筆を置いた日
彼は意気消沈していた。応募した絵画のコンテストに今年も落選したのだ。佳作にすら残らなかった。
芸術系の技能が人工知能に奪われてそろそろ70年ほど経つが、しかしオリジナリティに関してはまだ人間に僅かなアドバンテージがあった。今世紀中盤には人工知能はシンギュラリティに至って人間を超越すると言われていたが、コストの問題、エネルギーの問題、データセンターによる環境汚染、等々あって未だに実現していない。量子コンピューターも遅れに遅れていた。とは言ってもAIは勝手に学習を重ねて独自の表現を獲得していく程度には優れており、人間が活躍する余地はどんどん狭まっていく。
そんな狭い隙間を目指して絵を描いていた男だったが、そろそろ挫けそうだった。コンテストに入賞するのは紛れもない天才ばかりだ。自分も才能はかなりあると自負してはいるが、時代を切り開けるほどの天才ではないと薄々気づいていた。生まれる時代がもう100年早ければと何度思った事か。
もう絵は止めよう、器用な手先を活かした仕事を探そう、そんな事を思いながらたどり着いた質屋で、リンのマッチに出会った。
「もう誰も使わない、遠い過去の道具か。俺にはぴったりかもしれん。」
買って帰った自宅。キャンバスや画材が溢れて足の踏み場もない、住まいというよりは倉庫だ。
そんな中で少しだけ残った食卓周りのスペースに座り、マッチを擦ってみた。
独特の臭気と共に火が灯り、その向こう側に芸術大学時代につきあっていた女性の笑顔が現れた。そう、彼女をモデルにして人物画を描いたときのものだ。
当時だって人物画なんて、その人の適当な写真があれば人工知能が良しなに生成してくれるものだった。
しかし、生成はしてくれるんだが、人間が描いたものとは何かが違うのも確かだった。人間が描いたものとAIが生成したものをAIは判別できたが、AI自身はその違いを説明しきれなかった。彼は、それならまだAIに勝てると思って頑張っていたのだった。
男は当時の心意気を思い出した。コンテストに入選するのが人生の目標じゃなかったはずなのに、いつのまにか手段が目的に化けていた。
火を消すと、男は新たなキャンバスを貼る道具を掘り出し始めた。




