第3話 新米大家ですが
絶叫して尻もちをついた藤夏の前に、ぬっと二つの影が現れた。
ひとりは、ボサボサの茶髪をかき上げながら欠伸をする、どこか大型犬を思わせるワイルドな青年。
鼻先をひくひくと動かし、まるで空気の匂いを“読む”ようにしている。
もうひとりは、彫刻のように整った顔立ちに長い睫毛、そしてなぜか顔に真っ白な泥パックを塗りたくった超絶イケメンだった。
その姿は、ホラーでもギャグでも説明できない“異様な美”を放っている。
「……うるさいなぁ。せっかくいい夢見てたのに」
茶髪の青年が、面倒くさそうに鼻をクンクン鳴らした。
そして藤夏の足元で倒れている男を一瞥する。
「あーあ、またやってるよ。ねえアーカード、そのシャツ、おばあちゃんが大事にしてたヴィンテージなんだからね。トマトジュースのシミは落ちにくいんだよ?」
「……ト……マト……」
床に伏した男——アーカードが、震える指先で空を掻いた。
「……リコピン……リコピンを……注いで……くれ……」
(リコピン……? いや、血じゃないの……?ていうか“注ぐ”って何……? 点滴みたいに言うなよ……!)
「リコピンの前に、少しは静かにさせろ。私のゴールデンタイムが台無しだ」
白いパックを塗ったイケメンが、冷ややかな視線を藤夏に向けた。
手に持った高級そうな美容液のボトルを愛おしそうに撫でながら、藤夏を上から下まで値踏みするように見つめる。
「君か。藤子が言っていた『次の管理人』というのは。……ふむ、鼻の形は悪くないが、そのクマは深刻だ。管理人が不健康だと、この屋敷の“美の気”が乱れる」
(美の……気……?いや、そんな概念、初耳なんだけど……!)
藤夏は腰を抜かしたまま口をパクパクさせた。
目の前には、血まみれ(に見える)で倒れる男。
その横でレタスを齧り始めた野生児。
そして、顔を真っ白にして美学を語る現役モデル並みの超絶イケメン。
(……これ、夢? 悪夢?いや、現実だよな……?ていうか、なんでレタス齧ってんの……?)
「な、……なんなんだよ、君たちは……!警察! 警察を呼ばなきゃ……!」
「警察? やめてよ、あいつら声が大きいから嫌いなんだ」
茶髪の野生児が、藤夏の顔のすぐそばまでぐいっと顔を寄せた。
犬歯がきらりと光る。
「それよりさ、おばあちゃんの孫なら持ってるでしょ?……『秘密の鍵』」
「鍵……?」
藤夏が震える手で真鍮の鍵を握りしめると、三人の視線が一斉にその手に吸い寄せられた。
「そう、それ。それを持ってるってことは、今日から君が僕たちの『飼い主』……あ、違った。『大家さん』ってことだ」
茶髪の野生児はニカッと犬のように笑い、ドラキュラは床を這いながら藤夏の靴を掴んだ。
「……大家、さん……。……冷蔵庫……野菜室の……一番奥に……僕の、特注濃縮トマトジュースが……あるはずなんだ……。それを……それを、僕の口に……」
(いや、やっぱり血じゃないんかい……!ていうか“野菜室”って言ったよな今!?
トマトジュースって野菜室使うの!?)
「……」
藤夏は遠のく意識の中で確信した。
ここは洋館ではない。
「世捨て人の精神病院」か、あるいは「新手のコスプレ集団のシェアハウス」だ。
(……いや、むしろ俺が入院した方がいいのか……?)
「おばあちゃん……僕、もう帰りたい……」
藤夏の切実な呟きは、アーカードがトマトジュースを求めて発した「ぐぅぅ……」という腹の虫の音にかき消されていった。




