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第22話 失策


 土曜日は遊園地に行った。

 男は、髪をいつもとは違うフェザーセットにしていた。彼の手に導かれて観覧車に乗る。その直前、福祉施設の児童とおぼしき子供十五人前後と、引率の大人三人を見た。皆、楽しそうだった。


 充実して過ごせるが、苦手な帆嵐峰の街並み。観覧車から見渡した時、違って見えた。いい景色だと思った。

 

 アンテロス鉱業は崖縁区区政を預かっているため、エッセンシャルワークの子会社を多く抱えている。

 保護が必要な幼児・児童や浮浪未成年者の適切な行先を判断する組織と、それを受け入れる福祉施設の運営もそれに含まれる。市民にとって必須のインフラかどうかと言えば、「いいえ」になる。財政に余力があって初めて成立する。

 監査の流れで見た登記では、どちらもXX33年の一月が設立だった。


 週が明ければまた、補佐官たちが集めてくれた監査証拠との睨み合いが始まる。今は制限があるが、監視AIを公然と使えるようになれば、劇的に効率は上がるだろう。

 実地観察と男への監視も任務だ。多忙だが、秩序を守る規律局の栄光を支えるのは自分だ。


 男に笑顔で「楽しかったね」と言うと、笑顔と同意が返ってきた。彼は、今やすっかりかわいい舎弟だ。


 三日前の夜。彼の髪を引っ張ってやると、睨むような目つきをしたので、その選択は良くないかもしれない。と、遠回しに言った。もう睨んだりしないと言ってきたので、その選択を褒めてあげた。

 この男は鈍感なのが玉に瑕だ。殺意の目を使っても、それに気付かない。しかし、今日の彼は十分働いた。今夜はいっぱいご褒美をあげよう。


 家に帰る車の中で『ママ』から緊急任務のメールを受けた。こちらとは別件の監査で「おしおき対象」となった人物の潜伏先がこちらから近い。それでお鉢が回って来たというわけだ。

 自分が帰宅するまで、起きて待っているように男に伝えて、車から降りた。 

 イアン・ブラックは明日、四半期恒例視察と称した主要株主接待の予定がある。お互いの睡眠時間を考えた。ご褒美は明日夜に回す方がいいのかもしれないが、帰宅した時の気分だ。瑤は判断を保留した。


 午後十時、瑤は愛刀である『氷刃“雪姫”』で対象を処分した。部下に後片づけの指示をして、任務完了報告を送信する。その間、彼女は終始笑顔だった。

 規律局の補佐官たちが、遺体と現場を丁寧に掃除する。一人が笑った。


「弾正官の首席と崇めておけば、手を汚してくれる。本当、助かるよ」


---


 イアンは一人のリビングで、ハンドリンクを触っていた。

 弾正官様がいない間に臨時株主総会の招集通知を発送した。取締役会が確認してくれたおかげで助かった。重大な見落としだったが、彼女の不在も相まって幸運だった。もっとも、彼女の目があったところで送信しなければならないものだ。今夜、追及を受けないというだけで充分だった。


 帰宅した彼女は、その赤い瞳を見開いていた。口角を少し上げて、気味が良いとは言い難い笑顔だった。ウサギ弾正官は玄関でこちらを見ているが、まばたきがなかった。


 膝を折って両手を広げると、彼女は胸に飛び込んでくれた。


 それから彼女は「ヤオは良い子で賢い子」「ヤオが規律局の栄光を守る」と何度か繰り返した。聞かされるたびに肯定を口にした。


 小柄な彼女の体を包む腕と、長い耳のついた頭を撫でる手。そこに内心からの異論はなかった。

 ウソは言っていない。彼女はご立派な規律局で優秀な人材と評価され、組織の担い手で旗頭だろうと思っていた。



 己の心を欺くと、碌なことにならない。目は曇り、真実を見落とす。



 XX38年、12月16日、日曜日。


 帆嵐峰中心部が観光地たる所以は、災害を免れた寺や孔子廟があるだけではない。東西に繁華街を抱えているだけではない。入場規定は厳しいものの、七大ドームで唯一、一般人でも入れる裂蝕ドームの観光ツアーまであるからだ。


 採掘員がいない朝九時の帆嵐峰ロープウェイ駅。望海道路入口方面と、羅湾を走る縹島方面のそれぞれの線が伸びている。定刻どおりドームへの籠に乗り込んだのはイアン・ブラック一行――主要株主とその随行員、合わせて七名だった。


 「皆様、おはようございます。本日、ガイドを務めさせていただきます、イアン・ブラックです」


 見た目は古いが最新バッテリー搭載で、かろうじて暖房の効いた籠の中。

 何度か参加している株主様には受けがいいが、初めての参加者は、何故暫定CEOがガイドをしているのか不可解とでも言いたげな顔をしている。

 参加者のうちイアンを含めて五名が、耐蝕防護服を着用していた。ウィリアム氏は息子のレオンと違い、防護服は不要だった。

 虹蝕霧耐性や虹幕能力はほぼ先天的に決まっている。体質に合った規定どおりの装備と、規定どおりの抗虹蝕剤の服用で、皆ここに臨んでいた。


 忌まわしいロープウェイのワイヤーの下は、面倒ごとは忘れろと強要してくるような輝く海。そして正面には、縹島を包む羅湾裂蝕ドーム――無線通信不能空間があった。


 浸蝕防止の星鋼コーティングされたケーブルは引いている。しかし、通信での入退室管理はせいぜい籠の乗り降りどまりだ。

 この接待で今回は、ロープウェイを貸し切りにした。

 つまり、他の観光客は来ない。それだけだ。


 ツアー客一行は、昼に帆嵐峰へと戻った。裂蝕ドーム観光より帆嵐峰観光を選んだ主要株主たちと合流して、予定どおり会食し、予定どおりイアンは接待を終えた。終わった気がしなかった。

 各々方が無事に帰ったという状況が観測できるまで、胃が締め付けられそうだった。


 帰宅に向かう車に入った直後、イアンは見る必要のない仕事用のメールリストを開く。本来は月曜まで確認しなくていいものだった。事業本部総務二課の蔡から「毎年恒例の件」と来ていた。

 崖縁区ではクリスマスを行事とする家庭も団体も少ない。ただ自分は、毎年プレゼント選びを総務二課に手伝ってもらっていた。社内規定違反のない範囲で。

 今年からは必要ない。ウィリアム氏にはサンタが一人減ると伝えてある。あの娘はもう十七歳になった。そして、立派になった。


---


 XX38年、12月17日、月曜日。


 執務室のイアンは、CREST自治管理部からの通話を受けた。本人確認をされた後、「上へ繋ぎますのでお待ちください」と告げられた。なかなか常識破りだ。


「こちらはCREST連合本部だ」


 ついに来た。世界の天辺からのお声だ。老人男性の声だった。イアンは自分に「ひとまず全て肯定」と言い聞かせて、相手の話を待った。


「自己紹介は省略する。――イアン・ブラック。君には崖縁区自治正当性確認会議に、CRESTの一員として出席してもらう」


 イアンは相手の呼吸を聞いて、黙って待つ。


「我々本部からも出席者は出す予定だが、現地に直接関わりある者が必要だと判断した。それは、君以外にいない。他に同席する者はCRESTアライアンスから選出する。こちらは四名、ノヴァソフィアの『王様』側も四名だ。調整や根回しも含めてそれなりの期間を要するので、そちらの事業本部総代表代理は、そこにいる規律局の弾正官に任命させてもらう。この話、受けてくれるね?」


 自分の眉間と瞼が、顔の中央に寄る感触がする。一瞬だ。


「もちろんです」


 イアンは静かに、力をこめて答えた。


「私と我々アンテロス鉱業はCRESTの『持ち物』です。おおせのままに。必ずや素晴らしい成果を御覧に入れましょう」


「うむ、期待している」


 通話が終わった。回線は、CREST自治管理部へ繋がりなおした。天の声は我々の株主様に、このふざけた状況を説明してくださるらしい。通話は今度こそ終了した。


 まずイアンは、机を殴りたい気分を抑えることにした。会社へ監査に来た組織の一員が会社を預かる。意味が分からない、と、一瞬思考は逃避したが戻る。CRESTは本気で規律局を特権組織にしたいらしい。


 窓の外、冬の鈍色の空を見て、立ち上がった。気分は高揚し始めた。世界が敵だと。


 執務室を出て、すぐ近くの秘書室にノックもせず飛び込んだ。


「やるぞ!」


 大きな声を出すと、オブライエン以外の皆、目を白黒させていた。「お騒がせしました」と頭を下げて退去する。

 廊下に来た瑤が首を傾げた。


「何? ヤオの知らないこと?」


「意気込みを声に出すと、気持ち良く仕事に取り組めるのですよ。人生最大の大仕事になるやもしれませんので」


「ああ、会議の連絡が来たんだね。こっちはヤオに任せて安心していいよ」


 「安心できません」と憎まれ口を叩いてやった。これで今夜はまた彼女から、痛い目に遭わされるだろう。知ったことか。


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