第13話 努力目標
『裂蝕斬り』を預かる武家・宗門は、ノヴァソフィア行政府とCRESTの双方から支援を受けている。当然のことながら審査は厳しい。ただ、丹凰に関しては、行政府首相と旧知の仲だと言われている。公然と。
XX38年十一月。
咳払いをしかけて、やめた。
腕時計を見ると、こちらも昼食を急かしてきた。丹凰に向き直る。
「まず私は、アンテロス鉱業CEOに正式には着任していません。そして、私は崖縁区最高責任者ですが、為政者でも領主でも、ましてや王でもありません」
イアンの言葉に、丹凰は口をすぼめた。
期待の目で見てくる警部殿の視線も気になるが、先生は黙ってくれるようなので、イアンは思考に戻る。
今までは自治区内政で、独断による特例措置を出すと、スカンダとグラハからカミナリが飛んできた。「責任を追及されるのは俺だぞ」と。
しかし彼らは、報酬減額されるでも飛ばされるでもなかった。
暫定CEOになった今、大株主様たちからのカミナリがどのようなものか試してみれば、CREST最高意思決定機関が見えるだろうか。
今朝せっかく手に入れた椅子を、早くも雷に打たせようとしている。
特例を出すか、出さないか。丹凰以下、玄嶺宗門人への一時的権限付与。
大義名分はある。
かわりに、立て続けに自治区で、行政府の飼い犬に大きな顔をさせることになる。
そういえば――自治権の重大な侵害という声明は、CRESTから未だ出ていない。
シーセックの作戦が成功しようが失敗しようが、玄嶺宗に特例で許可を出そうが出すまいが、やはり、水面下で計画がある力学を感じる。考えすぎかもしれないが。
私は、椅子に座らせてもらっているだけの人間。
今朝の取締役会で反発がなかったのも、「安定した顔」として使えると判断されていただけだ。
こちらの決定を失点とするか、加点とするか。何にせよ利用するだけと、どこかですでに決まっているのだろう。
ならば、追加の判断材料をもらう必要はない。聞きたいことはあるが、決めた後でいい。考えすぎの取り越し苦労なら、なおのこと問題はない。
指を組んでいた手を一度握りこみ、緩めて、イアンは口を開いた。
「カサンドラ大佐の件は後味が悪いものでした。こうなったら徹底的に、劫災主教団を叩きのめさなければ気が済みません」
ウソは言わない。やや誇張ではあるが、気持ちを一つにしたほうがいい。
丹凰が前のめりになって確認してきた。
「では、いいんだな」
言ってから丹凰は、警部と視線を正面で合わせてから、拳をつきあわせた。
イアンはわずかに目を細めた。
そんなふうに過ごせる仲間は大裂蝕災で全員死んだ。そしてそれは、珍しいことではなかった。
二人の向こう、ブラインドの隙間から雨だれが見える。
目の前の二人との差を、イアンは考えなかった。
丹凰はコリンのことを話してきた。
カサンドラに投降するよう説得を試みたコリンは、かなり気落ちしたそうだ。ニジギリ獣になったとはいえ、知り合いだった人間を殺すことになったのだから。
今はガブリエルと過ごしていて、落ち着いているらしい。
カサンドラ大佐殿を通じて、気持ちを一つにするという意図は伝わっていた。
イアンはあくまで一時的なものであることと、特例命令公文書発行まで絶対にシーセックと合流しないことを、丹凰に念を押した。
追悼文を書くはずの時間は、公文書を書く時間になったわけだ。
書く前に確認したいことが二つある。
ひとつは玄嶺宗の意思。彼らは今、どこを見ているのか。
もうひとつは、単純に疑問だが、劫災主教団の次の目標。
どちらも前提として、まずは丹凰先生のプロファイリングを聞きたい。
スカンダという大口のスポンサーを失って、劫災主教団は勢いを失くすだろうと思いたいが、いつの世も「世界の終わり」は一定数求められる。
災害で悪は滅び、正しい人間が正しく認められる世が訪れる。そんなものは願望に過ぎない。大裂蝕災を生き延びて、どうだ? 世界が正しくなったか? 次こそはそうなると言うか。実におめでたい。
おめでたい連中は滅びない。教団を根絶やしにできたところで、似た存在はまた生まれるだろう。
湯を注いだカップ麺を持って、車座の中の丹凰先生は語り始めた。警部殿と麺をすすりながらのご拝聴となった。
劫災主教団の目的は『浄化の主』の復活。
七大ドームの中央には超高濃度ニジギリ獣がいるという仮説がある。教団が言うには、そこに浄化の主の体の一部があり、これを守護しているため超高濃度ニジギリ獣はその場から動けないそうだ。
教団は復活のために何をするか。七大ドームを大きくするか。橋渡しの裂蝕ドームを作ればいい。それで、体を引っ付けられる、という。
『裂蝕斬り預かり』が駆り出される理由の大半は、次元亀裂の発生だ。ここから高濃度ニジギリ獣が出てくると同時に裂蝕ドームの形成が始まる。
今のところ、小規模なうちに対処できているが、同時多発的に起きれば、防衛軍とC.L.A.W.と裂蝕斬り預かりだけで対応が足りるかどうかわからない。
黒函のニジギリ獣も、高濃度という大当たりがいれば、次元亀裂の発生を待たずに意図的に裂蝕ドーム形成が出来たということになる。
今までに教団がやってきたことは全て、裂蝕ドーム形成が目的。あるいはそのための実験だったとすれば合点がいく、とトーンを上げながら丹凰は言った。
威厳と貫禄の先生が、熱を帯びている。
聞かされたカサンドラの、人間としての最後。虹蝕霧曝露による浸食障害は、目視では確認できない状態であったにも関わず――
彼女は、自刃した。
熱が入るのも理解できなくはない。
ただ、感じるのは、スカンダ以外にも教団にスポンサーがいるなら、玄嶺宗か、裂蝕斬り預かりか。何なら『裂蝕斬り』そのものを釣ろうとしている。いるなら、だが。
今日はいい。しかし、明日から玄嶺宗にどう大人しくしてもらえばいいものか。
教団の金の流れを徹底洗浄できるまで、安心できそうにない。
胃に来た不快感を押し流すように、カップの汁を飲み下すイアンの耳に、丹凰の熱弁は続いた。
撒く偽薬の成分を確認するまで確定とは言えないが、奴らがやってきた人体実験の簡易版を薬で実行できるなら、それも一致する。
しかし、今のところ結果、裂蝕ドーム形成に至っていない。
そこで丹凰が言葉を切って、麺をすすった。イアンが口を開く。
「つまり、劫災主教団の次の目標は」
「裂蝕ドームを大きくしたくなる」
十一年前の『大裂蝕災』は、一つの裂蝕ドームの拡大膨張から始まった。
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ベルスニッケル規律局本部、総帥の執務室。ここはそれほど広くない。しかし、崖縁区最高責任者兼アンテロス鉱業崖縁区事業本部総代表の執務室。あの部屋も似たようなものだった。
CRESTアライアンス内企業の役員の執務室は、成金趣味か権力の誇示と言わんばかりの、調度品を並べた部屋が多かった。
崖縁区のあの部屋とここの違いは、棚がスチールではなく木製で、壁紙が上品で、自分専用の一人掛けソファがあることだ。
ソファに腰かけていた瑤は、手を膝の上で握りしめ、背もたれを使わず背筋を反らして、傍らに立った女性に話しかけた。
「ママ、聞いて。ヤオたち『ベルスニッケル規律局』は、有能な人材を見つけて、適切なポストへ推挙するのも点数だよね」
ママと呼ばれた女性は微笑んで、何も言わない。ただ瑤を見下ろしていた。瑤の耳はゆっくりと角度を下げていく。
「イアンは――」
言いかけた瑤に、女性は半歩詰めた。スリットとベルト装飾のあるロングスカートが揺れる。肩に垂れた長い銀髪をかき上げ、中腰になり、銀に輝くまつ毛を物憂げに下げて紫色の瞳で、耳を倒した瑤の顔を覗き込んだ。
「瑤、あなたが首席として尊敬を集めているのは、もっと違うことよね。――誰かが嫌がることも、進んでできる。とっても素敵なことだと思うわ」
女性は甘い声で話しながら、小首をかしげる。
「そういえば……あなたのことを尊敬しているディンゴ。彼女、最近とっても成績を伸ばしてる。近いうちに追いつくかもしれないわね」
わずかに低くした女性の声に、瑤は身をすくめた。女性は近くのテーブルに置いていたリンクデックを手に取る。
「それよりほら、瑤、見て。あなたが書いてくれた調査報告書よ。」
瑤に差し出したリンクデックを一緒に見るように、女性は瑤の椅子の横に立ち直した。
「崖縁区の業者を『復興支援』って名目でほぼ全部飲み込んだ。表面上は自主判断。なかなか強引ね」
「……でもママ、排除された人たちをアンテロス内で雇用してる。救済もしてるから、ヤオの基準だとおしおき対象じゃない」
「救済? ふふっ」
女性は微笑みながら瑤の耳の後ろをそっと撫でる。瑤の耳が少し持ち上がった。
「瑤、あなたは本当に賢い子ね。でも、そういう救済こそが一番タチの悪い手口なの」
座っている瑤が見た女性の顔は、ずっと笑顔だった。彼女の手は瑤の頭を撫で続けた。
「相手を一度路頭に迷わせて、『助けてやった』と恩を着せて、完全に自分の支配下に置く。結局、みんな犬にされただけ。奴隷にされただけ。それがどういうことか――あなたなら嫌というほどわかるでしょう」
「うん」
「瑤、あなたが一番大切に思っているのは誰?」
「……ママ」
「嬉しいわ。私も瑤が一番大切」
ぴんと耳を立てる瑤。その耳は落ち着きを示すように、後ろへ伏せていった。
女性の手は、毛並みに合わせて瑤の耳をそっと撫でた。
「聞いて、瑤。イアン・ブラックはただの悪い子じゃない。甘い救済で人を縛る悪い子よ。もう少し調査期間をあげるわ。しっかり監視してね」
「……わかった、ママ」
「そうだわ。あなたに良いことを教えてあげる。もう、騙されないために、彼の目を見ちゃダメ」
「……うん」
ハシバミ色のあの瞳は、もう見ちゃダメ。
自分に言い聞かせてから、瑤は小さく頷いた。銀髪の女性の指が耳の付け根に優しく指を立てる。ウサギの背筋は微かに震えた。
イアンは悪い子だ。ママの言うとおり、人を犬にする悪い子。
賢いヤオの言葉に耳を貸さない子だった。良い子でないのは知っていた。
知っていたのに――足元に、彼の値札が散らばっている。
女性は横から瑤を抱き寄せた。
瑤はソファの上で膝を寄せ、背筋をさらに伸ばした。彼女の腹部と腕の温もりが伝わってくる。丸い尻尾の先が、ソファを小さく叩くように揺れた。
足元にあったものは、優しい温もりで溶けていく。
「私だけが、瑤、あなたの本当の味方よ」




