1-01-03 リュウの家族
リビングに隣接したキッチンでは、リュウの両親が朝食の準備をしていた。
リュウが入ってきたのを見て、父が声をかける。
「おう、来たなリュウ」
「……ああ、おはよう」
普段より父が楽しげでリュウは若干戸惑ったが、いつもと同じように返事をした。
奥に居る母にも向けて。
「おはよう」
母の調子はいつもと変わらない。
父の名は衡、母は瑠璃。
寄波では、産んだ子供を保育所と呼ばれる養護施設に預ける親もそれなりの数いるが、二人はリュウと一緒に暮らすことを望んだ。
また、子の側も修学棟に所属すると同時に一人暮らしができるようになるが、リュウはそのまま残った。
同じ家で生活できるくらいには、親子の仲は良いとリュウは思っている。
リュウが食器をテーブルに運ぼうとすると、コウに小声で呼び止められた。
「さっきの音、久しぶりにあれをやったのか?」
「……まあ」
リュウは持っていた皿を置き、答えた。
あれというのは、寝ぼけて階段から落ちたことだろう。
久しぶりと言われているように、実は同じことをこれまでに何度かやっている。
リュウの記憶では、前回は6年ほど前のはずだ。
あまり触れてほしくはないので、消極的な肯定に留めておく。
コウは軽く笑って、続ける。
「懐かしいなあ。昔はしょっちゅうやってたのに。
あの頃よりずいぶん音が大きくなってたんで、ちょっと笑っちまった」
リュウ自身は覚えていないが、両親曰く2階の部屋を使い始めた頃は週1回は落ちていたとのこと。
やっている事は変わっていないが、子の成長を感じているらしい。
だから、楽しげだったのか。
そうリュウが納得していると、コウが思い出したかのように話を変えた。
「怪我は? すぐ歩いてたから大丈夫そうだけど」
「なんともないよ」
左手を軽く握ったり開いたりしながら、無事をアピールする。
コウはもう一度笑って、
「そっか。そりゃよかった」
そう言うと、自分の分の皿を持ってテーブルに向かう。そしてもう一言。
「さ、メシにしようぜ」
食事の際にリュウが世話を必要としなくなってからは、コウとルリが並んで座り、その向かい、二人の真ん中にリュウが座るのが定位置となっている。
リュウから見てルリが右側。彼女が左利きなので、この並びが都合いいらしい。
ちなみにリュウも左利きだ。
黙々と食べながら、向かいの両親をちらりと見る。
彼らの髪色はリュウと違って黒だが、それ以外に変わったところがないと言えば嘘になる。
コウの方は、右腕を黒いサポーターのようなもので覆っていて、肌が見えているのは指の部分だけ。
10月の今は長袖の服を着ていて見えないものの、腕全体、肩まで覆われている。
この季節ならあまり目立たないが、夏場でも外したところは見たことがない。
本人はさすがに風呂に入って体を洗うときは外すと言う。
ただ、昔にリュウが一緒に入ったときには着けたままだったのを覚えている。
右腕を隠す理由は、寄波に来る前のとある事故に関係するらしい。
しかし、怪我をしているわけではなさそうだった。
現に、リュウの目の前で器用に箸を使っている。
コウが詳細を語ろうとはしないので、リュウも無理に聞こうとは思わなかった。
おそらく、その事故が故郷を去る遠因になったのだろうと推測している。
ではルリの方はというと、動いているところを見ていなければ精巧な人形かと思うほどに、表情がない。
喜怒哀楽が判りにくいうえに、感情の起伏も小さい。
それなりに長く息子として接しているリュウでも、彼女の表情から気持ちを読み取る自信は正直ない。
マイナス方面の感情ではないだろう、くらいの理解である。
夫であるコウも彼女のことを完全に理解しているというよりは、どこか感覚で相手しているように見える。
「どうかした?」
そのルリが手を止めて、疑問文だとギリギリ判るくらいの抑揚で話しかけてきた。
リュウが自分を見ているのに気付いたのだろう。
不快に感じたのではなく、単なる疑問。
彼女は基本的には物事への反応も鈍いが、子育て中の経験からリュウの行動には素早く対応できるように調整したらしい。
「ああ、ちょっと考え事」
「そう」
ルリは特に気にした様子もなく、再び食べ始める。
それを見ていたコウが、次の話題を出した。
「そういや、最近何か良い事あったりしたか?」
「え? いや……大きいのは特にないかな」
何故こんなことを聞くかというと、コウの持論では「良い事と悪い事は釣り合うように起こる」からである。
不注意とはいえ、階段を転げ落ちるなんて悪い事が起こったのだから、良い事も起こる。
それがコウの真意だ。
リュウもそれをわかっているので、聞き返したりせずに答える。
「そっか。じゃ、これからに期待だな」
リュウの回答に対して、そう言って笑った。
「……うん」
これが彼なりの励まし方なので、素直に頷いて受け取っておく。
なお、先に良い事が起こった場合でも「これから気を付けないとな」と言われるぐらいで、その先の不幸を予言されたりはしない。
都合のいい考え方だと思わなくもないが、リュウはそれが嫌いではなかった。
変わったところはあれど、基本的に前向き思考な父と、物事に動じない母。
そんな二人を見て育ったリュウも、並大抵のことでは揺るがない精神的な強さを受け継いでいた。




