手伝う理由
紫芝家を訪れた聖は海理が執筆中だと予想した上で来た割にはいつも通りで、ベッドの上に寝転がりながら本棚から抜き出した漫画を読んでいる。
海理はそんな態度に微妙に釈然としない表情を浮かべつつも、彼女の近くに腰を下ろし幾分気の抜けた様子で一階の冷蔵庫から取り出してきたサイダーに口をつけた。
「なあ、聖は新作の作業捗ってるのか?」
「いいえ。ようやくおおまかなプロットが固まっただけで、本文に関してはまだ手を付けてないわ」
「……プロットができただけでも、十分順調だと思うけどな」
自身の進行具合を思い出し余計にテンションの下がった海理が力ない声で返事をすると、聖はポケットからスマホを取り出し海理へと差し出した。
怪訝そうな表情で海理が差し出されたスマホを受け取ると、そこには話題に出た新作のプロットと思しきファイルが表示されている。
「読んでみて、率直にどう思う?」
「どうって」
聖の意図がわからず困惑した様子ながらも海理は目の前の文字列を読み進めていき、全てに目を通したところで小さく息を吐いた。
「まあ、普通の恋愛物って感じだな」
ファイルに書かれているプロットは夏祭りの夜に主人公の女子高生が幼馴染の男子に告白し結ばれるという内容で、キャラクターや舞台設定に捻ったところはなくプロット自体も会話のサンプルすらない簡素なものだ。
独自の設定や濃いキャラ付けがあるならともかく、聖の書いたプロットは明らかに主人公たちの甘酸っぱい雰囲気を楽しむタイプの作品だ。
設定面に特筆すべき点がない以上、せめてサンプルの文章くらい用意してくれないと海理にはこれといって言えることがない。
「面白くはないでしょう?」
「いや、こういうのって実際の文章でどれだけ雰囲気作れるかが大事だし。これだけじゃ判断しようがないだろ」
「だからよ。書くのが私なのだから、この設定から海理の驚くような傑作が出てくることはないとわかるはずよ」
確かに、昔の海理は小説を書くとき聖を巻き込んで互いの作品の発表会のようなことをしていたので、聖の書く物語が大抵は特定の登場人物に描写を割き過ぎて全体のバランスが崩れがちだと知っているけれど。
自覚があるのなら、わざわざこんなことを海理に聞く意味がわからない。
「私は私の書く物語が優れたものではないと知っているし、別にそれを苦にしているわけでもない。けれど、海理は違うのでしょう? あなたは自分の書く物語が人より劣っていることが許せない。だから書けないのよ」
ここまで言われてようやく、海理は聖がここに来た理由を悟った。
どうやら、このお節介な幼馴染は行き詰っているであろう海理を激励するためだけに、こうして会いに来たらしい。
なんとも回りくどいことだが、直球に頑張れなんて応援の台詞を口にするよりはこちらの方が彼女らしいと思ってしまう。
「そんなに、皆咲さんに勝ちたい?」
「……どうだろうな。勝ちたいというよりは、納得したいのかもな。たとえ負けるとしても、自分の全力を出し切った上で及ばないなら諦めもつくだろ」
普段の海理ならこういうことを人前で口にしたりはしないのだけれど。
この場にいるのが自分と聖だけで気分も落ち込んでいたからか、彼の口からは思いのほかあっさりと穂乃花への敗北宣言が紡がれた。
「どうかしら。海理は自分で思っているよりも諦めの悪い性格をしていると思うけど。まあ、いいわ。結果はどうあれ、過程に悔いを残したくないなら使えるものはなんでも使わないとね」
「そりゃそうだけど、残念ながら俺は現時点で自分の武器になりそうなもんは全部ぶち込んで作業してるぞ」
「いいえ。まだよ。だって、私がいるでしょう?」
「は?」
意味がわからないとでも言いたげな表情の海理を無視して、聖が再び口を開く。
「どんなにつまらないと思う物でもいいから、書いたものは全て私に送りなさい。どうせ、海理は放っておいたら勝手に一人で追い詰められて使えそうな物まで捨ててしまうでしょう。海理一人でできないのなら足りない部分は私が補ってあげるわ。あなたと私の二人で、皆咲さんと戦うのよ」
最初、海理は告げられた言葉を飲み込めず目を瞬かせていたけれど。
次第に顔には焦りが浮かび始め、慌てた様子で口を開いた。
「え、いや、待て。なんで聖がそこまで。というか、そんなことしてたらどれだけお前の時間が削られるかわからないぞ」
「心配しなくても、しばらくの間大きな仕事は入っていないし書くのと違って読むだけならそこまで時間はかからないわよ」
「読むだけって、聖も自分の作品があるだろ」
「それも心配いらないわ。海理と違って私はそこまで拘りがないから。休みの日にまとめて作業すれば終わるわ」
次々と自分の提起した問題点を潰していく聖を前に、海理の声は徐々に勢いを失い始めた。
「でも、皆咲は一人で作業するのに俺だけがお前に手伝ってもらうなんて不公平じゃ……」
「それこそ気にする必要はないでしょう。作品を読んだ読者に意見をもらうなんて誰でもやっていることよ。海理だって、皆咲さんの作品を読んであれこれアドバイスをしていたじゃない。もしそれでも気になるというなら、あなたが皆咲さんを手伝えばいいわ。たぶん、彼女は嫌とは言わないわよ」
聖の言った通りの提案をしたとき特に気負うこともなく受け入れる穂乃花の姿が想像できたからか、海理は反論のため開いた口から意味のある言葉を紡ぐことはできずただ吐息だけを零した。
「……なんで、今回に限ってそこまでやる気なんだ? いつもなら、ここまで本気でやったりしないだろ」
暫しの沈黙を経て海理が力なく問うと、穂乃花の顔には控え目な笑みが浮かんだ。
「知らなかったの? 私、あなたの書いた物語を読むのが結構好きなのよ」




