空っぽの家
5年生になったその年の冬はいつになく寒くなっていた。
冬休みに入ったある日、お母さんが熱を出して寝込んでしまった。
薬を飲んで一晩寝たみたいだけど、朝起きても熱が下がらなかったらしい。
「リンちゃん、お母さんちょっと病院に行ってくるから、お留守番お願いね。すぐに帰ってくるわ。」
咳をしながらちょっと苦しそうにそう言うと、タクシーを呼んで市立病院に行ってしまった。
私は一人ぽつんと家に残される。お母さんもああ言っていたし、少しだけ待てばいいよね、と思っていたが、しかしお昼が過ぎてもお母さんは帰って来なかった。
「お母さん遅いね、ポリー」
「そうだな、でも大して心配は要らないと思うぞ。」
「うん、ポリーがそう言うならそうかもね。」
とりあえず先週冷凍したカレーが残っていたので電子レンジで温めてお昼ごはん。カレー強し。うまし。
食べ終わってポリーとゴロゴロしていると玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン
誰だろう?ドアを開けると、そこにちょっと年嵩の女性が立っていた。
「私、市立病院から通知を受けて児童相談所から来ました、藤と申します。桜庭鈴さん、ですね?」
ネームプレートのようなものを手に見せながらその人は言う。知らない人に警戒しかけたが、病院、という単語に思い直す。
「燈子さんはあなたの保護者ですね。燈子さん、先程肺炎で入院する事になりました。家であなたが一人残されるのを心配されて、急遽私が迎えに来る事になりました。」
「え...お母さんが?」
その人は、燈子は入院が決まった時に私の事を病院に相談。院内の医療ソーシャルワーカーは小学生である事から要即時対応案件として市の児童相談所に通報、即座に職員が派遣された、という説明をしてくれた。なんだか難しい。
「お母さん、大丈夫なの?」
職員はにこやかに手を振って私の心配を否定する。
「ああ、肺炎と言ってもぜーんぜん大したことないですよ。お薬だけですぐ治ります。」
そうなんだ...ちょっとほっとした。
「ただちょっとお年なので二~三日入院する事になりそうで、鈴さんには一旦ショートステイに泊まっていただく事になります。身の回りの物と着替えを用意してください。そうですね、2日分くらい。」
そうして私は職員さんの車に乗せられて、ごく普通の一軒家に到着した。
「ここは市が委託している民間福祉施設なんですよ。見た目はそう見えませんけどね。」
不思議そうな私に職員さんは解説してくれた。
「今日はもうお見舞いの時間過ぎてるので、このままこちらの部屋で泊まってもらいます。夕食になったら呼びにきますから、それまで自由に過ごしていてください。ただし外出はダメですよ。」
他にトイレの場所や遊戯室などの案内をすると、職員さんは私を部屋に残して立ち去った。
四畳半くらいの部屋にはプラスチックの簡素なタンスとローテーブル、座布団があった。壁には子犬の写真のカレンダー。部屋の角にはテレビや本棚もあったが、そんなの見る気にはなれない。
「ポリー、お母さん大丈夫だよね?死んじゃったりしないよね?」
心配で、ついついポリーに何度もしつこく聞いてしまう。
「大丈夫だと職員も言っていただろう。通常の肺炎なんてこの時代でも薬で完治する。抗生物質への耐性菌が問題になっていたのは過去の話だ。今はプログラミング可能な抗菌剤を使えばたいてい治癒する。」
と言われても。分かるんだけど、どうしても安心できないよ。
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次の日の午後、ようやく病院に連れていってもらう事ができた。
病室のお母さんは腕に点滴のチューブが刺されており鼻には酸素チューブがあてがわれていた。想像したより大仰な姿にびっくり、泣き出しそうになる。
「お母さん!」
私に気づいたお母さんは明るい声で私に話しかけてきた。
「リンちゃん、ごめんねえ、こんな格好で。でも見た目酷いけど、全然大丈夫なのよ。これは念の為。」
初めて入る入院病棟、現実離れした白さの病室、点滴管やら酸素チューブやらごつい電動ベッドやらの不穏な眺め。私はとてもじゃないけど安心はできなかったが、お母さんとしばらく話してるうちに少しずつ落ち着いてきた。
看護師さんが病室に入ってくる。
「はい桜庭さん、面会は15分までですので、そろそろお引き取りください。」
「お母さん、またね。早く元気になってね。」
「はいはい、リンちゃんも施設ではお行儀良くしてね。」
「ひどい」
そんな話をして、最初の職員さんに連れられて施設に戻った。お母さんのいない知らない部屋。疲れていたのか、その晩は夕食が済むと早めに寝ちゃう。
夜中。早く寝すぎたせいか目が覚めてしまった。ポリーに話しかける。
「ポリー、起きてる?」
少しだけ間を置いてポリーは答える。
「起きている」
「お母さん、大丈夫だよね」
「大丈夫だと言っているだろう。今日見たところ燈子の容態は安定していた。問題なく退院できるだろう。」
相変わらず事務的な受け答えをする馬だった。
「...でも」
「でも?」
「いつかいなくなっちゃう?」
「...」
「ポリーは絶対いなくならない?」
「...」
「ねえ、ポリー」
「...私は、リンのそばにいる」
答えになってないよポリー。
でも「うん」と言って、目を閉じた。
本当は気づいていたわ。
ポリーが「ずっと」とは言わなかったことを。




