第21話 バランス棒
XX38年、12月14日、金曜日。CREST全自治区、同時発表の午前10時。
崖縁区の内容。
市民の皆様に、お伝えしなければならないことがあります。
CREST連合本部および自治管理部より、次世代警備AIシステムの施行事前通知が届きました。12月17日月曜日より、実運用が開始されます。
この自治区は、決して平穏だったわけではありません。
特に、昨今における劫災主教団の跋扈。これまで表面上は秩序を保ちながらも、常に危うい均衡の上に成り立つ日々を過ごしてきました。シーセックだけでは到底守りきれない領域が、確かに存在しました。だからこそ、私はこの「次世代警備AIシステム」の施行を、受け入れます。
プライバシーは守られるとの保証がなされています。このシステムが本当に機能し、住民の安全と平穏を守るものであるならば、私は心からCREST連合本部に感謝します。
裂蝕ドームからほど近い、厳しい環境の中で生活を続け、共同体を守り続けてくれた自治区の市民の皆さん。 貴方がたに、これ以上の負担や不安が及ばぬよう、私が責任を負います。
私はCRESTより区政を預かる者として、約束します。
この自治区の「生活」と「誇り」だけは、絶対に守り抜く。我々はこれまでどおり、互いを信じ、支え合いながら前に進む。
その覚悟を、今日、改めてここに表明します。以上です。
監視への不安や批判の声が上がり始めた。
次世代警備AIシステム導入に、我々は拒否権を持たない。CREST自治区とCREST私有地全てに適用されることになる。ここからは想像だが、おそらく電海ネットの形式上、CREST外部にもこのAIは手を伸ばすだろう。
住民への刷り込みとして先週からすでに、「管理で安全」やら「botが排除できない運営なんてイヤだ」など、広告や番組は流れ出していた。
ふと、疑問が沸いた。セトファームも同じことを考えているかもしれない。同じ疑問を提案として、オブライエンとピエールが同時に持って来た。
深淵を覗く時、深淵に覗かれている。とは誰の言葉だったか。
見られているのなら、是非、こちらからも見せてもらおうではないか。
根回しが効いて、株主たちには随分融通が利くようになっていた。従業員へ日頃の感謝を伝える声明を出して後、市場ルールに基づき、ウィリアム・ストロング氏から株式大量保有報告書が提出されたことを発表した。当社の経営体制は現時点で変更はありません。テンプレどおりだった。
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温かい紅茶のカップをゆっくり傾ける。広すぎない部屋に、気に入っている壁紙と机と椅子。厳格に、愚か者へ裁きを下す、ベルスニッケル規律局。その総帥の執務室に相応しい内装だ。
盟友からの通話内容も、それに相応しいものであってほしかった。
「ノヴァソフィアの『王様』から打診が来たよ。『お前の所がちゃんとやれていないなら、ウチがやってもいいぞ』とね」
「今日の『竜の心臓』会議はそれ?」
「当然だろう」
答えた通話口の声は、溜息交じりだった。
「CREST自治区を巻き上げる正当性が、彼らのどこにあるのかしらね」
「君が正当性を語るなんて、覚悟が足りないんじゃないか。すでに我々は、そんなものは捨てただろう」
「『我々』と言えば――」
一拍、間が入ったが、エレナは続けた。
「ハバティは」
「君が怒らせたんじゃないか。僕に尻ぬぐいをさせるのはいい加減にしてくれ。計画も頓挫した」
通話の声はわずかに早口になった。それを聞きながら何気なく、視線を自分の指輪の石に落とした。
「調整は手伝ったでしょう。今度は大丈夫よ」
「後手に回って『王様』に腹を探られた。『竜の心臓』は皆、腸が煮えくり返っている。中立司法院に動議をかけない理由づくりはもう限界だ。それに、調整は失敗になった。君は、崖縁区最高責任者を使うと言っていたろう」
「どういうこと?」
「そいつ以外に、崖縁区の現場を誰が伝える」
通話を切って、エレナは口を堅く結ぶ。唇の裏で奥歯を噛み締めた。
こんな時、近くにかわいい私の瑤がいれば、耳裏の毛を毟ってやれるのに。
「ママ、痛い。やめて」と言う、あの娘の口から洩れる音色が恋しい。
再提出されたイアン・ブラックの人物評価は望みどおりのものになった。パーツが揃って、あとは来週に全て動き出すはずだった。
テレビから速報が流れた。
崖縁区自治正当性確認会議の開催決定。
こういった会議や会談は、お互い、己の張りぼての正当性を主張しあうだけだ。中身は『金鉱脈』に居座る者と、どかせたい者。どかせる側は、そうするための大義名分が欲しい。
AIシステム実運用に自治区市民の反発は想定されていた。『王様』の大義名分に使われる懸念はあった。しかし、――AIシステムのおかげで規律局とシーセックが次々と成果を上げ、市民は安心を得る――という筋書きだった。
向こうの動きが早すぎる。これに『竜の心臓』はどのような結論を出したのか。一両日中には共有される内容が、今、手元にない。
来週、死ぬ予定だったイアン・ブラックは、死なない。
机の上の冷めた紅茶を下げさせるエレナの声は低かった。
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XX38年、12月15日、土曜日。
向こうに見えるのは観覧車とジェットコースター、それと高い塔から下がるワイヤー。目の前のゲートは赤と黄色のペンキ塗り。周りは家族連れやカップルがたくさんいた。
ここは、空間分断で削られた山の地形を利用して作られた遊園地。
入場したあとの案内看板の前が、最も人口密度が高かった。二人は打ち合わせどおり、手を握り合って人込みをすり抜け、奥へ向かった。
はぐれる懸念がある場所は手をつなぐというルールだったが、すり抜けた後も瑤は、イアンの手を離さなかった。顔を見合わせて、笑って、歩いた。
ジェットコースターで小柄なウサギ獣人は、規定身長に届かなかった。係員が申し訳なさそうに断った。これも予定のうちだったが、瑤は不満気な顔をした。
仕事中に子供扱いされると、殺意を帯びた目で睨むのだから、今日は十分大人しい。
親子――正しくは付添人が同伴なら、身長が低くても乗れるミニコースターを堪能した。スプラッシュボートのスピードも楽しんだ。
昼食に選んだハンバーガーセットのメインはとても小ぶりだった。イアンは足りないと言って追加注文に立つと、瑤も足りないと言って立ち上がった。
ビーフパティの入ったアボガドバーガーより、大豆バーガーを美味しそうに頬張っていた瑤を見て、イアンは口角を上げた。
高く上がる、回転する、スピードがある。そんなアトラクションに乗るたび、瑤の笑い声が響いた。メリーゴーランドすら楽しんでいた。
夕暮れ時、観覧車に乗り込んだ。座席には並ばず、向かい合って座った。上昇すると、瑤は景色のために、椅子の上で膝立ちになる。
茜色の山も街も、海も空も、虹色の瞬きを気まぐれに放つ黒い裂蝕ドームも、赤い大きな瞳は、その目に焼き付けようとしていた。
今は全て貴方の物ですよ、私の愛しい弾正官。
耳をぴんと立て、無言で窓に鼻先を寄せる瑤。その背中で尻尾が上下に揺れている。ひとつ二つ、聞きたいことがあったが、後ろ姿を見ていると、言葉は出なかった。
ゴンドラの高さが地に帰る間近、瑤は振り返ってイアンの方を向いた。目が合うと、自分の口元と頬が上がるのを感じる。微笑みかけたいわけではない。そうなってしまう。それだけだった。
腕時計を見た。今頃、ウィリアム氏の株買い増しのニュースで騒ぎになっていることだろう。
インサイダー取引規制に抵触しないよう、綱渡りだ。朝令暮改の規律局関連法で「おしおき」されたくないのは、皆同じだった。
「今日はとっても楽しかったね」
夕日に照らされながら、瑤は笑顔でイアンに言った。笑顔で「はい」と返答した。手をつないで帰路に就く。
掌に感じる温もりは本物で、それを手放す算段もまた、本物だった。
日が暮れかかり、急速に空気は冷え込みだす。伸びた影は宵闇になって、暖かな時間は終わった。




