第14話 要望
XX38年十一月。
外の雨音と、三人の麺をすする音。
このカップ麺の中身は、十割セトファーム製だ。
イアンは周辺を見回した。裂蝕観測局職員は、この休憩スペースに都合よくいてくれなかった。
『大裂蝕災』は人為災害だったという風説もあるが、何がトリガーだったのか判明していないため、オカルトめいた噂にすぎない。
しかし、その噂の中にそれらしいトリガーの仮説があれば、教団は飛びつく。
観測局職員は裂蝕学会員と兼任が多い。裂蝕ドームを拡大膨張させることについて意見を聞きたかったが、記者会見のあとに捕まえるか、後日に回すしかなさそうだ。
玄嶺宗宗主、丹凰の考えは、劫災主教団に反社活動を断念させるくらい叩けばいいという明快な考えだった。
イアンは一旦、それに理解を示した。したが、手段は考えなければならない。
まず、生き残りはしぶとい。
次に、シーセックは行政府治安局と同じく、管轄内の反社やそれに近い人間のログをAI監視しているが、実際の対応力は大きく水を開ける。装備制限が完全に枷になっている。
長らく上をせっついてきたが、未だにCRESTは中立司法院を動かせていない。
シーセックによる自治区警察活動は、限界に近い。
それから、七大ドームの中で唯一、外周部との空間連続性のあるここは、教団にとって絶好の裂蝕界活動ポイントだ。
虫が叩き潰せない。動ける状態で逃げて、家の中を今日も這い回っている。
――よろしい、よろしい。いいでしょう。
ついでに全部まとめてひっくり返して差し上げます。
虫を追うのはやめだ。家ごと潰すのだから。
空のカップを持ってバックレスソファに腰かけたままのイアンを見た丹凰とウシ獣人警部は、噴き出した。
虚空を睨んで、口角を上げている男がそこにいた。
下に任せられるものは全て任せた。頭を下げるたびに恐縮されたが、それで効率が上がるなら安いものだ。
判断に次ぐ判断で、息をつく間もなく夜になった。
もともと土曜日な上、定時もとうに過ぎ、社屋の低層階はほとんど人がいない。そんなフロアを通りがかったイアンは、自動販売機の前にいたピエールに声をかけた。
「すみません、ハンドリンクを貸していただけますか。充電が切れてしまいまして」
ピエールは嫌そうな顔をしながらハンドリンクを差し出した。イアンは番号を叩いて通話をつなぐ。背後には社内備え付けの公衆電話が佇んでいた。「公」と表現しても、この自治区ではCRESTが「公」だ。
「お手紙、拝見しました。イアン・ブラックです。このハンドリンクは私の物ではないので。はい。崖縁区輪澳鎮の喜久屋に今から向かいます」
通話を切って両手でハンドリンクを返すイアンに、受け取りながらピエールが口を開いた。
「以前いただいた『画像集』、なかなか良かったです。ほかにどなたか共有は」
「まだです。『友人』がもう少し必要ですね」
頷くピエールに片手で挨拶して、薄暗い廊下をイアンは進んだ。
優秀なメンバーが見張っていると弾正官様はおっしゃっていたが、全てを監視することなど、今は、無理だろう。今は。
SP三人組が、歩くイアンに合流する。
今、弾正官様はいない。つまり、いつもどおりというわけだ。
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崖縁区南東の隅、輪澳鎮は帆嵐峰より小ぢんまりした街だが、週末の夜は雨がやんだのもあり、それなりに賑わっていた。
古びたコンクリート建築の一階に、赤と青のネオンが半分欠けた看板。重々しい自動扉をくぐると、柱とアーチの並ぶホールが広がる。コヨーテの案内で個室に入ったイアンの元に現れたのは、クセのある赤い長髪の若い男性だった。
凛々しい眉の下のたれ目で、挨拶より先に室内を確認していた。 髪はハーフアップで、ピアスが山盛りの耳がよく見える。ジャケットの白とインナーの黒のコントラストが、赤い髪を引き立てていた。
「すみません、お待たせしました! 磐城建設のフラムと言います」
男はイアンに挨拶をしながら白い歯を見せて笑う。溌剌とした声だった。
磐城建設は非CREST企業だが、アンテロス鉱業とセトファームの共通の取引先だ。フラムは遠慮することなくビールを注文して、今日はセトファームのお使いだと立場を明かした。イアンもビールを注文した。
フロアから煙草の匂いが漂ってくる中、グラスのビールを傾けながらフラムが切り出した。
「手紙の回答をもらえと言われまして」
手紙はバイク便で今日発今日着の、セトファームからの就任祝いの挨拶だったが、文章の中に一つ質問があった。
読み間違いなら、自分は明日、羅湾に浮かんでいるが――
「Bは早晩潰れろと思っています」
イアンは淀みなく言った。
フラムはグラスをテーブルに置く動作を止め、わずかに上体を前に傾けた。白い歯をまた見せて、声を落として言う。
「セトファームも喜びそうだ」
内ポケットに手をやったフラムが取り出したものは、無地の封筒だった。差し出された封筒を手に取ったイアンは、内心で「感情を切れ」と自分に命じた。
封筒の中身は二つ。一つはセトファーム代表取締役の個人連絡先。もう一つは、規律局がセトファームに入った際の概要が記された一枚紙。
セトファームは今年の七月に、取締役の一名と本部長クラス一名が急病で入院。これにより人事異動が発表されている。
記載内容は、その七月に監査で入っていた弾正官が、取締役と本部長におしおきする言って――その二名は蒸発した。
二名の『罪状』と、ルールを守らない者は裁定対象だと言い残して、規律局は撤収した。と、書かれている。
イアンはテーブルの灰皿に置かれたライターで、その紙を燃やした。灰皿の上で火が揺らめく。個人連絡先も覚えて燃やした。火の向こうで、フラムが苦笑いを浮かべながら言った。
「あんたの命は大丈夫そうなのか」
「わかりません。言いがかりを付けられれば無力です。遺言状は直ちに更新しましょう」
返答にフラムは肩をすくめた。
「Bとだけならセトファームも戦える。何も、殴りたいと思ったのはアンタだけじゃない」
「不安要素を率直に述べたまでです。奴等を潰すまで絶対死ぬ気はありません」
「いいね」
イアンとフラムはグラスを空にした。フラムは新しいジョッキを、イアンはウイスキーをロックで頼んだ。
二人は無言でグラスを合わせた。
フラムはジョッキを傾け、イアンはロックグラスを唇へ運んだ。
「明日はレオン・ストロングの墓参りに行きます。ヘスティア州へ行って帰るだけの日帰り旅行です」
「了解」
白い上着同士、白い歯を見せあった。
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車の中でSP三人組は、自分の配置で何が起きたかを話の種にしていた。青井は隣の酒場の前で口論していた連中の話題が、シンガーの最強決定戦だったと語る。ホールにいた武藤は一番煙草の匂いに動じないが、喫煙者に囲まれて辟易したと言う。車に残ったキャンベルは、駐車場にグラマラスな女性がいたと興奮していた。
三人が車内で陽気に話しているときは、きまって自分がひどい顔をしているときだ。
帰宅したイアンは真っすぐ洗面台に飛び込み、鏡で自分を見た。
酒を入れた後であるにも関わらず、全く赤みがなかった。眉間の縦皺はいつもより深く、目の下は引き攣り上がっていた。
ゆっくりと息を吐く。吐息は熱を帯びていたが、表情が、自分を睨みつけるように見据える目は変わらなかった。
洗面台を出た後はルーチンワークだった。何も考えずとも自分は、ベッドに潜るまで淡々と作業を進められる。眠る前に、水を一杯飲んだ。
飲み干しても、何も変わらなかった。 体を横たえて、目を閉じる。
――瑤様、違うと言ってください。
殺したのは貴方ではないと。
胃が締め付けられる。ベッドの上でのたうち回り、布団を掻き抱く。
私の救い主は、あの弾正官様ではない。瑤様ではない。――それでいい。それでいいはずだ。違うも何も、規律局がやったことに変わりない。
瞼に浮かぶ物乞いウサギに手を伸ばすと、妖艶で蠱惑的なウサギが微笑む。
どちらも消えろ。
消えろと念じて消し去った後に浮かび上がったのは、目が合って、言葉が重なって、お腹を抱えて笑っていた、彼女だった。




