行き詰まり
土曜日の紫芝家にて、海理はどことなく気だるげな表情でパソコンの画面を見つめ、右手は緩慢な動作でマウスを動かしていた。
自分からネットに小説を投稿して勝負しようと言い出した手前、海理が小説を完成させないと恰好がつかないのだけれど。
今の海理は小説を書くためにパソコンの前に座ってから既に三時間以上が経過しており、その間の成果と言えば白い画面にぽつんと書かれた赤崎真司という主人公の名前だけだ。
文字数にしてたったの四文字しかないテキストだが、海理だって何もこの三時間の間ずっと主人公の名前ばかり考えていたわけではない。
そもそも海理は最初、キャラの名前よりも先にストーリーの大まかな流れやコンセプトを決めようとしていた。
だが、王道の学園ラブコメを書いてみようと試みた第一稿は書き進めているうちになんだかありきたりで陳腐な展開に思えてボツ。
続いて、ガラッとジャンルを変えて書き始めた異世界転生ファンタジーは考えれば考えるほど迷走していき、最終的にギリシャ神話と北欧神話のチャンポンみたいな世界観が出来上がって収拾がつかなくなりボツ。
その後はもはや思い付きの出オチ展開ばかりで、まともに物語として成立しそうなものは何一つ浮かばなかった。
結局、数千に及ぶ物語とも呼べない胡乱な文字の羅列はバックスペースキーによって消えていき、最後に残ったのは現実逃避がてら考えた主人公の名前だけというわけだ。
よくない。
このままでは非常によくない。
そんなことは海理だってよくわかっているのだが、さりとて三時間の悪戦苦闘の果てに完全に集中力が途切れた今の彼に都合よく新作のアイデアなど思いつくはずがなく、現状はただパソコンの前に座っているだけと言っていいだろう。
「はあ。ダメだな」
疲れた声で自分の状態について一言で表してから、海理はノートパソコンの画面を閉じベッドの上へ倒れこんだ。
これ以上粘ったところでまともなものが出来上がるとは思えないし、少し休んでから続きをやろう。
そう決めた海理がパソコンの画面を見続けて疲れた目を閉じようとしたタイミングで、一階の方から来客を告げる甲高いチャイムの音が響いてきた。
今の状態で来客に対応するのは非常に面倒で、海理としては無視してしまいたい気持ちでいっぱいだけれど。
生憎と今は彼の母親である葵は不在で、対応を人任せにするわけにもいかない。
仕方なく、海理がベッドから抜け出しのろのろと玄関へ向かって歩いていく。
◇
玄関の扉を開けた海理の前に立っていたのは凛とした雰囲気とは裏腹にTシャツとハーフパンツというラフな格好をした黒髪の少女、つまりは完全オフスタイルの聖だった。
「聖? 何か用か?」
面倒な勧誘の類だったら秒で扉を閉じてやろうと思っていた海理は幼馴染の顔を確認すると幾分表情を和らげたものの、聖を見つめる視線は怪訝そうで彼女の来訪に戸惑っているのが見て取れる。
「幾らメッセージを送っても返事がないから、あまり余裕がないのだろうとは思っていたけど。その様子だと、そもそも気づいてすらいなかったようね」
聖の口ぶりからして、どうやら彼女は何かしら海理へ連絡してきていたようだけれど。
新作の執筆が捗っていなかった海理は気が散るからという理由でスマホの電源を切っていたので、当然ながらそんなことは今この瞬間まで知らなかった。
「悪い。今はちょっと、スマホの電源切ってて」
「気にしなくていいわよ。海理のことだから、どうせ苦戦しているだろうとは思っていたし」
聖は海理が新作の執筆に行き詰まることまで見越していたようで、今の彼と違って余裕たっぷりな態度には何かしら言い返したくなるものの事実として苦戦している以上は何を言っても虚しいだけだ。
昔から、こういう時の言い合いで海理が聖に勝てたことは一度もない。
「新作の作業、どうせ捗っていないなら少しくらい私が邪魔しても構わないでしょう?」
「まあ、別にいいけど」
海理が了承すると聖は慣れた仕草で紫芝家へ上がりこみ、そのまま住人である海理よりも先に彼の部屋へ向かって歩いていく。
下から階段を上る聖を見つめている海理はその背を見て少しだけ肩の力を抜くと、小さく息を吐き出した。
彼女があまりにもいつも通りだからだろうか。
いつものペースでいる聖を見ていると、先ほどまで見ていたまっ白なパソコンの画面をほんの一時忘れることができて、海理の心は少しだけ落ち着いた。




