第2話 坂の上の柊荘と、赤い惨劇
都心から私鉄で30分弱。
駅前には巨大な商業施設がそびえ、その先には古くからの商店街が活気を放っていた。
買い物客や学生たちの笑い声が響き、街は生命力に満ちている。
その喧騒を背に、柊 藤夏ひいらぎ とうかは重いスーツケースを引きながら、反対方向の静かな住宅街へと足を向けた。
ゴロゴロ……。
キャスターの音だけが、静まり返った住宅街に虚しく響く。
歩くこと20分。初夏の陽気は容赦なく体力を奪い、藤夏は額の汗を袖で乱暴に拭った。
(……こんなに人の気配がない道、久しぶりだな。会社を辞めてから、外を歩くのも億劫だったのに……おばあちゃん、よくこんな坂の上で暮らしてたよ……)
息を切らしながら丘を登り切ると、目指す「柊荘」が姿を現した。
黒い鉄門の向こうには、手入れの行き届かない広い庭と、時代に取り残されたような古びた洋館。
三階建ての建物は深い緑の蔦に覆われ、尖った屋根、縦長の窓、深い軒が異国めいた雰囲気を漂わせている。
昼間だというのに、窓は一様に暗い。
厚手のカーテンが、初夏の眩しい日差しを拒絶するように固く閉ざされていた。
(……いや、拒絶っていうか……“日差し? そんなもの必要ない”って拗ねてるみたいだな、この屋敷)
不意に風が吹き抜け、庭の木々がざわめいた。
カサカサという擦過音は、まるで眠っていた屋敷が「やっと来たか」と深く息をしたようにも聞こえる。
「……ここが、柊荘か」
思わず独り言が漏れた。
祖母・藤子が遺した遺産。
そして今日から自分が管理人として守らなければならない場所。
藤夏はポケットから古めかしい真鍮の鍵を取り出した。
手のひらでずっしりと重い。これを回せば、もう引き返せない。
(頼むから、中は綺麗であってくれよ……いや、最低限……人が住めるレベルで……)
錆びついた鉄門を押し開けると、ギィィィ、と不吉な金属音が静寂を裂いた。
玄関へ続く石畳を歩き、重厚なオーク材の扉に鍵を差し込む。
カチリ。驚くほど滑らかに鍵は回った。
「……お邪魔します」
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
薄暗いロビーには埃が舞い、古い書物の匂いと——。
(ん? なんだ、この匂い……?鉄……? いや、鉄ってこんな“甘い”匂いしたっけ?)
奥の廊下から、ふらふらと影が近づいてきた。
「……あ、……あぁ……」
青白い顔の男。
胸元には、べったりと鮮血のような赤い液体。
(え、血!? いや、血ってこんな鮮やかな赤……?いやいやいや、そんな分析してる場合じゃない!)
男は藤夏に向かって細い指を伸ばし、そのまま膝から崩れ落ちた。
「……鉄、分……。鉄分が……足り、ない……」
ドサリ。
藤夏の足元に、血まみれ(に見える)男が倒れ込む。
(やばい! 死んでる!? いや、死にかけ!?ていうか鉄分って何!? 血じゃないの!?)
「う、うわあああああ!! 殺人事件だぁぁぁぁ!!」
藤夏の絶叫が、静かな柊荘にこだました。
その瞬間——。
屋敷のどこかで「ガタン!」と何かが落ちる音がした。
続いて、二階の方から「……ワォ……」とも「……フン……」ともつかない奇妙な声が漏れる。
(な、なんだ今の……!?え、まだ誰かいるの……!?ま、まさか犯人!?)
藤夏は震えあがった。
これが、新米大家・柊藤夏と、おかしな住人たちとの、最悪で最高な日々の幕開けだった。




