金瞳の狼女
すでに日は暮れ、太陽の代わりに月が出て薄暗く山々を照らしてた。地平線まで見えるくらい明るいが、一歩森の中に入ってしまえば自分の体すら見えない弱い明かりだった。
そんな深海のような景色に中に一筋の光がはしった。それは木の枝に着地したかと思えば、また飛んで山と森を駆け抜けた。その速度は鳥よりも圧倒的に速く、残光を追うのがやっとであった。
その正体は他でもない、エーリルだった。両足に魔力を集中し、木々を蹴っては軽々と空を駆け抜けた。もはやエーリルにとって夜の暗闇で踏み外すことは決してなく、平坦な道を走っているのと何ら変わらないのであった。
やがて深い渓谷に差し掛かったところで足を止めた、谷の底に流れる川を発見するとその傍に着地した。
川の一部が地形によってほとんど流れがない場所を発見するとその川辺に腰を下ろし、荷物も装備していた武具もすべて外して一か所にまとめた。
「流石に少し、疲れたな」
この日のエーリルは日の出とともに移動を開始し、集落がある山脈まで移動をしてさらに戦闘をしていた。
「どうせなら泊っていけばよかったのに、あったかいご飯と寝床があったかもよ?」
エーリルの右半分の視界が歪み、夢の世界に切り替わった。そこではハイリが浅い水面の上で寝そべってエーリルを見ていた。
「歓迎されるのは苦手だ、落ち着かない」
「そっか。今日はお疲れ様、まだ時間はあるからゆっくり休んでね」
ハイリがそういうと視界は元に戻り、辺りには水が流れる音だけが心地よく響いていた。
あの日、魔法族の隠れ里が襲撃後から出現するコアは全て、エーリルが破壊していた。ハイリから授かった力はコアの出現位置を予知できる能力だった。
出現する方角の空に赤い線が見え、その根元に当たる位置にコアが出現した。時間も色の濃度によって把握することができ、濃くなるにつれて出現までの時間が短くなっているという事だった。
現在は山をもういくつか超えた先に線が伸びており、色の濃さからあと2日というほどだった。
今でこそ一日中魔力を使って移動から戦闘までこなしているが、初めの内はそれこそ血と痛みを吐きながら戦い、次の戦地へと走った。
魔力によって体の限界が超えて崩壊しても、ノーネームによって引き裂かれても、エーリルは死ななかった。ひと時の眠りと同じに暗闇を経験してから目を覚ますと、体は元に戻っておりエーリルは再び剣を握った。
フード付きのマントと鎧の下に来ていた服を脱ぐと、荷物に被せるように投げ、エーリルは裸になって川に入った。
水の冷たさがエーリルの全身を包み、火照った体を急速に冷ましていった。本能のままに泳ぎ、無垢な気持ちで漂った。
エーリルは川の底の方へ潜ると息を止めた。撫でるような流れに身を任せ、音も遠く視界も何も見えなかった。ただ体温がどんどんと水に奪われていくのを感じた。
あの時のように血と共に体温が流れ出して眠りにつく感覚を思い出し、エーリルはこのまま息を止めていたらまたオステアに会えるのだろうかと考えた。
しかしいくら死んでも、オステアのいるあの場所に行くことは無いのを知っていた。
エーリルは川底を軽く蹴って勢いよく水面から上体を出した、銀色の髪が水と共にうねり、月明かりを複雑に反射した。
その時、川辺で小さく短い悲鳴が聞こえた。エーリルはとっさに振り返ると、自分が置いた荷物の傍に何者かが立っているのを見た。その者の目は異質で、暗闇の中で金色を浮かべていた。
「えっ! いやまさか人がいるとは思ってもいなかったのです!」
「落ち着け、別にとって食おうってわけじゃない」
エーリルは川から上がりその者に近づくが、ただ目を隠して離れるばかりでまともに話すことができなかった。
自分の体が裸のままであることに気づくのに時間はかからなかった。エーリルは途端に恥じらいを覚え、いっそのことこの場から逃げてしまおうと考えた。
二人は焚き火を囲んで無言のままだった、エーリルは今までに感じた事のない羞恥心に戸惑いを隠せなかった。それは向こうも同じなのか、揺れる炎から目を離さなかった。
その者は髪はエーリルと同じに長く腰まであるくせ毛をして、耳がある部分からは毛におおわれた尖った耳が出ていた。手からは遠目でもはっきりとわかるほど爪が鋭く伸びており、時折見える口元からは牙に似た歯がちらついていた。その姿は獣、中でも狼の特徴が表れていた。
狼の特徴がありながらも顔はかわいらしい少女そのものであり、仕草も髪をいじったりと愛らしさを感じた。
服装は獣の皮をふんだんに使った珍しい衣装をしており、今までに見たことのない装飾品と刺繍をして独自の文化をしているのは明らかであった。
しばらくの間沈黙が続いていたが、異質の少女が口を開いた。
「驚かせたみたいですいません、いつも休憩しているところでまさか人がいるなんて…」
「驚かせたのはこっちもだ、申し訳ない」
「えっと、名前を聞いてもいいです?私はシャーウルリーフ、長いのでシフでいいです」
エーリルは言葉に詰まった、別に名乗ること自体が嫌なわけじゃないが、ただエーリルと呼ばれると血だまりの中で死にゆくオステアの光景が呼び起された。
それは耐えられない光景であり記憶の奥底にしまっておきたかった。
今ここで名乗ってしまうと言葉と一緒に溜めていた感情も吐き出してしまう気がして、エーリルは沈黙を貫いた。
「無理に言わなくていいのですよ」
「……助かる」
口を開かないエーリルを察して、シフは代わりにある提案をした。
「名前がないのも不便ですし、私の名前をあげます」
「であったばかりの人に自分の名前をあげるって、いいのか?」
「貴女が自分の名前に悲しい思い出があるのなら、少しでも紛らわせればいいなって」
「そうか、ありがとう」
「じゃあ……シリ、なんてどうですか?」
「シリ、いい名前だ。大事にするよシフ」
「ではシリ、おなかすいていませんか?腕を振るいますよ!」
エーリルの返事を待たずシフは鞄を漁り始めた。鉄製の小鍋を取り出すと焚き火の傍に置いて、さらにコップとポットを並べた。
「ポットに水汲んできてくれますか? お茶もいれましょう」
「ああ、よろこんで」
ポットを受け取るとエーリルは腰をあげて川に向かった。ポットを見ると何も模様は無く形も所々凹んで随分と使い込まれていた。
水を汲みシフのところへ戻ると、焚き火の石が調理ができるように配置され簡易的な台所が出来上がっていた。
「随分と手際がいいな」
「慣れてますから!」
シフが食材を選んでいるのを見てエーリルは食べ物を持っていることを思い出した。
「少しだけど食べ物を持ってるんだ、使ってくれ」
エーリルは自分の荷物からいくつかの干し肉と香辛料、そしてパンを渡した。
「おお! 羊肉に希少な高原ハーブまで! いいんですか?」
「もちろん、好きなだけ使ってくれ」
シフは鉄鍋を二つ用意すると片方に細かく刻んだ野菜を入れ、香辛料を次々に加えて炒め始めた。炒める最中に手を止め、干し肉を食べる分だけ切り分けると焚き火を囲む石の上に置いた。
手際よく料理をしているシフをエーリルは眺めていた。動きに合わせて耳や尻尾が揺れ、せわしなく全身が動き続けるのは見ていて飽きることは無かった。
「この耳や尻尾が珍しいですか?」
あまりに凝視していたためかシフはエーリルの視線に気づいており、少し恥じらいながらも笑って視線を合わせた。
「すまない、初めて見たものだから」
「無理もないです、私たち魔人は深い山でひっそりと暮らしてますから」
シフは視線を料理に戻し、話をつづけた。
「言い伝えですが、かつて人が魔物に呪いをかけられて魔人が生まれたと聞きました」
「暗い話か?」
「そんなことはありません、魔人自体がごく少数ですし現に私は魔人に理解がある村と取引してますし、ちょうど帰りだったんですよ」
「馬車が使えないからそんな大荷物になるのか」
「その通り、私自身が馬車みたいなものです。 主にこっちからは動物の皮や肉とか出してますね、それで生活に必要なものを買ってます」
他愛のない会話をしているうちに調理が終わり夕食が並べられた。よく炒められた野菜と香辛料を使ったスープとハーブと干し肉を軽く炒め和えたものが出来上がった。
非常に強い香りが立つ料理であったが不快に思うことは無く、むしろこの刺激ともいえる匂いは空腹を思い出させた。
最後に火で炙った硬いパンとお茶が添えられた。
「いつにもなく豪華です!」
「最高だね」
死なないと分かったときから食事をとらなくなり、空腹の感覚も忘れていたエーリルにとって目の前に並べられた料理はどこか輝いているようにも見えた。
無意識的にスプーンを握っており目線も料理から離せなかったほどだった。
「では冷めないうちにいただきましょう」
エーリルはいただきますとつぶやくとがっつくように食べ始めた、どれも今までに食べたことのないくらいに野性的でアクの強い味だった、肉も微かに血の匂いがするほどで、これが魔人特有の好みなのかシフの好みは分からないが、それでもエーリルは無心に食べ続けた。
「そういえば、どちらに行こうとしているのですか?」
食事を終えて川で食器を洗っているときにエーリルの横でシフはそう聞いた、エーリルはコアの場所を確認するとそちらの方向を指で刺した。
「この方向に山を2つか3つ超えたところだな」
「あれ? じゃあ私たちの村に何か用事ですか?」
エーリルはコアの出現場所に少し疑問を持っていたが、シフの言葉を聞いて納得した。コアはたいてい人の住む場所を破壊するために置かれるもので、人が一切いない山の中に出現するのは何かあるのではと考えていた。
「そうか、村があそこに」
「旅行……ではなさそうですね」
「村に着いたら教えるとしようかな」
「シリは秘密なことが多いのです」
それから二人は雑談を重ね、焚き火がくすぶり始めたころには寝袋を敷いて寝息をたてていた。
夜明けの光が谷に差し込んだ頃に二人は目覚め、お茶とパンで簡単に朝食をすませると移動する準備を整えた。
「村までの道は分かりますか?」
今まで道を無視して飛び越えてきたエーリルであったが、せっかくだからとシフに道案内をしてもらうことにした。
「遅くても日が沈むころには村に着きますからね、では行きましょう!」
シフはそういうとなんと走り始めた。自分の体よりも遥かに大きい荷物を抱えているのにもかかわらず重さを感じさせない軽やかな足取りだった。
道は整備という整備もされてない獣道でただ草木が生えていないというだけだったが、シフはすいすいと走り抜けた。
振り向いてちゃんとついてきているのかという確認は一切せず、ただただ山の中を走り続けた。
「ほら、見えますか? 私たちの村です」
坂を上り切ったときに見えたのは盆地に広がる村だった。盆地に注ぐ滝から起伏に合わせて段々に家々が並び、まるで絵画のように夕日に照らされた村は見る者を魅了させた。エーリルは息をするのも忘れ、見入っていた。
そして村の上空に浮かぶ赤い霧がコアの存在をエーリルだけに知らせていた。




