第15話 証明ならば
XX38年11月19日、月曜日。
「CRESTは我々を解放しろ!」
CRESTのほうが税金安いだろうが。
「イアン・ブラックは辞任しろ!」
虹蝕緩和剤貰っておいてよくそれが言えるな。
「CRESTは保険料で暴利をむさぼるな!」
保険会社くらい自分にあったものを選べ。
「イアン・ブラックは謝罪しろ!」
何に!?
週明けの月曜日。毎日早めの通勤ルートで、カノンは気が滅入った。少し下がったメガネを中指で押し上げる。
ロープウェイ駅の近くで採掘員たちが、現場に向かう前に叫んでいた。さながら突発デモだ。
尊敬するイアン・ブラックが非難されている。いや、今日に始まったことではないが。彼に恨みを抱く者が一定数いるのも理解している。しかし、それに乗じて、なんとなくで嫌っている者も多い。
以前に起きた大きな非難は、十月にあった化学テロの時だ。あの時は非正規雇用採掘員と、アンテロス鉱業の悲しいすれ違いだった。
今日、こんなデモが起きている理由がわからない。黒函を始末してくれた防衛軍がいなくなって、わかりやすい治安維持機構が見えなくなったのが引き金なのか何なのか――。
CRESTによる崖縁区自治は、アンテロス鉱業に任されている。とはいえCREST自治管理部とCREST財務部、さらにCRESTの総意とやらがあり、どちらかというと、アンテロス鉱業側は自治を担当させられているという立場だ。
裂蝕界内で人員を従事させる企業は『耐蝕防護服 』と『抗虹蝕剤』を従業員に支給することが義務付けられている。虹蝕緩和剤は福利厚生であって、会社に支給義務はない。
配布を決定したのはCRESTの総意だが、イアン・ブラックが強く働きかけたことを、カノンは知っている。
イアンは崖縁区最高責任者に就任したときのインタビューで「『アレオレ』には気を付けろ」と言っていた。「虹蝕緩和剤の配布。あれ、働きかけたのオレ」と、証明できないことをふかしてみせた――とでも言いたいのだろう。
カノンに言わせれば、客観的に証明できる材料もなしに、崇拝してくる信奉者を作らない作戦だ。
カノンはイアン・ブラックの信奉者ではない。ただ、尊敬している。彼を、いつか乗り越えてやると思って、アンテロス鉱業に入社した。
追う相手は、どのような存在なのか。
十一年前、XX27年。大裂蝕災が起きた。
生き残った家族と共に帆嵐峰にたどり着いたとき、カノンは十三歳だった。
あの日をはっきり覚えている。
船から見える崖縁区は、崖と森林と、空間分断で抉られた山と、高台の街と、空間分断で抉られた街の跡だった。
手をつなごうとした姉の手を、カノンは恥ずかしくて振り払った。
あの時の姉は、カノンを気遣ったのではなく、頼りにしていたのかもしれないと思うと――カノンは今でも申し訳なくなる。
虹蝕霧曝露からの浸食障害は、カノンも姉も母も幸い出ていなかったが、母は時折咳き込むことがあった。後日の検査で浸食障害が三人ともあったことがわかった。
帆嵐峰の港は小さい。避難船になった中型漁船が四隻も停泊すれば桟橋は満席になる規模だ。その、さして広くない桟橋に、避難民が三十人ほど降り立った。
浸食障害で体から虹石が小さく生えている人間が何人かいる。症状がそこまで進むと、立つのも苦労するはずなのだが、その人たちは何とか自力で歩いていた。
ぼんやりとカノンは、桟橋を歩きながら思った。避難民は家族、独り者、若い夫婦。いろいろいたが、たぶん皆、誰かを亡くしている。カノンの家は父と祖父が行方不明で、絶望的だ。
桟橋から見える景色は、切り立った崖をくりぬいたような狭い港町だった。少しの民家と小さなコンクリビルを詰め込んだ場所の奥に、急こう配の階段と昇降機。その上には帆嵐峰の街が見える。それからロープウェイのワイヤーと大きな鉄柱もだ。
民家と桟橋の間のスペースで、炊き出しをしていた。
どこからどこまでが地元の有志でCRESTの人員なのかはわからなかったが、食べさせてもらえるだけでありがたかった。
背後には裂蝕ドームが黒く浮かんでいる。また拡大膨張で裂蝕界に飲まれるかもしれない。けれど、気にしすぎても生きていけない。とにかく食べられるだけ食べた。
災害後、CRESTはこの崖縁区に集中的に投資を開始していた。なので、人も物もあった。この崖縁区は、後にCRESTの自治区となった。
そこらに立てかけてある看板には「食べ終わったら上に上がれ」と書いてある。漢字と共通語の併記だった。カノンは漢字が読めないので、共通語表記に胸をなでおろした。
母と姉が食べ終わるのを待っている間に、周囲を観察した。
炊き出しのスペース周辺には、列に並ぶでもない、食べているでもない避難民が、そこそこの人数で座り込んでいた。 ――上の街にあがる気力もないのだろうか。それとも、ここにずっといれば、夕飯にもありつけるかもしれないという考えだろうか。
それから、母と同じように、時々咳く人がいる。
炊き出しをしている人たち、手伝っている人たちの中には、クマ獣人男性や大柄の男性、鍛えてそうな初老の男性など、いろいろいる。
クマ獣人男性が燃料運びを一段落終えてから、少し頭を掻いて、座り込んでいる避難民に向かっていった。大柄な男性も続いた。
「あんたら、食べ終わってんだろ。そろそろ上に上がってくんねえかな。次の避難の人らが来たら、ここが溢れかえっちまう」
「立てないなら手伝うよ。介助する。遠慮なく言ってくれ」
カラメル乗せプリンみたいな髪の女性が、背嚢を抱きかかえて、俯いたまま首を振る。隣の小さな娘は、怯えた目でクマを見上げて、女性に引っ付いた。
声をかける方は諦めて、他の人へ声をかけに行く。
次に声をかけられた青年男性四人組は、立ち上がったが――喧嘩腰だった。
カノンは観察した。四人全員、体格もそれなり。クマ獣人男性と大柄な男性をチームとして、対比で見れば、四人組の方が上だ。なぜなら、四人の中にはネコ獣人と、サイバネアームの人がいる。
フルボーグボディやサイバー義肢は、スキンスプレーやフェイクファーで隠す人と、隠さない人がいる。今は大災害直後で、隠す余裕がないだけかもしれないが。
災害前、見せびらかすのは技術力宣伝か、財力の誇示が多かった。とにかく金がかかるものだった。
見ながらカノンは考えた。彼らの服の布地は汚れているが、なかなか高級品に見える。
ここにいる大半の人間が、着の身着のままの姿か、どこかでもらった支給服だ。
カノンの服は裂蝕界から出た後、ボロボロになった。ニジギリの濃度や状況によりけりで、一事が万事そうなるわけではないらしいが。虹蝕霧は数多の物質に浸食する、その結果だ。ともあれ、船に乗る前に運良く、服をもらえた。
彼らはおそらく、いいところのお坊ちゃんだ。
そしてあのサイバネアームは、記憶が確かなら、品番ARX5600-G。民間での装着は違法のヤバいヤツだ。
サイバネアームお坊ちゃんが短気な人間なら、血煙が上がるかもしれない。
母と姉の食事を急かせるか、それとも――仲裁に入るか。
胸の中で緊張が強まった瞬間、急に咳が出た。止まらない。目の前では、四人組と二人組が言い争いに発展しそうだ。
食事を終えた姉が、咳き込んで屈むカノンにすぐ気付いた。
背中をさすってくれるが、早く逃げてほしい。
母も食事をかきこんで終わらせ、カノンと姉に何か声をかけてから――仲裁に向かおうとしている。待ってくれ。
サイバネアームの男が、クマ獣人男性の胸倉に指を突きつけた。
「上がれ上がれって、それだけかよ。俺たちがどんな目に遭ったか知ってて言ってんのか」
「知らねえよ。知らねえけど、次の船が来る」
「知らねえのに指図すんな!」
サイバネアームの連れの三人は、顎を上げて、二人組を睨んでいる。少しずつ、周囲の人間が集まって来て、遠巻きに「落ち着いて」と声をかけはじめる。母もその中にいた。
大柄の男が割って入ろうとした。その動きに、ネコ獣人を含む三人の男も気色ばむ。
「こっちは次の人らにメシ食わさなきゃならねえんだ」「じゃあ、そうしろよ! 俺たちは疲れてんだ」「あんたらがいたら、それができなくなるから言ってんだ!」「知るか!」
言い争いが激しくなってる。咳が止まらない。どうしたらいい、と思ったところだった。遠巻きの輪から、誰かが四人組と二人組の隣に、するりと入り込んでいた。
同じ船の避難民の一人としか思っていなかった男だ。
年の頃は三十前後か、着ているものは周囲の避難民と似たり寄ったりの、支給品らしい上着。背が高い以外、目立つところなど何もない、独り者の男。
「一つ、確認していいですか」
男は、言い争っている誰にともなく、そう聞いた。 最初にネコ獣人が、苛立ちの牙を見せながら振り返る。残りの全員が振り返る。男は四人組の方に向いて言った。
「貴方がたは座りたいんですか」
「そうだよ! 座ってたいんだよ!」
サイバネアームが怒気をまき散らして言う。残り三人も似たような声を上げる。
「なら、立ち上がって応答する必要はなかった。何をしてほしいんです」
男は静かな声で尋ねた。四人組は黙って、男の方を見ていた。黙った間を見て、男は二人組の方に向き直る。
「貴方は」
「上へ行ってほしい。そんだけだ」
短く尋ねた男の言葉に、クマ獣人が返事する。
「ですよね」と返す男に、大柄の男が「次の船が来るから」とクマ獣人の言葉に付け加えた。
「つまり。片方は場所が足りない。もう片方は――どんな目にあったか、聞いてほしい」
「違っ!」
男の言葉に、サイバネアームが握りこぶしを作る。
「違いますか」
サイバネアームを真っすぐ見なおった男の声は、なおも静かだ。サイバネアームの拳は、あてもなく震えているが、その主の眉は下がっていた。
「殴れば、潰せば、満足しますか」
黙るサイバネアームに、少し間を置いて、男は「ここは広くなりますか」と続けた。サイバネアームは返事しない。残りの三人は肩を叩きあって、それから、サイバネアームの肩を叩いた。
「欲しいのは、喧嘩ではないようですね」
カノンは気が付いた。ここにいる皆が、かたずをのんで見守っていた。それと、咳はまだ出るが、激しくなくなっていた。
独り者の男は、手が止まっていた炊き出し側へ進んだ。
「責任者の方はいますか」
鍛えてそうな初老の男性が手を挙げて応えた。
「避難者名簿はありますか」「上で作っている」「聞き取りをして家族単位で誘導しましょう」「独り者は最後だね」「ええ、介助が必要な人から」「動ける人間はどう使う」「皆、荷物は少ないですが、それでも運んでもらえたら助かる人もいるでしょう」
男は初老男性と淡々とやりとりしてから、毒気の抜けた四人組を見た。
「力はありますね。手伝ってください」
「あ、ああ」
サイバネアームは、さっきまでの威勢が嘘のような声で返事をした。男はクマ獣人に「リーダーをお願いします」と言った。
六人は動き出した。
カノンは、男の背中をじっと見ていた。
咳はまだ出るが、そこまで苦しくない。姉に「大丈夫だから」と、やっと声を出して言えた。
母が戻ってくるのと一緒に、男がこっちに来る。屈んでカノンを覗き込んでくる。彼はハシバミ色の瞳をしていた。
咳き込んでばかりで無力な己に、カノンは少し情けなさを感じた。何か言おうとしたとき、横で母も咳いた。
男は立ち上がって、母を見て、周囲を見て、母を見た。
「裂蝕界にどのくらいいましたか」
「丸一日」
母の答えを聞いてから、男は――彼は、そのハシバミ色の瞳で、高台の街を見上げて言った。
「虹蝕緩和剤がいるな」
あの時はただの独り言だと思った。
二か月後、縹島の採掘に携わる全ての従業員とその家族への、虹蝕緩和剤の配布が始まった。
それを働きかけたのはイアン・ブラックではないかもしれない。と、言われれば、そうかもしれない。
しかしこれは、自分の中で一本の筋が通った物語。
事実が何であれ、イアン・ブラックがやった。それが僕の真実。
帆嵐峰と縹島、羅湾裂蝕ドームを結ぶロープウェイ。
突発デモで叫び終わった採掘員たちがどやどやと、ロープウェイの籠に乗り込んでいく。叫んですっきりしたという顔をしている者もいる。後ろに並んでいた採掘員たちが籠を待つ間、またシュプレヒコールが上がる。
駅に扇動者がいるのかと、カノンは運転室の建物の影を覗き込んだ。
そこにいたのは、ロープウェイ駅案内員だった。――アンテロス鉱業100%子会社の人間が、トランジスタメガホンと看板を持って、イアン・ブラックを非難していた。
カノンはメガネを上げ直した。
どういうことだ……?




