第10話 帳の向こう
XX38年十一月。
瑤はイアンの通信記録、面会記録、財務記録をすでに隅々まで調べ上げていた。不正らしい不正は見当たらなかった。
記録を取得できなかった個人用のハンドリンク、あれさえ見せてもらえれば。
喫茶店のテラス席はこの季節のせいか、瑤以外はイヌ獣人とキツネ獣人の女性の二人連れだけだった。店の屋内にはヒトもネコ獣人もクマ獣人もリス獣人もいて、ウェイターのコヨーテが忙しなく動き回っている。
帆嵐峰は高台の街だが、山を背にして北側に海を臨む地形だ。昼下がりはすでに薄暗い。それでも海のさざ波と空と、裂蝕ドームと、斜め向かいのビルの街頭モニターが織りなす景色が、瑤の好みだった。ニンジンジュースが飲めるというのも悪くない。
イアンとカサンドラに繋がりがないことを証明するのは、容易ではない。
まず考えたのが、個人用のハンドリンクの履歴を開示させる。通信会社に照会させて、消去した履歴も含めて。それが最短だ。
履歴・記録を規律局で取得できなかったということは、契約の通信会社がCREST外か、イアン・ブラック以外の名義か――どちらかを意味する。
ハンドリンクの状態がなんであれ、中身を見せてもらうには個人的な合意が欠かせない。そのために今日は、審問役を補佐のジェイムズに押し付けた。
イアンを懐柔したい。彼がアンテロス鉱業CEOになる気があるならなおさらだ。
だからヤオはまだ、彼に嫌われてはいけない。
イアンへの調査でわかったことの一つは、住民からの嫌われようだった。
崖縁区責任者としても、アンテロス鉱業執行役員としても、大きな失敗はない。引責辞任も罷免も免れている。
それでも「死ねばいいのに」と言われる男。
その陰に隠れてイアン・ブラックでいいと言う住民もいる。どちらの声にも理由はいろいろあったが、どちらにも虹蝕緩和剤絡みがあった。
瑤はふと思い出したように、鞄から紙のファイルを取り出した。
ガブリエル・ストロング。
CRESTアライアンス内、ニューマン財団理事ウィリアム・ストロングの孫娘。
祖父の名代として、独立安全検証委員会メンバーに名を連ねていた。同じ委員会でカサンドラと接点がある上で、イアンと面会記録がある。
未成年であるにも関わらず委員会に引っ張り出された彼女は、強引な勧誘があったかという質問に対し笑顔でこう答えた。
「それは私とあの方との秘め事です」
部下からの報告書ではこうなっている。
面白い。
帆嵐峰ではテラス席での通話が憚られる風習は無い。それもあってここに座っている。瑤はハンドリンクで部下に連絡を取った。
「お疲れ様。I‐C‐26、どこにあるか教えてくれる?」
言ってすぐ通話を切った。折り返しを待つ間にも、考えられることはたくさんある。
腕組みした瑤に、街頭モニターが切り替わる高周波の電子音と光のちらつきが飛び込んだ。
黒函共同対策本部の記者会見中継がはじまった。
イアン、丹凰、シーセックの崖縁区警視、防衛軍の大佐、裂蝕観測局の制服まで勢揃いだ。
黒函の捜索・回収完了と、軍人を銃撃した犯人の死亡を発表している。犯人は劫災主教団員の可能性の付け加えがあった。
瑤は耳をぴんと立てた。
カサンドラこそ最も調べるべき事項だったのに、そちらは八方塞がりになったわけだ。さすがの規律局も防衛軍には乗り込めない。
しかしこの内容。防衛軍は未だトマソン少将の死亡を発表していない中、さらにカサンドラ大佐の犯行と死亡まで抱え込むことになっている。
瑤の考えとは無関係に、会見は質問の時間に入った。
「犯人の死亡について、詳しい状況を」
イアンが答える。「逃亡先の裂蝕ドーム内で、長時間の虹蝕霧曝露により虹蝕獣変態しました。安全確保のため、専門組織と連携して対処いたしました」
「人間の虹蝕獣変態は本当ですか!? 証明が困難と思われます」
裂蝕観測局が答える。「裂蝕学会と共同対策本部で現場保全に成功しました」
「身元は」
シーセックが答える。「現在、関係当局で確認中です。判明した時点で適切に共有いたします」
「犯人に対処した専門組織というのは、そこに宗主がいらっしゃる玄嶺宗のことですよね」
丹凰が答える。「そのとおりです。連携の上ですが、我々、玄嶺宗が対処しました」
カメラが丹凰のアップを捉える。
美人さんは注目してもらえていいね。
中継の途中だったが、ハンドリンクが鳴ったのでそちらに出る。さっきの折り返しだ。
ガブリエルは現在、飛行船で帆嵐峰に向かっている。サーバントを伴って。
ありがたい。直接会える機会が転がり込んできた。瑤は彼女の友好関係を洗うよう指示し、通話を切った。
委員会がきっかけで、帆嵐峰に友人がいても不思議ではない。
彼女はヤオよりイアンに詳しいのだろうか。この訪問は、イアンに会うのが目的なのだろうか。――それは今、必要な調査に関係ない事項だ。
瑤はニンジンジュースのグラスを軽く回した。
イアンとの「秘め事」なら、自分にもある。
懐柔するにしても、後で黒の烙印を押すにしても、調査対象とそういう関係を持っておくのは便利だ。
全力で拒む者もいるが、イアンは簡単だった。
彼は少し珍しい存在だと思っていたが、結局、そこまででもなかった。
一皮剥けば、くだらない愚かな企業人。驚くほどあっさり転んだ。
しかしそれは、調べて浮き上がった人物像から、あまりにもかけ離れていた。
貼ったはずの値札は、審問の時には剥がれ落ちていた。
ヤオの口から出た言葉に、ありがとうと礼を言われた。
大裂蝕災後の中小採掘業者排除も、虹蝕緩和剤配布決定も、採掘現場外の縹島の事故調査も、スカンダ案件後の取締役就任も、他にも挙げればきりがない。
彼は汚名を恐れず、そして――あまりにも自分でやりたがりだ。
今も記者会見場で、しかめっ面を晒している。
瑤は街頭モニターに映るイアンの顔を見て、静かに笑った。
カサンドラとの関係も、ガブリエルとの関係も、まだ見えない。
それでも、ざわついていた心は落ち着いていた。
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帆嵐峰に向かう夜の有料道路は、まばらな車影が時折、闇を裂いてすれ違う。オレンジ色の街灯に照らされるたび、ガブリエルの金髪は輝いていた。
飛行船発着場でCREST監査部門を名乗って出迎えた時は、漏れそうな溜息をこらえている顔をされたが、今は夜景を楽しんでいるように見える。
タクシーの後部座席を巡っては、瑤とアルバートの間で一悶着あったが、助手席にアルバートを座らせることに成功した。
「カサンドラ女史と、最後に会ったのはいつ?」
おもむろに切り出した瑤の質問に、ガブリエルは少し目を丸くした。
「ブラック氏について聞きに来たのではなかったの?」
「そうなんだけどね。じゃあ、イアン・ブラックのことを聞こうかな」
「あれだけ聞いておいて、まだ質問があったのは驚きだわ。どうぞ」
文句に聞こえる言葉だが、夜景を楽しんでいたままのまなざしを、瑤に向けている。
報告書を見た限り、部下はガブリエルに対しマニュアルどおりの審問をしてくれていたが、足りないものがあった。この質問は順を追って最後の方にするものだが、さっさと聞いてしまうことにした。
「以前、ウチに対して答えたことをまず思い出してね。はい、それでは質問。イアン・ブラックと今後、もっと親しくなりたいと思う? 理由もお願い」
ガブリエルは、急ブレーキもないのに前につんのめった。




