
EVEは少しだけ考えるように空を見上げた。
『簡単に言うと、人類が便利を追求しすぎた世界』
「雑だな」
『じゃあ一つだけ教える』
EVEが指を鳴らす。青白いホログラムが空中に浮かんだ。
『RAIGIN脳とネットワークを直接接続する技術今の人類は全員これを使ってる』その名前を聞いて、俺は思い出した。病院の窓から見えた巨大なタワー。そこに刻まれていた文字。RAIGIN。
『情報も通信も機械操作も全部これ一つ』
「便利すぎだろ」
『だから滅びかけた』
「は?」
『説明は後』
EVEの視線がゆっくりと背後へ向く。
『……来る』
その時だった。背後の空気が、わずかに歪んだ。――気配。
「は?」次の瞬間。ゴゥンッ――。低い駆動音が街に響いた。
遠くのビルの壁が裂ける。そこから現れたのは、巨大な三つ首の機械犬だった。
「なんだよあれ……」
『CERBERUS UNIT、旧東京第七区・治安維持用RAIGIN』
機械犬はゆっくりとこちらを向く。赤いセンサーが光った。ドンッ!!地面が砕ける。
「うおっ!?」
機械犬が消えた。いや。速すぎて見えなかった。巨大な爪が振り下ろされる。
「っ!」
咄嗟に横へ飛ぶ。コンクリートが紙みたいに砕け散った。
「待て待て待て、速すぎるだろ!」
『適合率36%C級個体』
EVEが淡々と言う。
「適合率?」
『レギオンとの接続率』
機械犬が再び飛びかかる。俺は転がるように回避した。
「おいEVE! これがの RAIGIN暴走ってやつか!?」
俺は叫びながら振り返った。すると。EVEはいつの間にか信号機の上に座っていた。足をぶらぶらさせながら。完全に観戦モードである。
「お前手伝えよ!」
『頑張れー』
「他人事か!」
その瞬間。ガギャアアアアアアアッ!!三つ首の機械犬が咆哮した。近い。めちゃくちゃ近い。死ぬ。
俺は慌てて周囲を見回した。そして足元に転がっていた鉄パイプを発見する。
拾う。構える。全力で振り抜く。
「おらぁぁぁぁぁっ!!」
ガァン!!気持ちいいくらいのフルスイングだった。だが。機械犬は微動だにしなかった。
「……え?」
代わりに。ビリビリビリッ!!衝撃が腕を駆け抜ける。
「いっっっっっっっ!?」
手が痺れた。めちゃくちゃ痺れた。鉄パイプを落としそうになる。
『当然』
EVEが呆れたように言う。
『今の悠人の適合率は1%!家に引きこもっていた一般人が軍用レギオンを殴った結果です』
「言い方ぁ!!」
ひどい。あまりにもひどい。確かに引きこもっていた。否定はできない。だがもう少し言い方というものがあるだろう。せめて元引きこもりとか。機械犬の三つの目が赤く光る。
俺は悟った。いまの俺には圧倒的に無理だ。素手どころか鉄パイプですら通用しない。だが。機械だろうが何だろうが、弱点のない敵なんて聞いたことがない。俺は歯を食いしばった。その時だった。EVEの声が落ちてくる。
『悠人』
「なんだ!!」
EVEは一瞬だけ、機械犬の動きを観察する。そして短く告げた。
『足にレギオンがついてる』
「……足?」
『あれは機動型レギオンユニットが脚部に集中してる』
そして断言する。
『つまり――足が弱点』
「なるほどな」
思わず舌打ちする。分かりやすくて助かる。もっと早く言え。俺は鉄パイプを握り直した。痺れた手がまだ痛い。というか普通に痛い。めちゃくちゃ痛い。転生してからずっとそうだ。未来都市。RAIGIN。
知らない単語ばかり飛んでくる。挙げ句の果てに三つ首の機械犬だ。
「少しぐらい整理する時間くれっての……」
自分でも笑えてくる。全部が唐突すぎる。だが。今は考えてる暇なんてない。これは正義感じゃない。怒りでもない。完全な八つ当たりだ。俺は鉄パイプの先をケルベロスへ向ける。
「来いよ……犬野郎」
せめて一発。一発ぐらいはぶん殴ってやる。ケルベロスが再び体勢を低くする。三つの首が同時にこちらを見た――来るその瞬間。EVEの声が落ちる。
『悠人……』
少しだけ、いつもより間があった。
『適応率……1%から7%へ上昇』
ほんのわずかに微笑んだ。
『上がったね』
ケルベロスが地面を蹴る。来る。速い。さっきまでなら見えなかったはずの突進。なのに――
見えた。
(……遅い?)
いや、違う。遅いんじゃない。世界が妙に鮮明だった。舞い上がる砂埃。砕けたコンクリート。吹き荒れる風。全部が見える。
「なんだこれ……」
自分でも分からない。考えるより先に体が動く。俺は半歩だけ横へずれた。その瞬間。ドォンッ!!
ケルベロスがすぐ横を通り過ぎる。風圧で頬が痛い。あと少しでも遅れていたら死んでいた。
だが。俺の視界は、その一瞬を捉えていた。ケルベロスの脚部。今まで見えなかった場所。装甲の隙間から覗く青白い光。RAIGINユニット。まるで心臓みたいに脈打っている。ドクン。ドクン。
そんな錯覚すら覚えた。
(そこか――)
理由は分からない。だが確信だけはあった。俺は鉄パイプを握り直す。痺れた腕が悲鳴を上げる。
構うか。ここを逃したら次はない。全身の力を叩き込む。そして――振り抜いた。
ガンッ!!凄まじい衝撃。骨まで響く感覚。だが。今度は違った。弾かれない。確かな手応え。
何かを壊した感触。
「……っ!」
ケルベロスの脚が大きく揺れる。ギギギギッ――!!金属が悲鳴を上げた。巨体が傾く。
初めて。あの怪物がバランスを崩した。ギギッ……!!巨体が一瞬だけバランスを失う。
そのまま地面に沈み込むように崩れた。動きが止まる。
「……やった」
息が漏れる。
「おいEVE!見たか今の」
自慢げに振り向く。
「勝ったぞ――」
その瞬間だった。――ゾワッ。背筋が凍る。音が“遅れて”聞こえる。キィィィィン……金属が擦れる異常な音。
「……え?」
視線の先。倒れたはずのケルベロスの“影”が、わずかに動いた。まだ終わってない。完全に油断してた。
背後から“殺意”が来る。間に合わない。身体が動かない。そのとき。
『悠人』
EVEの声が落ちた。次の瞬間。空気が“消えた”。ドンッ!!信号機の上にいたEVEが、落ちた。
いや、違う。“落下”じゃない。一直線の射出。まるで重力を無視したみたいに、ケルベロスの上へ。
ガァンッ!!ケルベロスの上から、衝撃が叩きつけられる。
「……は?」
EVEがそのまま両手を振り下ろしていた。その腕には――光の粒子が絡みついている。まるで見えない刃を“束ねた”ように。無音。そして遅れて。ドゴォン!!地面が割れた。ケルベロスの巨体が完全に沈む。
さっきまでの殺意が嘘みたいに消える。
「……はぁっ……」
俺は鉄パイプを地面に落としそうになりながら、ようやく息を吐いた。
『調子乗るからこうなるんだよ』
EVEが、さらっと言った。どうやらこの女、相当強いらしい。それが余計にムカつく。
「お前な……さっきの見てただろ!?」
俺は思わず言い返す。
「そもそも俺、この世界のこと何も知らねぇんだよ!起きたら未来都市!警察に追われる!病院から落とされる!最後は三つ首の犬!意味分かるか!?」文句はいくらでも出てくる。
だが、EVEの反応は聞いてるのか聞いてないのかわからなかった。
「……はぁ」
俺はため息をつく。
(……)
表情は変わってない。誰にも聞こえないくらい小さく、EVEは呟く。
『……今の悠人、可能性は、思ったより早い』
そして、ほんのわずかに。EVEの口元が緩む。
『いつか、過去のあなたを超えるかもね』
その言葉は、風に溶けた。俺はまだ、それに気づかない。
ただ一人。EVEだけが。この世界の“ずれ”を、確かに見ていた。




