復讐へ急ぎ、走る
草原の丘に一本の大木が生えていた、背の低い草原が地平線まで続いていた。草を揺らす風が常に吹いて、草の白い裏地が波模様を描いていた。
エーリルは大木の下に足を伸ばして座り、上半身は幹にもたれかかっていた。防具や武器は装備しておらず、普段着ている妖精族の服を纏っていた。風を体で感じ、草が揺れる様子を眺めていた。
「風が気持ちいですね」
「そう、だな」
大木の傍でオステアはエーリルと同じように景色を眺めていた。
エーリルの記憶はノーネームに飛びかかった瞬間で途切れていた。この地で目覚め、オステアと共に居た。初めての景色のはずなのに、エーリルはどこか懐かしさを覚えていた。
なぜこの場所にいるのか二人はわかっていた、ノーネームとの戦いに敗れて死んだのだ。体温が血と共に流れて冷たい感覚も、命が途切れる際の眠りもちゃんと覚えていた。
矢で貫かれた痛みは眠りでかき消されたからこそ二人は穏やかだった。
「……自分が情けなくて、恥ずかしい」
エーリルはオステアの手を握り、ぽつりぽつりと言い始めた。オステアは手を握り返して指を絡めて何も言わずに聞いていた。
「世界を救うなんて言葉に惚れてここへ来て、エリスやみんなの指示に従っていればいいとばかり考えて
いた。結局、里は滅んで君と一緒に死んでしまった」
オステアは俯き、エーリルの肩に寄りかかって体重を預けた。彼女の開いた口からは、落ちる雫に似た頼りのない震えた声が出た。
「じゃあ、情けない同士ですね。私はソフィア様をひとりにさせてしまいました」
オステアはただ静かに涙を流し始めた。一度流れた涙は止まることを知らず、エーリルの肩を濡らしていった。やがて、エーリルも嗚咽交じりに泣いた。
寄る辺を無くした二人は我慢することなく泣いた。後悔と悔しさ、悲しみは繰り返し訪れては込み上げては体を満たし、溢れかえった感情が涙に変わった。
握りしめている手にはさらに力が入り、ふと視線がぶつかったその瞳は宝石のように美しく光を反射させていた。オステアはエーリルを地面に優しく押し倒した。
「オステア?」
「あんなに情けないって言い合ったのに、エーリルはずっと綺麗だね」
胸に置かれた手を、エーリルは受け入れた。目の前にいるオステアの姿をエーリルもまた綺麗だと感じた。
失ってしまったものを求め、そして傷を舐めあうため、互いに抱きしめて体を重ねた。体温を持った涙が顔に落ち、生温かな吐息が混ざり合った。体の奥底から湧き上がる熱に動揺しつつも、本能の求めるままにした。
泣き疲れた二人にとってもう全てがどうでもよくなった、もう自分達にはどうすることもできないからこそ、互いに温もりを求めた。
二人の火照った体が風に冷やされ、落ち着きを取り戻していった。エーリルは横たわり、体の痺れにも似た甘い高揚に酔っていた。
まだ新しい記憶に感覚が残っていて、思い返すと再び体の奥底から熱が沸き上がった。そして自分の顔がみるみると赤くなるのが分かった。
「エーリル! 起きて!」
突然、オステアがエーリルを声を荒げて激しく揺すった。ただならぬ雰囲気にエーリルは意識が呼び起された。
起き上がろうとした時、異変を感じた。全身に灰色の錠がかけられており、首や両手首、両足首にかけられていた。錠を開ける仕組みは存在せず、鎖は地平線のはるか彼方へと伸びていた。
「何だこれっ!?」
錠を繋ぐ鎖は徐々にエーリルの体を引っ張り始めた。鎖が伸びる先にはいつのまにか光さえ届かない暗闇が広がっていた。錠に抗う力も空しく、引っ張る力は増していった。
オステアは石を拾って鎖に打ち付けた、鎖には傷一つつかず石を持つ手が擦り剝けていくだけだった。血が滲むほどに力を込めても鎖は断ち切れることは決してなかった。
「ごめんね! 全然壊れない!」
「もういいんだ! 大丈夫だからもうその手を傷つけないでくれ」
オステアの手から石が滑り落ちた。エーリルの顔を両手でつかむと、目を合わせた。泣きそうな目を必死に抑え、訴えかけてくる目をしていた。
「どこにいくの? その鎖の先はどこにつながっているの?」
「きっと俺はまだここに来るべきじゃなかった。だから、元いたところへ戻るんだと思う」
湧き上がる言葉を選べず、オステアは言葉につまった。きっとそれは「いかないで」の一言に集束にしたがぐっと堪え、精一杯の笑顔をした。
「じゃあ、私の剣も一緒に連れて行ってくれますか?少しでもエーリルが私を覚えていてくれるように」
錠に抗うのが無駄だと知り、オステアの言葉にエーリルは覚悟を決めた。
「……分かった。ちゃんとここに来て剣を返すよ」
「はい! ずっと待ってます」
エーリルの体が暗闇に向かって勢いよくはじけ飛ぶ。暗闇に飲み込まれるとオステアの姿が一瞬にして一点の光に集束していった。最後の笑顔が脳裏に焼き付き、エーリルはずっと忘れることがないように必死に自分に言い聞かせた。
薄暗く、炎の光が揺らぐ洞窟に突如として光の柱が現れた。光は青色を放ち、洞窟内の空気を震わせるほどの轟音を鳴り響かせた。
光の下にはよろめきながら立ち上がるエーリルの姿があった。両手を地面についてその身を引きずり、獣を彷彿とさせる動きで這いずった。
「命のない者同士、壊し合おうじゃないか」
後悔からか、怒りからなのか、あるいは両方か、エーリルは咆哮をあげた。それは聞いていると胸が締め付けられ、哀れと思う悲しい声だった。声に呼応して魔力が増大してエーリルを包み込んだ。
周囲には人型ノーネームの集団がエーリルを囲んでいた。ノーネームは合図もなく一斉に襲い掛かり、それぞれの武器を振り下ろした。
しかし振り下ろされた武器は空を切り、次の瞬間、衝撃波が発生しノーネームの集団を巻き上げた。地面に叩きつけられる頃には原型を留めておらず、再び挑んでくる姿もいなかった。もはや並のノーネームではエーリルに触れる事すら叶わないほどであった。
エーリルは鎧と武器を変化させ、一本の槍にすると天井のコアに向けて放った。盾となるノーネームが沸いても勢いは衰えることを知らず、コアを貫き粉々に砕いた。粉塵となったコアは洞窟中に広がってかすかな光を反射して赤い景色を作りあげた。
投げた槍からは遠目からでは確認できないほどの細い糸が伸び、糸の端はエーリルの手に握られていた。役目を終えた槍は変化して武具の姿へ戻って主の体に装着された。
突風が吹き荒れ、エーリルの髪が風に揺れた。龍型ノーネームとそれに跨った人型ノーネームが空中から見下ろしていた。(跨っている人型を以下より龍騎士と表記します)
龍型の胸が赤熱し始め、辺り一面を目掛けて炎を吐こうとした。しかし、狙いを定めた時には青い残光のみであり、跨っていた龍騎士が反応した頃にはすでにエーリルは自分の射程内に捉えていた。
大型のメイスに変化したエーリルの武器は、龍型ノーネームの頭部を力まかせに打ち落とした。頭部は形を失い、龍型は衝撃と共に地に叩き落ちた。
そのまま跨っていた龍騎士も倒そうと、エーリルは武器を剣に戻して構えなおした。だが龍型の残骸に姿を探していると首に鋭い痛みが走り、視界が反転した。
見ると真後ろから矢を放たれたようで、首からは矢が突き抜けていた。いつの間にか龍騎士はエーリルの後方に跳んでいたのだった。血が矢を伝わり、先端から滴り落ちた。だがエーリルは痛みを感じることはあっても、もはや体温が奪われることがなく意識が薄らぐこともなかった。
頭部が破壊され胴体だけとなった龍型ノーネームが再び動き出し、黒い液体を撒き散らしながらエーリルに攻撃を加えようと爪を振り上げた。
首に突き刺さった矢を乱暴に引き抜き、矢を人型のほうにに向けて弾き飛ばした。魔力で威力が強化された矢は青い一閃となり、龍騎士が持っていた弓を撃ち砕いた。
龍型の爪が振り下ろされる前に、エーリルは一気に懐に飛び込み両腕を切り落とした。そして胴体だけとなった龍型を蹴り飛ばし、直線を描いて洞窟の壁に当たると各部位ごとにバラバラになった。
エーリルは殺気を感じ取り、身を翻した。龍型ノーネームを失った龍騎士が長槍で突きを繰り出していた。突きだけでなく、刃による斬撃や柄を使った打撃を織り交ぜた嵐のような攻撃を畳みかけた。
しかし、その攻撃をエーリルは体勢を崩すことなく全て弾き、攻撃のチャンスをうかがうほどの余裕を見せていた。やがてタメが一瞬長く、体重を乗せた突きが来た時、エーリルは槍に合わせて盾で殴る要領で大きく弾き返した。
体勢が大きく崩れたタイミングをエーリルは逃さず、一撃で決めようと地面を蹴り上げて飛びかかった。その時、龍騎士はそれを待っていたのか、槍の柄を引き寄せて刃に近い方に持ち変えると、飛びかかってきているエーリルを突き刺し、一周振り回し投げ飛ばした。
エーリルの首から胸にかけて切り裂かれ、最初は血を吹き出してはいたものの、すぐに青い光を放ちながら傷は塞がっていった。
痛みを一切気にすることなくエーリルは剣を強く握りしめ、四肢に魔力を集中させると地面に這いつくばっている状態から再び標的に向かって飛びかかった。その姿はまさに獣そのものであり、獲物の急所を抉り取ることだけを目指した、一直線で素早い挙動であった。
だが、龍騎士は強く踏み込むと同時に槍でエーリルを貫いた。飛びかかった勢いを利用した待ちの槍だった。タイミングも力加減も、鎧の隙間を狙った正確さまでも何から何まで完璧な攻撃だった。
ひとつ間違えたとすれば、貫いたのがエーリルではなく、残像だった。
龍騎士の背後をとると、一太刀で縦に切り裂いた。黒い液体がエーリルを濡らし、龍騎士は鎧の残骸となり動くことはなかった。
こうして、魔法族の隠れ里にはエーリルのみとなった。耳が痛いぐらいの静寂が里に満ちていた、戦場となった里には死体と瓦礫が散乱し、凄惨な過去を刻んだ。
外へ出ると朝日が隠れ里の入口に差し込み、空には雲が一つもない快晴が広がっていた。エーリルは両手にオステアの亡骸を抱え、日の光を浴びた。
「どこで……待っていたいかな?」
エーリルは隠れ里から足の赴くまま歩き始め、巨木が立つ丘の上に来た。時々オステアが一人でこの場所に立っているのをエーリルは知っていた。丘からは地平の向こうに妖精族が暮らす森が微かに見えていた、ここから故郷を見て何を思っていたのか、聞いても返事など来るはずもなかった。
「ここで待っていてくれる、かな」
そこからの景色はどこか、先ほどまでオステアと一緒にいた場所に似ていた。
オステアを巨木に預け、エーリルは地面を掘り始めた。道具は使わずに素手で土を掻き分け続けた、木の根や石によって手の皮膚が剥がれ爪も割れた。しかし、瞬きの間に傷は癒え痛みも消えていた。
そうして人一人分の空間を掘り終えると、そこにオステアを寝かせるようにゆっくりと置き、土を被せながらおもむろに埋めていった。顔には土が直接かからないように故郷の服を被せた。
埋葬を終えると、エーリルは巨木にもたれかかり土で汚れている手のひらを眺めていた。すると突然、頭に痛みが走り、視界が歪んだ。立つことが困難になって地面にうずくまり、頭を手で覆った。
歪んだ視界は目で見ているはずの景色と重ねっていき、エーリルは丘からの景色を目に見ながら全く別の景色を見ていた。
現れた景色はハイリがいる夢の世界だった。視界の端から白い布を揺らしながらハイリがエーリルの目の前に現れた。
「もう、悲しいことは嫌でしょ?」
ハイリは無表情でエーリルと目を合わせていたが、ハイリの瞳からは涙が流れ輪郭に沿って水の線ができていた。
「なぜお前が泣いているんだ?」
「もう壊されたくないなら、走り続けるしかないよ」
再び視界が歪み、痛みも消えて元の景色に戻った。エーリルは何かにひかれ、地平の向こうを見つめた。そして武器を手に取り、魔力を全身にみなぎらせると丘を飛び降りた。
その腰に翡翠色の刀身をした剣が提げられ、何があったとしても離れることがないようにきつく固定されていた。




