第三百四話 我が子の成長と思えば
「私こそが世界の意思。全てを愛し、全てを憎み、そして全てを許す者――」
玉座に座るのは誰か。
自己紹介の催促など不要とばかりに自らを名乗るのは。
進んできた道と変わらぬ白い景色に少しだけ色合いが用意された部屋で声を響かせるのは。
「まずは座って話をしましょうか?」
意気揚々と語る言葉を思案していた裏側を知らなければその威を前に立ちすくんでしまっていたことだろう。
実際にその場にいた者の誰もが言葉に逆らう気持ちを早々に捨て去っていた。
たとえ意を決していたのだとしても関係なく。
そこにあるのは確固たる心を容易く溶かす言の葉。
鉄が熱に融解するように。穂は風に揺れ、船が波に揺られるように。
それは逆らうことはできるが事前の準備というものが必要な脅威の一つ。
対策も何もない人の子にとっては衝撃だけが後になって押し寄せてくるだけ。
後悔もなく。焦りもなく。ただただ起きた事実に恐れを抱くだけ。
「はじめまして、でいいんだよな」
「……何も知らない赤子ではないでしょう?」
しかし、ジーンとしても黙って空気に飲まれてしまうほど意気地なしでもない。
反撃……とまではいかないが、上下関係を受け入れてしまう前に対等であることを示そうとする。
既に世界の意思は自ら用意した偉い人が座っている印象のある玉座っぽい席に座っているが、気持ちだけでもというやつだった。
初めて見る顔。初めて聴く声。その姿を前にしていつまで平静を装っていられるのか疑問が先に来る。
そう。今まさにジーンは動揺してしまっているのだ。
揺るがない決意を胸にこの場へとやって来たはずなのに、それでもなお動いてしまった。
世界の意思。確かにソレは人の姿をしていた。
しかし、聞いていた話よりもずっと目の前のソレは人と言っていいものなのかどうか悩ましい存在であった。
「余程。余程、母に会いたかったのね。そんなにも見惚れるなんて」
芸術。人の美醜に留まらない理外。
黒く長い髪。そして対照的に白く霞むような瞳。
衣服だと言ってもいいものかどうか怪しく思える薄い布を纏うのは、穢れの無い純白を示すためか。
……かと思えば。衣服は黒に染まり、どこまでも深く沈むような暗さの瞳を白髪の合間から覗かせて。
何を疑問に持てばいいのかも分からなくなってくる。
一つの問いかけを口にする前に次々に変化していく目の前の存在に上手く身動きが取れなくなる。
子供の背丈かと思えば瞬きの隙に大人へと。
「よく、ここまで辿り着きました。頑張りましたね」
まだ。まだだ。
まだ、思った通りに動かない。
いや違う。混乱してしまった思考が正常に至らないまま時間が過ぎていく。
どれだけの時間が経ったのかも把握できない。
仮にこの空間に太陽でも見えれば違ったのかもしれないが、生憎と陽は何処にもなく砂時計すらそこにはなく。
いつの間に俺は椅子へと腰を下ろしてしまっていた? 何を聴き、何を語った?
俺が今するべきことは一体何なんだ?
いつかと同じ感覚。かつて似た感覚に陥ったことがあるような。
これも気のせいか? 思考が先へと進まない。考えれば考える程に交ざって一つを掴めなくなってくる。
確かに意識はあるはずなのにどこか夢の中にでもいるような感覚。
母に抱かれ腕の中で眠る赤子にでも戻ってしまったかのような感覚。
世界の意思による催眠とでも言うべきか。
そう。望まれた役目を果たすために与えられたのはなにも唯一の能力だけではないということである。
「でも、どうしてでしょう。ここへ来た理由は何なのでしょうか?」
知っているはずなのに。自身の声をジーンの心へと届けるためにあえて言葉を重ねていく。
可愛い子には首輪を。愛する子には手枷足枷を。希望の子には目隠しを。
語る前に猿轡を。聴かれる前に耳栓を。
いざという時に制御できないのでは意味が無い。ここぞという時に動かないのでは意味が無い。
反抗されたのならばその首輪を締めるしかないでしょう。暴れるのならば手枷には足枷には重りをつけるしかないでしょう。見たくないモノがあるのならば隠してしまうしかないでしょう。
逃げられません。逃がしません。私はあなたの親なのですから。
「どうやら、子離れができていないみたいですね。――お義母様」
「……。あら、あらあらあら?」
世界の意思の視線が我が子から移ろう。
ゆっくりと。ジーンから隣に座るチャチャへと意識が向かうことになる。
「自己紹介は必要でしょうか」
「いいえ。あなたのことも知っていますから必要はありません」
それは機械的なやり取りだった。
本来ならば一言も言葉を交わしたくないという気持ちがお互いから伝わってくる。
ミシミシと。ガラスがひび割れるかのように。
ビリビリと。激しく干渉したエネルギーが放電するかのように。
しかしチャチャとしては大切な人の母親ということもあり、表面上だけでも相手をする必要があり。
世界の意思としては大事な子の大切な人ということもあり、最低限の返事だけはしようという意思があり。
そんな二人に対してジーンはこれまでに会ったことがないどころか実際に会ったところで実感も湧いていない状態なのだが、チャチャにはそんなこと知る由もなく場を自ら壊さないようにと努めるしかない。
ただ、目の前の“自称母親”を相手にするのが億劫になっているジーンを助けなければという気持ちを優先した結果。
それが良かったのか悪かったのか、暫くの沈黙が続く。机の上に用意された飲み物に手を伸ばすこともできないまま、数秒。
やはり向かう先が定まっていない現状を動かすのはこの男。
「――一ついいか?」
既にその目には怯えも迷いもなく。
目の前の解決すべき問題へと立ち向かう姿がそこにはあった。
何故だ。どういうことだ。
そんな思いは誰のものであったのだろうか。
いかに覚悟があろうとも。どれほどに強い意志を持っていたのだとしても。
人が呼吸を続けることから逃げられないように、仕組んだ拘束から逃げることなんてできないはずなのに。
「……あなた。歪んでるわ」
見れば我が子の手には穢れた醜い受け子の手が。
見たくもなかった二人の繋がりを目の当たりにする。
ジーンの問いに答えることなく呟いたのは世界の意思だった。
先程の表面だけでも取り繕った表情を崩し、這う蛆虫に嫌悪を向けるのと同じ顔をチャチャへと見せていた。
吸収。チャチャは与えられた力で与えた者へと反抗をする。ジーンが囚われていた呪縛とも言える拘束を自身へと取り込んだのだ。
物理的な枷でないのならば、魔力それに穢れと同様に吸収ができるということ。
昔の彼女であったのならば無理であったが今の彼女はスーパーなチャチャ様なのだ。
できないことなんてない。とまで言うのは少々盛り気味ではあるが、世界の意思にとっても理解の外であった枷の除外をやってのけたのは間違いがなく。
それ一つをやってのけたチャチャへの警戒レベルがグンとあげられることに。
警戒していなかったわけではないが侮っていたのは事実であり。
こんな汚れたゴミに。嫌悪に身が震わせるのは誰であれ同じということか。
「聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「……ま、“我が子”の成長とでも思えばいいか。なに?」
これでようやく意思が邪魔されることなく話ができると確認が取れたジーンと、やはり枷が消失していることを再確認した世界の意思と。
吸収した枷が暴走しないように暴力的なまでの大きな魔力で抑えつけるチャチャとの三人で。
「ミィはどこだ?」
「さぁ、どこかしら」
「物忘れが激しいようで」
大事な。それはもう大事なお話し合いが始まりました。




