逃走の果て
天幕へ戻ると、ただならぬ雰囲気からソフィア達がエーリルを見た。
「て、敵だ! もう来ている!」
エーリルがそう言い終わると同時に、入口から視界が歪むほどの衝撃音が鳴り、フリッツが弾かれた勢いで転がり込んできた。頭からは血が垂れて、顔を濡らしていた。
呆気に取られている間もなく、人型ノーネームが攻め込んできた。灰色の剣を大きく振りかぶった瞬間、フリッツはテーブルのそばにあった椅子で力いっぱい殴りつけた。
椅子を当てられたノーネームは体勢を崩し、その隙を逃さずフリッツは握っていたナイフで鎧の隙間に突き刺した。
動かなくなったノーネームからは黒い体液が流れ出し、今まで生活していた空間に穴を開けながら広がっていた。その間にも外からは悲鳴と金属同士がぶつかり合う音が響いていた。
「外はもう敵だらけだ、とにかくエリスのところへ行こう。武器だけ持て」
フリッツは布で止血をしつつそういった。
「出口から脱出するのはだめなのか?」
「奇襲をするうえで唯一の出口をそのままにしている訳がない、それに人でごった返しているだろう」
「なら、エリスに支持を乞うのがいいか」
エーリルは急いで自分の鎧立てのところへ行き、剣と盾だけ装備したときに、良いことを閃いた。
鎧に触れるとたちまち光の粒子に変わり、体に纏わりつくと元の鎧の姿に戻った。武具を自在に形を変えられる能力を応用して鎧を装着した。
皆のところへ戻るとソフィアがうずくまり、オステアが彼女の背中を抱いてしゃがんでいた。
「どうかしたのか?」
「これが弓に、ならないの」
ソフィアの手には白い枝が抱かれていた、前は弓へと変化してノーネームを次々と射抜いていった武器が、今では何の反応も示さないただの枝だった。
「どうして?このままじゃやられてしまうのに! どうして!」
聞いているほうも悲しくなる叫び声をあげたが、依然として白い枝は何の変化も見せなかった。
「ソフィア様、今は戦う時ではなく逃げる時です。早く行きましょう!」
オステアがソフィアの手を取り、空いた手に刀を持って立ち上がった。ソフィアは無気力な目をしていたが、何とか立ち上がりオステアに手を引かれるがまま走り出した。
「私が後ろから援護しましょう」
カインはすでに詠唱を終えており、杖の周りには小さな火球がいくつも浮かんでいた。
「頼んだ。エーリルは俺と前にでて突き進むぞ」
「わかった!」
外に出るとそこは戦場と化していた。人々が暮らしていた天幕からは火の手が上がり、そこら中でノーネームと住人たちが戦っていた。空中では鳥型ノーネームに対して魔法の光が飛び交っていた。
「とにかく走れ! 出し惜しみはするな!」
エーリル達は戦場に走り出した。行く手を塞ぐノーネームを素早く切り捨て、走る足を止めないことに全力を尽した。
ノーネームの集団が立ちはだかるとフリッツは双剣を魔石で研ぎ、炎を宿らせた。剣を重ね、薙ぎ払うと炎が螺旋を描いてノーネームの集団を蹴散らした。
フリッツの攻撃を耐えた敵や大型で戦闘能力の高いノーネームに対してはエーリルが魔力を開放し、一気に間合いを詰めて行動される前に切り裂いた。
鳥型ノーネームが頭上から攻撃を仕掛けてきた際はカインが炎の矢で貫いた。追ってくる敵には火球を飛ばして着弾と同時に爆発させた。
エーリルは走っている最中に多くの倒れている人を見た、誰もが助けを求めており、普段生活している中で見知った人ばかりであったため足を止めかけた。
だが、止まってしまってはたちまち敵に囲まれてしまい、自分たちが危険になってしまうため止まるわけにはいかなかった。罪悪感と悔しさから胸を突き上げる思いをしながらも、エーリルは走り続けるしかなかった。
目的地へ着くと、エリスが自分の天幕に入るようにと誘導をしていた。エーリル達に気がつくと、駆け寄っ来て息を切らしながら言った。
「あなた達も早くこの中に入って! 転移用の魔法陣を用意してるからそれで逃げるの!」
エーリル達が逃走手段があることに安堵する間もなく、後方から地響くほどの音が鳴り響いてきた。振り返ると、道を埋め尽くす量の人型ノーネームが濁流となって迫っていた。フリッツは双剣を構えなおし声を張り上げた。
「オステアはソフィアと一緒に逃げろ! カインは転移魔法で出来るだけ人を運べ!」
エーリルは攻めてくるノーネームに立ちはだかって剣と盾を構えた、魔力を全身に巡らせて敵を見据えた。後ろではオステアがソフィアを連れて天幕へと入り、カインも二人に続いた。
「さぁ踏ん張りどころだ! くれぐれも魔力切れなんて起こすなよ!」
「その時は頼んだ!」
ノーネームの大群に向かってエーリルは魔力で脚力を強化し、一気に距離を詰めた。剣と盾を合わせて大剣に変化させ、薙ぎ払った。大剣に切られたノーネームは体を切断され、大剣に触れなかったとしても衝撃波により宙に舞い壁や地面に叩きつけられた。
間髪をいれずにフリッツの炎が波状の刃となりノーネームを次々と焼いていった。
「エーリルはここを頼む! 俺はまだ残っている人を探して連れてくる」
そう言い残して、フリッツは来た道を走っていった。
洞窟の天井に出現したコアは絶え間なくノーネームを生み出し続けた。魔法や弓などのいかなる攻撃も、コアの前にはノーネームが盾となり意味をなさなかった。
エーリルはひたすらに敵を倒していった、思考も目の前の敵を斬ることだけに集中し、全神経をもって食い止め続けた。
けれどその集中もずっと続かず、だんだんと攻撃が後手になり押され始めた。投擲された槍に反応が一手遅れ、エーリルは咄嗟に不安定な体制で弾き返した。そこへノーネームの渾身の一撃が叩き込まれ、片膝をついてしまった。
「クソッ!」
エーリルが魔力を使って反撃しようとした時、後方から影が飛び出した。追撃を加えようとしていたノーネームを斬り捨て、エーリルに向き直った。
「オステア!」
そこにはソフィアと一緒に避難したと思われていたオステアがエーリルに手を差し伸べていた。
「加勢にきました!」
「どうして! ソフィアを置いてきたのか?」
「ソフィア様から頼まれたのです。みんなを連れて帰ってきてと」
エーリルは手を取り、体制を整えた。よく周囲を見ると武器を持った人々がエリスの天幕を守る陣形を展開しており、続々と避難してくる人がいた。
押し寄せてくる敵を止め続けるのは、短距離走を休憩なしで繰り返されているのと同じようなものであった。エーリル達は疲労から、正しい呼吸をしているのも怪しかった。
「もういいわ! 戻ってきて!」
天幕からエリスが防衛していた者に向けてそう叫んだ、その横では救助を終えたフリッツがエーリルとオステアに向かって早く来いと手を振った。
エーリルとオステアは走り出し、他の者も天幕へ一直線に目指した。それぞれが自分の体に鞭を打つ勢いで最後の力を振り絞った。
この時、エーリルがいたのは防衛していた人の中で天幕から一番離れていた。だからこそ、いち早く気づいた。
「上だ!」
エリスがいる場所から真上、コアの赤黒い光に灰色の鎧が照らされ、見上げた視界を覆いつくしていた。それは人型でもなく鳥型でもなかったが、その場にいる全員が一目で何の形を模っているのか分かった。それは龍、他の追随を一切寄せ付けない強さを誇る生命体であった。
ノーネーム特有の灰色の鎧を全身に纏い、翼から生えている強靭な爪で洞窟の壁に食い込ませて体を支え、エーリル達を見下ろしていた。
龍型ノーネームは胸部が赤と青が混じった色に変化し始め、鋭い牙を覗かせる顎から炎がこぼれた。
それを見て危険を察知したのはオステアだった。エーリルを突き飛ばし、洞窟の柱の陰に二人で倒れこんだ。
薄暗かった洞窟に突如として太陽に似た強烈な閃光が放たれた。閃光は熱を発して、空気が焼かれた。エーリルの周りは炎で埋め尽くされ、かろうじて柱の陰には炎が届いていなかった。
だが呼吸をするたびに焼かれた空気が入り込み、体に痛みが走った。二人は庇い合って体を抱きながら地面に這いつくばった。
目を閉じていても眩しいほどの光と頭の中にまで響く轟音の中で、そうやってでしか互いを確認できなかった。
閃光と炎は時間にして一分もなかった。龍型ノーネームは炎を吐き終わるとどこかへと飛び去っていった。
エーリルとオステアは様子が静まったのを感じると、辺りを見回した。
僅かの時間で辺りは一変していた、柱の陰以外の地面は黒く焦げて所々が赤く燃え上がっていた。周りにあった天幕や建造物はすべて跡形もなく炭へ変化していた。
焦げた匂いに交じって、何か油の匂いにエーリルは気づいた。エリス達がいた場所に目を向けると、逃げ遅れたであろう人々は積もった炭としか見る事ができなかった。
「嘘、だろ?」
エーリルの足から力が抜け、その場に座り込んだ。手から剣が落ち、目は焦点が合わなくなった。頭の中には柱に隠れる瞬間、微かに見えたエリスとフリッツの姿が強く残っていた。
「そんな、二人とも、みんな死んだのか?」
エーリルが奈落へと落とされたような感情から呆然としていると、顔が両手で包まれて持ち上げられた。目の前にはオステアの翡翠色の瞳がエーリルを見つめていた。
「きっと、大丈夫。魔法族のリーダーやあのフリッツです。うまく逃げたはずです」
顔に添えられた手は震えていた。
「……ここから逃げましょう」
「でも、どうやって?」
「洞窟の出口から脱出するんです、塞がれていてもエーリルなら破壊できると思うんです」
「もう俺の魔力はあと一回、一撃だけだ」
「ならそれに全部賭けましょう。来てくれますか?」
「ああ、分かった。一緒に逃げよう」
エーリルは再び剣を握りしめた。オステアに支えられながら、立ち上がった。
岩や天幕の残骸の陰から陰へ、二人は出口を目指した。人を見失ったノーネームは徘徊を続け、コアが爆発するまでの時間を待っていた。
先導するオステアは鎧の擦れる音からノーネームの位置を特定し、鏡の破片を使って視界に入らないタイミングで走り抜けた。エーリルはオステアすぐ後に続いた。
瓦礫と死体が散乱する中、二人は進み続けた。やがて魔法や炎ではない光を見つけた。洞窟の出入り口から差す日の光がそこにあった。
出入口に設けられた門は予想の通りに落石によって塞がれてあり、周辺には脱出しようとした人々の夥しい数の死体が地面に重なっていた。
血が斜面に沿って小川を作り、どれもが苦痛の表情で息絶えていた。
エーリルはその光景を見た途端、妖精族が壊滅した時の景色が目の前に鮮明に映し出された。気が狂い叫び声を上げたくなった、するとエーリルの手をオステアが握りしめた。剣を持つ手の上から、痛みを感じるほどオステアは握った。
「任せておけ、すぐに終わらせる……」
ゆっくりと手を放し、エーリルは出入口を塞ぐ岩の前に立つと剣に魔力を溜めた。魔力の青い光が周囲を照らした時、それは正体を現した。
壊れた門から差す光が逆光となってエーリルもオステアも気がつかなかった、門のすぐ上の壁に龍型ノーネームが静止して潜めていた。
そして龍型の首には通常の人型よりも2倍の大きさであるノーネームが跨っていた、人型は長弓を引き絞って狙いを定めていた。
エーリルが声を発する前に矢が放たれた、空気を切り裂く音がエーリルのすぐ横を通り過ぎていき、矢が何かを貫いた音がした。それは戦場で何度も聞いた、肉を断つ音に似ていた。
「オステアッ!」
振り返ると、オステアは何が起きたのかも理解できない表情でエーリルを見ていた。胸の中心から真っ赤な血が広がり、膝から崩れ落ちた。
「エー……リ、ル」
オステアは止めどなく溢れ続ける血をどうすることもできず、もがく力すら残っていなかった。
エーリルの中に煮えたぎる怒りと救えなかった後悔の二つが混ざり合って体を動かした、喉が裂けるほどの叫び声を上げ、龍型と人型ノーネームに向かって地面が割れるほど強く蹴った。
しかし、長弓にはすでに矢がつがえられて狙いをエーリルに定めていた。放たれた矢は眉間を撃ち抜き、エーリルの後頭部から花が咲くように赤い破片が散った。
死体の上にエーリルは受け身もなく落ち、立ち上がることはなかった。その様子をオステアは薄れゆく意識の中で眺め、二度と目覚めることのない冷たい眠りについた。




