第23話 二度目の別れ
廊下から執務室に戻るイアンに、瑤はついて来た。ドアを開け、彼女を先に通す。後から部屋に入りながら、イアンが話しかけた。
「ところで、私より先に『天の声』があったようですね」
あくまで雑談だった。規律局に対する自分の想像を、先ほどの連合本部との通話内容は補強してくれた。彼女がこちらより優先されるのは当然だ。
少し不機嫌そうにしていた瑤は、机に寄りかかって笑顔を向けて来た。
「まあね。うちは優秀なメンバー揃いで、CRESTにとっての切り札だからね」
――特別扱いされていることを自慢する子供だ。そんな感想は飲み込んだ。イアンは苦笑いを返してから、瑤を追い越し、椅子へと回り込んだ。
「その優秀なる規律局の弾正官である瑤様。貴方に監視される私は、果報者というわけですね」
背もたれに手をかけ、空いた手を大きく横へ広げる。因果関係が無茶苦茶で、イアンは言いながら自分の言葉におかしくなっていた。笑いながら腰かける。
瑤は溜息をついてから、耳と尻尾を揺らして執務室から出ていった。見送ったイアンは、引き出しからファイルを取り出し、廃棄専用箱に入れた。内容は、この事業本部での規律局への苦情だった。
物流・販売部門は、中期ビジョンに「より良いもの」の提案を押し付けられた。
区政部は就業規則の個別改定を提案された。
社内サーバー、クラウド、社員端末、メール、社内SNSへの無制限アクセス権の要求。その過程は脅迫じみたものだった。
――そういえば、紙情報廃棄専用箱の中身を、回収されそうにもなった。他にもあるが、言い出すときりがない。
やったのは弾正官様一人ではない。彼女の部下達もだ。ただ、愛らしい小柄なウサギ獣人が社内を歩いても、見惚れる者はいなくなった。
溜息を抑えて、イアンは背もたれに寄りかかった。愛嬌を振り撒く意味を失ったウサギを想像すると、口元が歪んだ。そして切り替えた。
イアンは、本社への連絡を急いだ。事実経過として、会議出席と権限委任はCREST連合本部による直接命令であること。委任先の役職を『崖縁区特別監査・執行補佐』としたこと。株主への説明は連合本部が直接行うため、こちらの対外責任は軽減されること。委任権限の具体的な範囲指示がなかったため、これを設計できること。取締役会は追認するしかない。
連合本部のデジタル命令文書の正式写しを紙書類で本社法務部に厳重保管させた。また、本社から元スカンダ派で現在ではイアン派の幹部を二名、崖縁区に呼び寄せた。弾正官様は愛らしいが恐ろしいと情報共有済みなので、渋面を作られそうだ。
この二名には、自分が不在の間、弾正官様の権限が届かない領域における代理人として機能してもらう。
はっきりさせておく。
崖縁区ではアンテロス鉱業がその座に就くようにCRESTで設計されているが、CREST法では、「CREST自治区区政を預かる企業は、区内でもっとも生産高が高い企業とする」と定められている。
「崖縁区事業本部総代表」がすなわち「崖縁区最高責任者」だ。
事が済むまで、この椅子は誰にも譲らない。
執務室の窓に近づくと、冷気を感じた。
今日から監視AIシステムが動き出した。それでも外の景色は変わらない。窓から離れる時、両手がポケットに入っていたことに気付いた。また若い頃の癖が出ている。人前でやらないように、気を付けねばならなさそうだ。
机の前へと戻る。メールリストに会議日程や議題や会場、根回しと自陣営調整の期間スケジュールが届いていた。
21日の夜には、ヘスティア州に到着せよとなっている。会議は27日からの三日間開催。この方面は任せきりだったが、あまりにもこちらに都合のいい開催期間に笑いそうになってしまった。
反面、現地入り日程が少し早い。こちらを椅子から早く離れさせたい力学があるのか、微妙なラインだ。
秘書室へ、会議に持ち込む資料作成を頼んで、新たな悩みが発生した。
会議に随行させる秘書官を決めなければならない。できれば会議会場の周辺の地理に明るい人物。
夕方。崖縁区の市民に向け、イアンは声明を出した。会議出席で崖縁区を離れること。瑤弾正官に実務執行権を委ねること。CRESTの直接命令であり、CREST全体のガバナンス強化措置と位置づけ、崖縁区の自治・住民生活・事業環境に変更はないこと。重要政策の最終責任は自身が持ち続けていることを強調し、変わらぬ協力を求めて締めくくった。
「表ではお役所仕事を淡々とこなす、最高責任者。家ではヤオのかわいい舎弟」
深夜。自宅のリビングでの、いつもの二人の時間。瑤はソファでくつろぎ、傍らの床でイアンを這いつくばらせている。さらにイアンには、つま先を見つめ続けるよう、瑤は命じた。
「今日の声明は、キミの椅子への執着が出ていたね。――みじめだった?」
「いえ、全く」
被毛に包まれた足で、瑤はイアンの顎を持ち上げた。
「そこは『はい』でしょ」
「失礼しました。瑤様が、私から椅子を取り上げないと、信じておりましたので」
這いつくばったまま顔だけを上げたイアンは、赤い瞳を見つめて言った。その瞳は、底を山なりにした。合わせて口角も持ち上がっていた。
「ヤオのこと信じてるんだね。ヤオは他人なんて信じられないけど、キミのことは信じてもいいなと思ってる」
「光栄です」
「昼は真面目な総代表。夜は舎弟。偉いね。監査に非協力な子へ、即時裁定したくないからね。キミの選択で、キミの従業員が守られている。――改めて言うよ、キミがいない間、こっちは安心していい」
笑顔で見つめ合っていた。イアンの返答がないことに、瑤は機嫌を悪くしなかった。
「ヤオと離れ離れになるのが嫌?」
瑤の問いかけに、イアンは笑顔で這いつくばったまま返事をした。
「はい、寂しく思います」
そこで「はい」と言える質問しか出来ないとは。下手くそめ。――不意に沸いた感想は握りつぶした。自分は弾正官様に心酔していると、見せかけだしてもいい頃合いだ。
カサンドラを思い出した。大佐殿は良き反面教師だ。準備が終わったあと、値踏みの目を見せてはならない。気取られてたまるか。
XX38年、12月20日、木曜日。
午前三時、仕事用のハンドリンクがけたたましく鳴った。瑤から解放されて二時間経過していなかった。
緊急時のみに架電される番号は音量を大きめに設定している。サイドボードに置いていたハンドリンクを取ると、相手はシーセックだった。
羅湾裂蝕ドーム内の工場設備が破壊されたことを確認したため、港から縹島を偵察。平時はドーム外周部では遭遇しない虹蝕獣が闊歩しているとのこと。
ロープウェイを緊急稼働させて、玄嶺宗に強行偵察してもらう。外周部で虹蝕獣が多数発見された。
退去させるべき労働者が不在の時間帯、イアンは崖縁区最高責任者として、アンテロス鉱業鉱山保安担当以外の縹島全事業へ操業停止命令を出した。
取引所が開くと、株価は早速下落した。
イアン、シーセック、玄嶺宗、裂蝕観測局、瑤、イアン派二名、区政部管理課。これらで協議した。対応方針決定後も、報告は途切れなかった。
採掘ロボ導入の発表により、株価はやや上昇で終わった。このようなことがあっても、予定に変更はなかった。
金曜日の朝。瑤はイアンを見送るために、飛行船発着場までついてきた。イアンはSP三人組と共に移動するのに対して、瑤は部下を伴わず、一人だった。
イアンは瑤と並んで歩く。ふと、手を繋ごうと右手が動いた。それを抑えた。
昨晩は充分、最後の二人の夜を楽しんだ。そう、最後だ。
ゲートが近くなった。ここで別れを告げた後、彼女は一人で戻り、仕事して、帰宅後一人で過ごし、朝は一人で目覚める。愛らしい姿の貴方は、ひと時好かれようと結局、誰からも愛されない。
何か言いかけた瑤の前に、イアンは跪いた。すれ違うターミナル客からいくつか視線を感じるが、気にしない。三人組が周囲を睨む気配も気にしない。
「瑤様」
名前を呼んで両手を広げると、ウサギ弾正官は少し気恥ずかしそうにした後、――あの夜と同じように、飛び込んできた。瑤の方から口を開いた。
「大丈夫だよ、イアン。CRESTのためにしっかり働いて帰ってきてくれればいい。そしたら、ご褒美いっぱいあげる」
空虚な言葉だ。
そして、そう評価した己もまた、空になった器でしかなかった。
抱きしめる腕の中の彼女から、自分は今、温もりを奪っていた。何も返せないまま。
視界がわずかに、歪み、滲んだ。口を堅く結び、唾を飲み込むと、次は胃が締め付けられた。
進むのは既定路線。変更はない。
イアンはヘスティア州へ出発した。




