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第十章  襲来

黒雷が放たれる。悠人から見れば。

避けられる攻撃ではなかった。街一本。

いや。ビル群ごと消し飛ばせそうな黒い雷撃。

「避けろ!!」

悠人が叫ぶだが。EVEは動かなかった。

静かに右手を上げる。そして。

黒雷が直撃した。

ドォォォォォォォン!!

衝撃波が旧東京を駆け抜けた。

「EVE!!」

悠人の叫びが響く。

やがて。煙が晴れる。そこに立っていたのは。

無傷のEVEだった。直撃した。確かに。

回避も防御もしていない。それなのに。

『解析完了』

EVEが淡々と告げる。

『黒雷出力確認エネルギー構造解析完了コピーしました。』

神楽の表情が僅かに変わった。嫌な予感。

EVEが神楽へ右手を向ける。黒い稲妻が走った。

「私の黒雷!?」

神楽が即座に刀を向ける。

二発目の黒雷。そして。

ドゴォォォォォォン!!

二つの黒雷が真正面から激突した。


♦︎


カレンたちは異常反応地点研究エリアへ到着していた。

「……おい」

カレンが眉をひそめる。

「これはどういう状況だ」

目の前に広がる光景。それは戦場ですらなかった。

虐殺だった。兵士たちの死体が散乱している。

壁には血痕。砕けた装備。引き裂かれた装甲。

何か巨大な獣が通ったような痕跡。

颯太が駆け寄る。しゃがみ込み。

遺体を確認した。

「これは……」

顔色が変わる。

「斬傷です」

「なに?」

「鋭利な爪のようなものです」

周囲を見渡す。地面には深い裂傷。

コンクリートまで切り裂かれていた。

「まだ近くにいるかもしれません」

その瞬間だった。ゾクリ。

背筋を氷でなぞられたような感覚。

本能が警告する。颯太だけではない。

カレンも。

周囲の兵士たちも。全員が同じものを感じていた。

視線。圧倒的な殺意。呼吸が止まる。汗が流れる。

誰も動けない。

そして。

カツ。

何かが着地する音がした。全員が振り返る。そこには。

巨大な黒い獣がいた。赤い双眼。鋼鉄の牙。全身を覆う漆黒の装甲。ただ立っているだけで空気が重い。

颯太が息を呑む。

「これが……A級RAIGIN……フェンリル……?」

目の前の存在から目が離せない。巨大だった。

ただ大きいだけではない。存在そのものが異質だった。

本能が理解している。あれは戦ってはいけない相手だと。その時。カレンが前へ出た。赤い髪を揺らしながら鋭く叫ぶ。

「総員!」

全員の意識が引き戻される。

「戦闘体勢に入れ!」

兵士たちが反射的に武器を構えた。

カレンはフェンリルから目を離さない。

「相手はA級RAIGINだ」

声が響く。

「甘く見た瞬間に死ぬぞ!!」

緊張が走る。兵士たちの額から汗が流れた。颯太も遅れない。腰の武器へ手を伸ばし戦闘位置へ移動する。

フェンリルは動かない。ただ。赤い瞳だけがこちらを見ていた。まるで観察しているように。その様子が逆に不気味だった。カレンが右手を振り下ろす。

「撃てぇぇぇぇ!!」

轟音。次の瞬間。

無数の銃声が地下空間へ響き渡った。

ダダダダダダダダダダッ!!

火線が走る。

閃光が明滅する。数十人の兵士による一斉射撃。

弾丸の嵐。普通のRAIGINなら原形すら残らない。

フェンリルの全身へ凄まじい量の銃弾が叩き込まれる。

爆発。火花。土煙。

視界が完全に埋め尽くされた。

兵士たちが息を呑む。

「やったか……?」

誰かが呟いた。

その瞬間だった。

ギィィィィン――

煙の奥。赤い光が二つ。見えた。

フェンリルの眼だった。

兵士の顔から血の気が引く。

「嘘だろ……」

フェンリルが一歩前へ出る。

ズシン。

大地が揺れた。もう一歩。

ズシン。

その度に空気が重くなる。

フェンリルがゆっくりと口を開く。

鋼鉄の牙が覗く。次の瞬間。

ドォォォォォン!!

黒い衝撃波が正面へ放たれた。最前列の兵士たちが吹き飛ぶ。人形のように。

壁へ叩き付けられる。

悲鳴。絶叫。血飛沫。

戦線が一瞬で崩壊した。

颯太の目が見開かれる。

「なんだよ……これ……」

次元が違う。

フェンリルはゆっくりと歩いてくる。

誰も止められない。

身体が動かない。

視界の端では兵士たちが吹き飛ばされている。

不思議と恐怖は消えていた。代わりにあったのは。

諦めだった。

(ああ……)

フェンリルの赤い瞳がこちらを見ている。

逃げられない。そう理解してしまった。

(最後くらい、悠人と話したかったな……)

そう思った瞬間だった。

ドォォォォォォォンッ!!

凄まじい閃光次の瞬間

フェンリルの巨体が横へ吹き飛んだ。

巨大な体が転がっていく。瓦礫が舞い上がる。

「なっ……!?」

颯太は目を見開いた。我に返る。そして見た。

少し離れた場所。カレンだった。長い赤髪が揺れる。

肩には巨大な砲身。

もはや機関銃というより重砲だった。

胸部のRAIGINが青白く発光している。

幾本ものケーブルが神経接続されていた。

砲身の先端から白煙が上がっている。

今の一撃を放ったのだ。

颯太は思わず呟いた。

「す、すごい威力だ……」

カレンは視線をフェンリルから外さない。

その表情に余裕はなかった。

「颯太!」

「は、はい!」

「立てるか!?」

颯太は歯を食いしばる。

震える足に力を入れる。

「なんとか……!」

「なら動け!」

カレンが怒鳴った。

その瞬間。

吹き飛ばされた瓦礫の山が動く。

ギシッ。

ギシギシッ。

嫌な音が響いた。

「まさか……」

次の瞬間。

ドォン!!

瓦礫が吹き飛ぶ。その中から。フェンリルが姿を現した。装甲は僅かに削れている。だが。

それだけだった。赤い双眼がこちらを見据える。

怒っている。誰の目にも分かった。

カレンが舌打ちした。

「チッ……」

最悪だった。あれだけの爆発。あれだけの火力。

それを受けてなお立っている。

A級。その言葉の意味を全員が理解した。

フェンリルが一歩前へ出る。

ドシン。

地面が揺れた。兵士たちが思わず後退る。恐怖は伝染する。誰もが本能で理解していた。勝てない。

目の前にいるのは敵ではない。

災害だ。

「撃てぇぇぇぇ!!」

誰かが叫んだ。無数の銃声が響く。銃弾の嵐。

レーザー。ミサイル。

ありったけの火力がフェンリルへ叩き込まれる。

だが。フェンリルは止まらない。

まるで雨の中を歩くように前進する。そして。

消えた。

「な――」

兵士の言葉が最後まで続かなかった。次の瞬間。鮮血が舞う。兵士の身体が宙を飛んだ。

続けて二人。

三人。

四人。

何が起きたのか見えない。ただ結果だけが残る。

悲鳴。絶叫。血。死。

フェンリルが通った場所だけが赤く染まっていく。

「散開しろ!!」

カレンが叫ぶ。

だが遅い。

巨大な爪が振るわれた。

ドォン!!

衝撃だけで兵士たちが吹き飛ぶ。

壁に叩き付けられる。

動かない。颯太は歯を食いしばった。

(このままじゃ全滅する)

目を動かす。

必死に。

少しでも生き残る方法を探す。

その時だった。

視界の端。

壊れた研究設備。

床を走る巨大な送電ケーブル。

そして。

フェンリルを封じていた拘束装置。

脳裏に一つの可能性が浮かぶ。

(あれだ)

「カレンさん!!」

颯太が叫んだ。

「五秒だけ時間をください!」

カレンが振り返る。

その顔には既に血が流れていた。

「何する気だ!」

「封印設備を使います!!」

説明している暇はなかった。

颯太は全力で走る。

背後では悲鳴が響く。

また一人。

また一人。

兵士が倒れていく。

振り返れない。振り返ったら足が止まる。

研究員用の制御端末へ飛び付いた。

画面は割れている。火花も散っている。

だが。

まだ生きていた。

「頼む……動いてくれ……!」

震える指で操作する。

地下研究エリアの設計図が表示された。

電力網。拘束フィールド。封印システム。

全てが画面へ映し出される。

フェンリルを封じるために作られた設備。

なら。

もう一度だけ使えるはずだ。

「動け……!」

端末を叩く。

認証を強制突破。警告表示が次々と現れる。無視した。

今さら壊れて困る設備なんてない。

研究区画の照明が消える。

警報が鳴り響く。

地下施設全体が赤く染まった。

全電力が一か所へ流れ込む。

拘束装置。

ただそれだけのために。

「まだか!?」

遠くでカレンが叫ぶ。

爆発音が続く。

フェンリルが迫っている。

「あと少しです!!」

指が止まらない。

心臓がうるさい。

汗が流れる。

失敗したら終わりだ。

全員死ぬ。

そして。

最後の認証が完了する。

『封印システム再起動』

機械音声が響いた。

颯太の目が見開かれる。

「今です!!」

カレンが吠えた。

巨大砲が火を吹く。

同時に。

地下研究エリア全域の拘束装置が起動した。

バチィィィィィィッ!!

青白い光が地下を埋め尽くす。

無数の電磁フィールド。

何百本もの拘束鎖。

光の檻。

その全てがフェンリルへ殺到した。

巨大な黒い身体を包み込む。

拘束。

固定。

封印。

フェンリルの動きが止まった。

地下空間が静まり返る。

誰も動かない。

誰も声を出さない。

ただ。

フェンリルだけを見ていた。

そして。


颯太は初めて思った。

――勝ったかもしれない。

と。

青白い拘束フィールドがフェンリルを包み込んでいる。

兵士たちの顔にも安堵が浮かんでいた。

誰もが信じられなかった。

A級を。

止めたのだ。

「やった……」

誰かが呟く。

「助かった……」

張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

だが。

その時だった。

ピクリ。

フェンリルの前脚が動いた。

「……?」

颯太の笑みが消える。

漆黒の装甲の隙間。

そこから赤黒い光が漏れていた。

ドクン。

ドクン。

ドクン。

まるで巨大な心臓が鼓動しているようだった。

嫌な予感がする。

本能が叫ぶ。

逃げろと。次の瞬間。地下研究エリアに残されていた膨大なエネルギーが吸い寄せられ始めた。

拘束フィールド。封印装置。研究設備。

全てのエネルギーがフェンリルへ流れ込んでいく。

「おい……」

兵士の一人が呟く。

「なんだよ……あれ……」

光は増していく。やがて。

眩しさすら感じるほどになった。

カレンの顔色が変わる。

「全員――」

叫びかけた瞬間。

バキィィィィィィン!!

甲高い破砕音が地下研究エリアに響いた。

誰も理解できなかった。何が起きたのか。

ただ一つ。分かったことがある。

拘束フィールドが砕けた。

青白い光の鎖が次々と崩壊していく。

「そんな……」

颯太の顔から血の気が引く。

あり得ない。

この施設はA級を封じるために作られたはずだった。

それなのに。

フェンリルは止まっていない。

赤い双眼が静かに颯太を見据えていた。

獲物を定めるようにフェンリルの姿が消えた。

「――っ!!」

死を悟る。本当に。何もできなかった。

次の瞬間だった。

「危ない!!」

誰かが叫ぶ。

ドンッ!!

凄まじい衝撃。

颯太の身体が横へ吹き飛んだ。

床を何度も転がる。

肺の空気が強制的に吐き出される。

何が起きたのか分からない。

意識が白く飛ぶ。数秒。いや。

もっと短かったかもしれない。

霞む視界を開いた瞬間。全てを理解した。

そこにいたのは。カレンだった。

フェンリルの爪を真正面から受けていた。

肩から脇腹まで装甲が引き裂かれている。

血が流れていた。止まる気配がない。

「カレンさん!!」

叫ぶ。喉が裂けそうなほど。カレンは膝をついた。

それでも拳銃を構えている。震える腕で。

フェンリルを睨み続けている。

「ぼさっとしてんじゃねぇ……」

血を吐きながら笑う。その笑みは。

どこか無理をしていた。

「生きてるなら動け……」

だが。その声も途中で途切れた。

カレンの身体が崩れ落ちる。

動かない。颯太の呼吸が止まった。

周囲を見渡す。兵士たちは倒れていた。

誰も動かない。誰も返事をしない。

血。瓦礫。死体。崩壊した研究施設。

そして。立っているのは。自分だけだった。

「……あ」

理解する。

終わった。

本当に終わった。

フェンリルがゆっくり近付いてくる。

一歩。また一歩。

その度に地面が揺れる。逃げられない。身体が動かない。心臓だけが暴れている。

フェンリルが前脚を持ち上げた。巨大な爪。

振り下ろされれば終わり。颯太は思わず目を閉じた。

死ぬ。そう思った。その瞬間だった。

ゴロォォォォォォン……

雷鳴が響く。地下にいるはずなのに。

まるで空そのものが鳴ったような轟音。フェンリルの動きが止まる。

颯太が恐る恐る目を開いた。フェンリルは自分を見ていなかった。

赤い双眼は。もっと遠く。

旧東京中央区。雷が落ちた方向を見ていた。まるで何かに呼ばれたように。

次の瞬間。

ドォォォォォン!!

フェンリルが跳んだ。天井を突き破る。コンクリートが砕ける。鋼鉄が捻じ曲がる。大量の瓦礫が降り注ぐ。

巨大な黒い影は一直線に雷鳴の方向へ消えていった。

残されたのは。瀕死のカレン。壊滅した部隊。

そして。

膝から崩れ落ちる颯太だけだった。

「……助かった?」

震える声が漏れる。

だが。

安堵はなかった。

胸の奥に残ったのは恐怖だけだった。

あの化け物は逃げたんじゃない。

もっと危険な何かを見つけただけだ。

颯太は崩れた天井を見上げる。

暗闇の向こう。

雷鳴が響いた方向を。

ただ呆然と見つめていた。

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