1-01-09 能力の使い方
寄波32年10月2日 午前8時
炎の能力を手に入れてから一夜明け。
リュウは朝の日課を終えて、家の前の交差点でバスを待っていた。
寄波の外周、防波堤の近くに車庫があり、バスはそこから出発する。
いつものように走ってくるバスをぼんやり眺めていると。
「……うん?」
バスの上に、灰色の何かが乗っていることに気が付いた。
服の色から、おそらくは学生。
リュウ達は学生としては最年長なので、相手は同い年か年下。
ふざけてバスによじ登ったりしたのなら、一言注意はしてやるべきだろう。
そう思いながら目を凝らし――
「嘘だろ……?」
人型ではあるが、服だけでなく、顔や手に相当する部分も灰色だった。
つまり、学生どころか人ですらない。
全身が灰色の何かで形作られた、異形としか言い表せない存在。
そして、その異形と目が合ったわけではないが、互いを認識したようにリュウには感じられた。
バスは分速300mで走行する。
リュウのもとにたどり着くまで、20秒もない。
「おいおいおい……」
見かけで判断するのは良くないかもしれないが、相手は友好的な存在とは思えなかった。
少なくとも、仲良く隣に座ってユイを迎えに行く気にはならない。
ここで足止めするべきだ。
そう即決し、鞄から"カード"を取り出して鞄を投げ捨てた。
連絡先のユイを選び、通話を要求する。
何も言わずに補助をすっぽかすと、心配させてしまうからだ。
この時間ならユイは支度を終えていて、カードが傍にあるはず。
その希望どおり、ユイとの通話はすぐに始まった。
「……もし――」
「今日はバスに乗れない! 一人で行ってくれ」
ユイが言い切る前に、リュウは用件を告げた。
絶対に補助を要するほどユイは弱っていないし、何かあればリゼ達を頼ればいい。
だから、そう伝えることにためらいはなかった。
「……――」
「悪いが時間がない。 話は後で聞くから」
ユイが喋りだす前の息づかいが聞こえたが、リュウは一方的に通話を終了させた。
最短時間でユイへの伝言を終えたリュウはカードを開けたままの鞄に投げ込み、バスに向かって駆け出した。
手元に棒を出現させ、走る勢いのまま跳び上がる。
「……ふっ!」
短く息を吐きながら、棒を前に押し出すように振るい、異形を叩き落とした。
棒を消して、どうにか転ばずに着地できた。
乗客不在を検知したバスが走り去っていくのを横目に見つつ、異形の様子を確認する。
薙ぎ払われた後、すぐに体勢を立て直したらしい。
異形はリュウから3mほど離れた位置で、ただ突っ立っていた。
近くで見ると、異形の輪郭は揺れ動いている。
そのため、その姿はくっきりしていない。
頭っぽい部分、腕っぽい部分など、人のような形をしているだけだ。
目や鼻、指といった細かいパーツは形成されていない。
「……あー、生きてるか?」
軽く声を掛けてみる。しかし、反応はない。
リュウはゆっくり歩み寄り、話を続ける。
「悪いな、いきなり殴って。 でもバスってのは中に座って乗るもんだ。 わかるか?」
異形は反応せず、突っ立ったまま。
リュウもさすがに手の届く範囲まで近づく気にはならず、1mほどの距離を保っていた。
互いに動かないまま、リュウは異形について考察する。
流体のような何かが体を形作っているのは、紅い空間で感じた自身の姿と同じ。
おそらく、異形は指輪や炎に関連する存在。
その炎を生み出す、体内の’熱’を意識した瞬間。
異形が動き、その腕っぽかったものを細く尖らせて、リュウに突き出した。
「うおっ……」
リュウは咄嗟に左へ避ける。
距離を取っていたため直撃はしなかったものの、右腕を刃が掠めた。
‘熱’を意識しないようにして、さらに離れる。
異形は片腕を突き出した体勢から、直立に戻っていた。
痛みが走る右腕を見ると、斬撃はジャケットとシャツを裂き、肌まで到達していたらしい。
傷口からは血が流れ、地面に零れ落ちる。
「……詫びる必要なかったな」
足止めして正解だったと確信して、リュウは呟いた。
それから2分後。
「痛ってえ……」
異形はリュウの炎に反応する。
それがわかったので、炎は出さずに棒で叩くことに専念していた。
しかし叩けど叩けど、異形は何事もなかったかのように立ち上がり、全く効いているように見えない。
そして、リュウには武器を使って格闘した経験などない。
先に悲鳴を上げたのはリュウの手だった。
「こいつ……攻撃が効かないのか?」
痛みを紛らわすように両手を振りながら、思案する。
異形は呼びかけや物理攻撃には反応せず、効果もない。
互いに影響を及ぼすことができていない、と言えるだろう。
しかし、リュウの炎だけは別。
リュウが意識しただけで、異形は鋭く反応した。
炎と異形が影響し合っているなら、効果もあるはず。
つまりは――異形の攻撃を避けながら、炎をぶつけなければならない。
「避け切る? あれを?」
自分で考えておいてなんだが、かなり難しいだろう。
さっきは炎の意識するのを止めたから単発で済んだが、炎を出し続けていたら連撃を受ける可能性が高い。
そうなったら、全て捌くのは至難の業だ。
ならば、先手必勝。
相手に反撃の暇を与えなければいい。
そのために必要なのは、速さ。
右に一回転して遠心力を利用しながら、棒を異形の首めがけて振るう。
そして当たる瞬間、棒に炎を纏わせた。
ただ叩いていたときよりも柔らかな手応え。
異形の首元は、その表面が大きく揺れている。
そしてそのまま、特に抵抗を感じることなく首を刎ね飛ばした。
「おおっ?」
あっけなさに驚きつつ、切り離された首を目で追うと、輪郭が薄れて溶けるように消えた。
しかし胴体は残ったまま――何の問題もないと言わんばかりに動き出した。
「ぐっ……」
一撃目は、炎を纏った棒でどうにか防いだ。
頭のように見えた部位は、人の頭としての機能は持ち合わせていなかった。
最初に腕を変形させて攻撃してきたのだから、見かけの形に意味はないと考えるべきだったか。
そんな反省をしながらも、異形の動きになんとか反応し、攻撃を避け、防いでいく。
足元を狙われたら対処できないと自分でわかっているので、意図的に上半身の’熱’だけを意識するようにしていた。
おかげで足への攻撃は免れていて、動けなくなることはなかった。
それでも、受け止めきれなかった攻撃が、リュウの体を抉っていく。
顔、腕、胸、腹――深くはないものの、徐々に傷が増え、血が流れ出る。
灰色のジャケットと白いシャツが、黒と赤に染まりつつあった。
異形の動きを止めるには炎を消せばいいのだが、そのタイミングが難しい。
消した瞬間に来るであろう最後の一撃を、うまく対処できるような状態にもっていかなければならない。
攻撃を棒で捌きつつ、異形との間に’熱’が面状に流れるようイメージする。
そして異形の腕を突き出すような動作に合わせ、後ろに跳び退って炎の幕を作り出す。
幕によって切り離された腕が、リュウの胸元に突き刺さる直前で宙に消えた。
リュウは地面に倒れこみながら炎を消し、そのままゴロゴロと横に転がってどうにか距離を取る。
再び、異形の動きが止まった。
地面に転がったまま異形を眺め、この後とるべき行動を考える。
ここまでで、異形の頭と片腕と、打ち合いでの反撃で体の所々を消し飛ばすことはできた。
しかし、体の表面が波打ち、欠けた箇所を再構築しようとしている。
同じように続けていればいつか倒せるかもしれないが、その度に自身の傷が増えていくことは容易に想像できるので、できれば避けたい。
そして、このまま無断で修学棟を欠席した場合、異形を放置しておくのと同じくらい面倒なことになる。
いつか倒せるなどと、悠長なことは言っていられない。
部位ごとに消し飛ばしても終わりが見えないので、全体を巻き込むような攻撃手段が必要だ。
範囲的な破壊現象で、炎が絡むものと言えば、すぐに思い浮かぶのは爆発。
実際には高温・高圧による急速な膨張が起こっているはずだが、それをリュウの’熱’で模倣できるのではないか。
「……」
そう思い至ったところで、リュウはゆっくりと立ち上がる。
次で終わらせる。
その強い覚悟を抱いて。
右足を前に出し、軽く構える。
そして左手に、意識できる’熱’の全てを集めていく。
爆発を模倣するにあたり、棒は使わない。
‘熱’の急速な拡散。
それを正確にイメージするには、自身の体を中心に置かないと難しいように思えたからだ。
‘熱’の移動に反応して、異形が動き出す。
リュウは動かず、異形を見据える。
異形が残った左腕で突きを放つのに合わせて、腹部をアッパー気味に打ち抜く。
同時に拳に炎を纏うことで、異形の表面を突き破った。
「ぐうっ……!」
’熱’を集めた左手を、異形の胸元まで到達させることはできた。
しかし突きへの対処として右の鎖骨付近を犠牲にしている上に、異形の体は触れるだけでダメージを負うらしい。
左腕全体を紙やすりで擦られたかのような痛みが襲うが、耐えて’熱’を維持する。
そして不敵に告げる。
「……吹っ飛べ」
言葉とともに、拳を開く。
圧縮された’熱’が、一瞬で解放されるイメージを乗せて。
‘熱’の急速な広がりが、異形の体を限界まで波打たせる。
その揺らぎに耐えられず、異形はバラバラに爆ぜ、消えていった。
一人になったリュウは、文字通り勝利の決め手となった左手を眺めていた。
異形の体に突っ込んだことで、細かい切り傷が無数に走り、全体的に血が滲んでいる。
生まれてこの方、見たことがない怪我の仕方だ。
などと呑気に考えていると、傷口が徐々に塞がり始める。
途中の打ち合いで負った傷も、最後に貫かれた右肩もきれいに治っている。
さすがに流れ出た血までは消えないが、痛みはもうなくなっている。
この異常なまでの治癒能力こそが、リュウをリュウたらしめる特徴だった。
すぐに治るとわかっているのだから、傷つくことを恐れたりはしない。
残されたのは斬られてボロボロになった服と、地面のあちこちに飛び散った血痕。
「……このままじゃ行けないよな」
その呟きは、今しがた未知の怪物に殺されかけたとは思えないほどに淡々としていた。
ようやくあらすじの内容に触れることができました。




