勝負の提案
いきなりパソコンの代金を払うと言われた穂乃花は暫し戸惑いを隠せない様子だったものの、海理が本気らしいということを察すると静かに目を瞑ってから深々と息を吐き出した。
「紫芝が創作に本気なのを疑うわけじゃないけど、やっぱりそれは無理。そもそも、私はプロでもなんでもないんだし、お金なんてもらえないって。パソコンは……まあ、親に幾らか出してもらえないか頼んでみるから、それで上手くいったら考えてみる」
「そうか」
最初から断られるかもしれないと思っていたのか、海理は言葉少なに返事を口にしてから帰りの支度を整えていた穂乃花に続いて鞄を持ち立ち上がった。
「じゃ、帰るか」
「え、ああ、うん。そうだね。帰ろっか」
今度こそ互いに部活の終了を宣言した二人はどちらからともなく歩き出し、第二文芸部の部室を出ていった。
◇
窓の外に映る空がすっかり暗くなり、周囲の家から漏れる明かりが目立つようになった夜の紫芝家にて。
海理はパソコンの画面を開き、そこに表示された穂乃花の短編を読み直していた。
内容は本人に話した通り面白いし、改めて読み返してみても最初に部室の情景を描写したときとは別人かと思うくらい文章を書く技術も向上している。
もちろん、まだ粗がないわけではないが、もうほとんど海理の書いたものと遜色ないだろう。
海理の眼も、現在の穂乃花の能力が彼自身に迫ってきていることを数字として映している。
穂乃花の成長は非常に順調であり海理としても喜ばしいことこの上ないのだけれど。
その割に、パソコンの画面を見つめる海理の表情は晴れない。
海理自身、理由は朧気ながらも自覚していた。
将来的に穂乃花の作家としての能力が自分を遥かに凌駕するのだとしても、実際にそのときがくるのはまだ先の話で今は曲がりなりにも幾つか小説を自作したことのある海理の方が上である。
心のどこかでそんな風に思っていたから、予想よりも早く上達する穂乃花を前に妙な対抗意識が芽生えてしまっているのだ。
「いっそ、こてんぱんにやられたらすっきりするか?」
投げやりに口にした自問の声は、答えのないまま窓の外に広がる闇に溶け消えていった。
◇
「書いた小説をネットに投稿してみないか?」
第二文芸部の部室に部員の三人が集まったところで、海理はいつものようにタブレットやパソコンを取り出すことなく少しだけ改まった表情で一つの提案を口にした。
「いいんじゃないかしら。活動するなら目標があった方がわかりやすいし、やりましょう」
提案を聞いた聖は最初こそ意外そうな表情を浮かべていたものの、やがて納得したのか特に異を唱えることなく頷いた。
「えっと、それって要は全然知らない人に書いたものを見せるってことだよね? 紫芝と千凪に読んでもらうのは慣れてきたけど、それはちょっと……偏見かもだけど、いろいろ酷いこと言われない?」
聖とは対照的に穂乃花は海理の提案に対して消極的で、言動にも気乗りしない様子が現れている。
「まあ、そういう書き込みするやつがいないとは言い切れないけど。わざわざ感想書くのは大半が普通にその作品好きな人だろうし、想像してるほど酷いことにはならないと思うぞ。それに、せっかく手間暇かけて面白いと思えるものが書けたなら、もっといろんな相手に見せつけたいと思わないか?」
「見せつけたいって、これそういう問題なの?」
「当然。じゃなきゃ、作家なんて職業はこの世にないだろ」
「えー。それこそ偏見じゃない? ていうか、千凪はいいの?」
穂乃花が折れる気配のない海理から視線を外し聖へ水を向けると、彼女は海理を見て仕方なさそうに笑みを浮かべてからゆっくりと口を開いた。
「そうね。正直、私は海理ほど熱心なラノベ好きというわけではないし、小説を投稿するか否かそれ自体はさほど重要視していないけれど。どういう心境の変化にせよ、小説を書くことに海理がここまで乗り気になっているのは久しぶりだから。付き合ってもいいとは思っているわ。もちろん、それを皆咲さんにまで強要する気はないけれど。どう? 私と同じで、皆咲さんには海理の言うような欲求はない?」
「私は……」
穂乃花の言葉が途切れ、視線は他の誰かではなく自分の手元へと向けられる。
「……まあ、思わなくはないけど」
僅かに耳の先を赤くした穂乃花がたどたどしい口調で紡いだ台詞を聞いて、海理は一瞬だけ目を細め下を向いてからすぐに鷹揚な頷きをみせた。
「なら決まりだな。ついでに、今回も三人で勝負ってことにしないか」
「勝負?」
「ああ。投稿サイトでブックマークや評価が付いたときに獲得できるポイントが一番高かったやつが優勝で、負けた二人は買ったやつにジュースを奢る。投稿する作品の内容に縛りはないけど、期限は今日から一ヶ月。どうだ?」
「別に、それくらいならいいけど」
特別乗り気という風でもないけれど。
穂乃花は海理の提案した勝負に応じ、聖からも異論は出てこない。
「後は、皆咲だけパソコン持ってなくて家での作業が難しい点だけど」
「あ、それに関しては大丈夫」
一応、勝負と銘打ったからには公平性を確保しておこうと思ったのか、海理が追加で何かを言おうとしていたけれど。
穂乃花は片手を上げそれを押しとどめた。
「昨日、帰ってから親に相談したら、大学生になったらどうせ必要になるものだからって買ってもらえることになったの。今週の土曜に買いに行く予定だから、その辺は気にしなくていいよ」
「そうなのか? だったら、俺のパソコンに入ってる皆咲の原稿もメールかなんかで送っとかなきゃだな」
聖だけはいつも通りの空気感で穂乃花とのやり取りを続けている海理に向け意味ありげな視線を送っているけれど。
この日の部活は大きなトラブルが起きることもなくつつがなく終了し、部員の三人はそれぞれに投稿するための作品を書き上げることになった。




