小話1. 侯爵夫人の独り言、或いは懺悔
私達の孤児院は、今は誇らしいところですけれど、昔は酷いものでした。孤児院を運営する大人達、私たちは先生と呼んでいた人間達からの暴力と搾取は想像よりも一歩進んだところにありました。
この状況を打開したいと私とクロムは決意しました。次の世代にこんな酷い経験をさせたくなかったからです。当時の私達にすれば途方もない夢でしたが、為せば成ると言いますから私達は努力を夢に届くまで積み上げることにしました。
そして、孤児院を立て直し、悪い大人を排除するためにまずお金が必要ということになり、私は身体を売ることにしました。クロムは戦争に征くことにしました。クロムの妹、私の大事なかわいい子でもあるクルアハを孤児院に残して、私とクロムはがむしゃらにお金を稼ぎました。
クルアハをあの孤児院に残すことは心配でしたので、時折、私はクルアハの様子を見に行きました。兄が戦争に征き、寂しそうでしたが、気丈に振る舞っていました。
「大丈夫だよ、リリー。心配はいらない。みんな元気だ。私が治せる範囲の怪我しかしてない」
そう言っていつもクルアハは笑っていました。私はその笑顔を見る度に安心していました。間夫がなければ女郎は闇なんて言いますが、あれは事実でしょう。私の名前を呼ぶクルアハの声は何より眩しく、私を照らしてくれました。私は照らされるだけでした。
クルアハには不思議な魅力がありました。涼しげでどこか達観してはいるものの年下らしい可愛らしさがあり、私は愛していました。クルアハのためならば何でもできました。身体を売ることも、打算のために結婚をすることも、クルアハの笑顔を思えば何てことはありませんでした。私がクルアハの笑顔を護れているのだと思うと心の底からあたたかいものが込み上げました。
今、思えば、私は傲慢でした。あの子は私ごときが護れるような人間ではなかったのです。
そのような日々が5年ほど続いたある時、私は領主の侯爵様に見初められました。孤児院を救ってくれるという約束もしてもらい、私はこれで救われると大手を振って孤児院に帰りました。
領主様を伴って孤児院に現れた私を出迎える中に、自分の悪事を晒されると気づき青褪めた先生、もうこれで大丈夫だと安心する子供達はいましたが、クルアハはいませんでした。私は領主様との駆け引きで忙しく、クルアハとはしばらく会っていませんでしたので、焦ったくなるような思いで探しました。けれど、クルアハはなかなか見つからず、孤児院中を探してようやく見つけました。あの子は地下の一室にいました。じめじめとカビ臭い中であの子は自由を奪われ、血だらけでした。
「やあ、リリー、どうした?」
クルアハはいつものように言いました。
「どうしたじゃないわよ!ここで……、ここで何があったの!!」
私はクルアハのいる地下の一室になかなか足を踏み出せませんでした。辺り一面血だらけだったからです。もうどうしていいかわかりませんでした。
「…………」
クルアハは私の問いかけに無言で微笑んでいました。私が安心する柔らかないつもの笑顔でした。
私はしばらくの間、呆然と立っていましたが、やっとのことで驚きから解放され、辺りを見回しました。壁にかけられた拷問器具、剥ぎ取られた爪などが散らばり血だらけの床、クルアハの手首に巻かれた鉄鎖、そして、悍ましいほどに傷のない肌!
私はクルアハが実験台にされていたとわかりました。クルアハは他者や自分の傷を治す不思議な、魔法と言うのでしょう、そんな力がありました。ですから、どこまでならば治癒できるのか、クルアハの身体を使って実験をしていたのでしょう。
私は何とか身体を動かしてクルアハのそばに駆け寄り、手首の鉄鎖を外そうとしました。
「危ないから」
そう言うとクルアハは私の力を借りずに鉄鎖を外しました。ゾッとするほど簡単そうでした。
「どうして……」
「私が実験台になりゃ他の子に手出しはしないと約束したもんでね。みんなある程度は元気だったろ。なら、良いじゃないか。誰か死ぬわけでもなし。私も見た目ほど大したことになってない。床じゃなくて私を見ろ、ほら、治せている」
クルアハは私に綺麗に爪が生えた手を見せ、二つ揃った青い瞳で笑いました。
「だからってこんなことしなくたっていいじゃない!」
私はたまらず叫びました。クルアハはそんな私を仕方なさそうに、まるで駄々っ子を見守るような目で見ていました。
「……なぜ、そんな目をするんだろう」
「え?」
「私が育った孤児院を私が大事にする。兄さんの大事な場所を護る。これは善いことだ。そうだよな。怯えられる謂れはない」
「クルアハ……?」
クルアハは真っ直ぐで空っぽな瞳をして、穏やかに笑っていました。私が護りたいと思っていたクルアハの笑顔は空虚なものだと気付きました。
「……それより、綺麗な格好してるなぁ、汚れるには惜しい。いい玉の輿でも見つかったか?」
「え、えぇ、ここの領主様よ。だから、もう大丈夫だからね」
「そう……。それで幸せか?」
「え?」
「リリーは幸せか?」
「…………どうかしら」
私にはわかりませんでした。この結婚は孤児院を救うためにしたものですから。それが私のやるべきことではありましたが、幸せと聞かれると違う気がしました。
それから、クルアハは身体の調子が良くなるとすぐに戦争に征くと言い出しました。
「本当に征くの?」
「ああ」
「どうしてよ?」
「……兄さんに会いたくなったんだ」
「だからって……!」
「ふふふ」
クルアハに笑って誤魔化されました。私はクルアハの決意が固いことがわかりました。
「待って」
私はそう言うとクルアハに手紙と手巾を渡しました。手紙には私はクルアハを愛していましたとだけ書きました。区切りではあるものの渾身のラブレターでした。
「クルアハ、無事に帰ってきて」
「ありがとう、リリー」
クルアハは振り返ることなく私の元を去りました。
私がクルアハへの愛を過去のものと区切り、領主様との間に子供を作り、穏やかな日々を過ごしていたところ、クルアハが戦場から一時帰還しました。そして、私が住むお城に姿を現しました。最後に会ってから五年の月日が経っていました。
「やあ、リリー」
クルアハはいつもと変わらない様子でしたが、一つ違うところがありました。片目を包帯で覆っていました。クルアハが治せない傷はないと思っていたので驚きました。
「その怪我、どうしたの?」
「もうこの目はいらなくなったんだ」
「どういう意味よ……!」
私はクルアハに問い掛けましたが、彼女は曖昧な笑みを浮かべるのみでした。こういう時のクルアハは私に何も話してくれません。
「それより兄さんが死んだ」
「……聞いたわ」
私はクロムが戦死したことを聞いていました。その戦いでは大勢の人が亡くなった惨いもので、クロムだけでなくクルアハは大丈夫かと身勝手に胸を痛めていました。
「それでこれを渡しに来た」
私はクルアハから手渡された包みを開きました。
「何よこれ……」
「私と兄さんが集めた金。好きに使ってくれ。リリーがどこで何をしても余る金だ」
「……孤児院のために使うわ」
「できたら自分自身のために使ってほしい」
「どうして……」
「幸せになってほしいから」
「…………」
私はクルアハの真意がわからず、まじまじとクルアハの顔を見つめました。戦争に行く前よりも精悍になり、背も見上げるほど大きくなっていました。戦場帰りとは思えない程の穏やかな笑みには白い包帯が痛々しいほどでした。
「リリーは孤児院のために身を売り、結婚までした」
「しってたの……」
「まあ。だから兄さんも向いてもない戦争に征ったんだろ」
「……ええ、そうよ」
私はクルアハのような年下の子達にあんな苦しい思いはさせたくないと決意し、孤児院を立て直そうとお金を稼ぎました。それをクルアハにしられていたなんて罰が悪くなりました。
「その果て、兄さんは戦争で死んだ。リリーは、子供を産んだらしいな。その選択に満足しているのかもしれないが、もっと欲張って幸せになってほしいと思ってね」
私はひどく傷付きました。私が好きだった人に幸せになってほしいと言われ、お金を渡されることは辛かったのです。
「……やはり、兄さんが死んだのはショックか。好きだもんな」
クルアハは悲しげに瞳を伏せました。私が傷付いていることは理解しているようですが、理由についてはわからないらしいのです。
「……違うわ。私が好きだったのはあなたよ。手紙を、渡さなかったかしら」
「ああ……、ありゃあ読まずに捨てたな。全部捨てたよ」
クルアハはなんてことのないように言いました。私は呆れて何も言えませんでした。どうしてと理由を聞くことも、ひどいと詰ることもできませんでした。
「……私のこと、どう思ってる?」
やっとのことで私の口から出た言葉は何とも惨めなものでした。
「孤児院のために戦った気高い人だと思ってる」
「……それだけ?」
「だから、報われてほしい。幸せになってほしいよ。例えば……、愛する人と一緒になるとか」
「フフフ、アハハハハッ……!……馬鹿みたい!!!」
私は虚しくなりました。何もかも独り相撲だったのです。
私は、やっとクルアハのことを理解した気がしました。点と点が線で繋がった心地でした。あの子は空虚で底のない、人でなしなのです。私の愛を気付いたところでわかってもくれない。私個人に興味がなく、どうでもいいと思っていても、優しくできる酷い人なのです。
「行かないでって言っても行くのよね」
「…………」
クルアハは無言で笑っていました。かつての私が安堵し、今でも底知れない不気味さを感じる笑みです。
「クルアハ、クロムは最期になんて言ってたの?」
「さぁ。…………ただ、私が最後に会った時には人でなしと言われた」
「そう。……ふふふ、アハハ、奇遇ね。私もあなたのことを人でなしと思ってるわ!」
私は真っ直ぐ見つめてくる虚ろなひとつの瞳に恨み言を投げかけました。
「空っぽで人でなしのあなた!誰かを大事にすることもできず、大事にされることもできない、可哀想な人!」
今振り返ると私はクルアハの行動に傷付き、我を失っていました。あそこまで言わなくてもよかったという後悔が消えません。
たしかに、クルアハはひどい人です。でも、人でなしを自覚しているからこそ自分の思う善を探す強さがあり、独り善がりではあるものの無償の優しさを持ち過ぎている人間です。それは、私も解っています。そして、クルアハに対して人でなしと言ったクロムが誰よりも妹を理解しているはずです。
私がクルアハと再会したのは、それからまた六年の月日を重ねた頃のこと。あの子はいつもと変わらず、最後に会った恨み言なんて無かったように笑っていました。私はクルアハのあまりの変わらなさに拍子抜けしてしまいました。
あの笑顔を見ると私は底知れなさを感じますが、無性に寂しくなるのです。愛はともに同じ方向を見つめることであると言います。誰かあの優しい人でなしを満たし、愛してくれる人はいないのでしょうか。




